若い頃勉強させて頂いた社会保険中央総合病院でのお話です。
当時、故隅越幸男先生はすでにご高齢でしたがまだ手術をされていて、私も時々助手をさせて頂きました。
隅越先生は、日本の肛門科を長年にわたって引っ張った第一人者で、数年前に亡くなりました。
私たちの世界では今でも隅越の名を知らない者はおりません。
なにせ、痔瘻の分類で最も標準に利用されているのが隅越分類なので、イヤでも覚えるのです(^_^;)
私にとっては、隅越先生と一緒に仕事をさせて頂いたことは、大変な誇りです。
このブログのタイトル「過ぎたるは及ばざるにしかずだよ、佐々木君」も隅越先生のお言葉から頂戴しております。
過去の記事 過ぎたるは及ばざるにしかず
さて、ある日の手術室。
隅越先生が「はい、メスちょうだい」とおっしゃって、リラックスした雰囲気で手術が始まりました。
私 「あれ?隅越先生、今日はここの部分、メスで切られるんですね。いつもはハサミなのに・・」
隅越先生「うん?ああ、何でもいいんだよ、切れればさ(笑)」
私 「え?・・(一瞬驚愕)・・そうなんですね。やっぱり『弘法筆を選ばず』ですね、恐れ入りました。」
隅越先生「・・・でもさ、最近の弘法は筆を選ぶらしいよ?」
私 「?」
隅越先生「最近はさ、学会でも、どの道具がいい、とか、いやいや、こっちの道具の方がいいとか言ってるじゃない。」
私 「はあ?・・」
隅越先生「道具をうまく使えることが、弘法だって思っている人が多いんだよね・・」
私はぐうの音も出ませんでした。
確かにその当時、肛門科ではYAGレーザーという手術機械が大流行していました。
しかし社会保険中央総合病院にはありませんでした。
多分、隅越先生はいらないと思ったのでしょう。
道具じゃない、もっと大切なものがあると確信しておられたのだと思います。
そして、その後YAGレーザーの流行は廃れました。
その後も様々な治療法が、一世を風靡しては消えてゆきました。
今も、同じ事が繰り返されています。
流されないように、本質を見極めることのできる肛門科医になりたいものです。