不当に逮捕・拷問されたチベット人へのインタビュー | チベットとビルマの難民支援 難民支援NGO"Dream for Children"公式ブログ

不当に逮捕・拷問されたチベット人へのインタビュー





私はチベットのマチュの生まれです。


1995年2月、私はラサのパルコルで中国政府への抗議活動に参加しました。当時、私は僧侶でしたが、中国政府により、僧院で仏教を自由に学ぶことは禁じられていました。これに抗議して、「チベットに自由を!」、「ダライ・ラマ法王に長寿を!」といったスローガンを叫びました。そして、ほどなくして、中国警察に逮捕されました。


抗議活動を行う前から、逮捕され、拷問されることはわかっていました。しかし、私は国連の役人でもなければ、えらい政治家でもありません。私がチベットのためにできることはこれしかなかったのです。私一人の命よりも正義の方が大事だったのです。


その後、私たちはグツァ留置所へ連れて行かれました。そして、電気棒(訳注:高圧電流を流す棒)などで激しく殴られました。25日間留置所にいた後、懲役5年の判決を受け、チベットで最も悪名高いダプチ刑務所へ身柄を移されました。


当時、ダプチ刑務所には7千人の囚人がいました(訳注:ダプチ刑務所には7千人も収容できない。700人の記憶違いと思われる。)。私は独房に入れられました。独房は狭く、立ち上がることもできず、横になっても足は伸ばすことはできませんでした。その小さな独房の中で食事もトイレもしたのです。


囚人は、畑などで労働させられました。ノルマが達成できなかった場合は、激しく殴られました。今日、中国の経済が発展しているのは、非常に多くの囚人が無償で労働していることも一因だと思います。


1998年5月1日、刑務所の環境改善を求めて、囚人による抗議活動が行われました。中国警察はこれを武力で弾圧しました。発砲も行われました。ある人は頭を、ある人は腹部を撃たれ、血を流していました。地面は赤く染まりました。私は激しく殴られ、気を失っていました。


警察は再三にわたり、「ダライを非難しろ。」と言いました。彼らの命令に従わない場合は、激しく殴られました。


私は刑務所で殴り殺された人を4人見ました。彼らは、そのまま刑務所で焼かれました。こうしないと殴り殺したことがばれてしまうからです。


私は自殺しようかとも思いました。しかし、自殺は仏教では禁じられています。私は何とか耐え抜きました。


そして、2000年12月、私は釈放されました。しかし、元の僧院に戻ることは禁止されました。3年間政治活動に関わることも禁止でした。また、私のまわりには常にスパイがいました。


中国の法律では、言論の自由や、信教の自由があることになっています。しかし、どこにそのような自由があるのでしょうか?


私はこうした環境に耐えられず、2006年、亡命を決意しました。ヒマラヤを徒歩で越える際、雪は膝ほどの深さがありました。中国警察に見付からないよう夜に行動しました。凍傷を負ったり、目を悪くしたりする人もいましたが、幸い私は無事でした。


こうして亡命した今、チベットに戻ることができません。1996年、中国の法律が改正され、亡命した政治犯がチベットに戻った場合、無期懲役刑が科されるようになったのです。


私はここで、ダライ・ラマ法王に会うことができました。それだけが救いです。








ダプチ刑務所の詳しい情報は、

拙書「暗闇に差した光~ダプチ刑務所の14人~」

に掲載しています。