(260)今日は父の命日です | 大阪肛門科診療所 院長 佐々木いわおブログ──『過ぎたるは及ばざるにしかずだよ、佐々木君』

大阪肛門科診療所 院長 佐々木いわおブログ──『過ぎたるは及ばざるにしかずだよ、佐々木君』

「切りすぎた肛門は元には戻せないんだよ・・」故隅越幸男先生の言葉をいつも心の真ん中に置いて「切りすぎない手術」「切らない肛門診療」を追求する肛門科専門医が、手術のこと、治療のこと、日常のことを、綴ります。



平成5年6月1日に父が亡くなりました。

父はいつも冗談半分で

「父親ってのは、早く死んだ方が

子供がしっかりするんや」

と言っていました。

その言葉通りに享年63歳、

ヘンなことを有言実行する

ひょうきんな父親でした。



私は4人兄弟の末っ子で父と40歳違い。

父が亡くなったとき私は23歳、

当時医学部の5回生でした。



父はくも膜下出血で倒れて10日後に

亡くなりました。

ホントのポックリです。

こっちはビックリです。

「え?死んじゃったの?ホント?」

って感覚です。



それでも普通に生活を続けて、

大学を卒業することができたのは

父が生前に蓄えてくれていたからです。

本当にありがたかったです。



父が亡くなってから病院の診療は

(当時は「大阪肛門病院」だった)

父の相棒であった田井陽(たいあきら)先生が

やってくださいました。

田井先生は父の同級生でしたが、

徴兵に取られていた関係で父より

5歳ほど年長でした。



田井先生も平成10年に病気で倒れ、

私は医者になって3年ほどのとき

まだ勉強中の身で東京から呼び戻されました。

28歳でした。

田井先生は一命は取り留めましたが

その後当院を引退されました。



ですから当院の院長は、

~平成5年まで 佐々木 茂雄

平成5年~10年 田井 陽

平成10年~ 佐々木 巌

となっています。



こんな話をすると、

私が苦労しているみたいに思われるんですが、

私は本当に幸運な男でして・・



こんな言い方をして

良いのか悪いのか分かりませんが、

実は父にすごく感謝していることがあります。

それは

「父と一緒に仕事をしなくてすんだこと」

です。

どんな時代も親子が一緒に仕事をすると

ぶつかるものです。

当然、父も祖父とぶつかっただろうし、

私だってもしも父と一緒に仕事をしていたら

きっと意見が合わなくて辛かっただろうと思います。

カルテを読み返すと、

父は手術が絶対正義みたいな肛門科医で

また、手術が得意だったみたいです。

私はと言うと、手術は大好きで得意ですが、

どうすれば手術が避けられるのかを

真面目に考えるスタイルです。

・・こんな親子が

ぶつからないはずがない(笑)



ちょっとおかしいのは

こんなに診療スタイルは違うのに、

また、手術の技術そのものを

引き継ぐことはできなかったのに、

医者としての生き方はちゃんと引き継ぐんですよね。

それが家業ということなんでしょうねえ。



私は父親っ子だったので、

ずっと父のことを好きなままいられることを

幸せだと思っています。



多分いまごろ、

父もあの世で苦笑いしてると思います。