AKB小説を書いている方、書こうとしている方、少なからず意識してしまうのが
マジすか学園。 けれどなぜか私はそこには手がつけられない。
あの生活感が全く感じられない設定をどう捉えるのか、そこで書くのを躊躇ってしまうんですよね、わたしは。
登場人物には家族がいて友達がいて、生い立ちがあってそこに少なからず悩みも生まれ、当然喜びや感動もみんなと共有する。
それがマジすかには一切感じられない。
マジすか5でおたべのストーリーが添えもののように描かれたけど
ああいう形を全編にちりばめる事ができていたら、もっとドラマに奥行きが出たはずだし、あの枠でも世間に対しても、もう少し市民権を得るようなドラマになっていたと思います。
30分枠、深夜帯、ほぼヲタ向け、そんな事を考えて、敢えて秋元さんはそうしてるんだと言うのはある程度は理解できます。
彼にしたらミュージックビデオを撮るのと何も変わらない感覚でマジすかを撮ったんでしょうね。 ニックネームだけで配役に名前すら与えないのをみてもそれがわかります。
そんなマジすかが4まで貫いてきた独特のスタイルを熱狂的に歓迎する方がいるのも事実。
でもそれにしても余りにもったいない。ソルトは言うに及ばず、おたべ、アントニオ、こびー。この魅力溢れる彼女たちをもう少し丁寧に描いていたら、マジすかはどこまで伸びるかわからないドラマになっていたかもしれないのに。
なかでもソルト。やっぱりこの存在感は圧倒的。彼女が何も言わず、ただ佇むだけで漂う緊張感、今にも何かが起こりそうな高揚感に思わず胸が高鳴り息をのむ。
彼女が見てきたものは何なのか、この研ぎ澄まされた瞳の奥に隠された秘密。
ベールに包むことでドラマに神秘性を与えるなんて言わせない。
それはものを書いている者の端くれとして言わしていただけるなら
もし私がここまでのキャラクターを生み出せたのなら、こんなに野放しにはしておかない。きちんと設定してソルトに命を与えれば彼女は勝手に動き出すような気さえします。
惜しむ声があるのなら、スピンオフぐらいならを作ってもいい、
そんなケチなことは言わせない。
メジャーな映画の一本ぐらい作れるはずです、彼女だけで。
ひとりひとりのキャラクターが動き出すためには心を持たせることが必要。マジすかの場合、その時々の感情はわかってもそこに至るまでの”なにか”が見えてこない。
マジすかを単なるアクション学園ドラマと割り切れというんなら話は別だけど、
何かそうでもないらしい。
ソルトの内に秘めている熱い心根はちゃんと描き切れているし、こびーとアントニオの間の微妙で繊細な心情模写には涙までした。さくらがマジ女のてっぺんまで上り詰めるストーリーはそれなりに見るべきものがあったように思う。
そう考えてみると結局のところいろんな制約にとらわれてあそこまでしかできなかった、と考えるのが妥当、ということでしょうか。
限られた予算、限られた枠内、限定された視聴者層、それならばそれらしくやればいい、所詮はアイドルが演じる際物ドラマ、出来の良し悪しよりはキャラ重視の賑やかしで終わった方が
バランスが良い。
そんな大人の事情の割り切りで、描き切れなかったソルトとという巨大妄想だけが私たちの心のなかに残った。
こうであるべき、こうでなければ、そんな様々な夢の形に答えながら。
今彼女はみんなが描く二次小説のなかだけで生きている。
ここまで熱く語っておいて何なんですけど、私もけっこうディープなAKBウオッチャーの割にはマジすかは全編を通して見ることはなく、ほとんどつまみ食い。
マジすか5に至っては4までとは世界観が全く違う別物なので要所しか押さえていません
それだったら多くを語るなと言われれば二の句も出ないけど、
そんな私でも振り返って見るとやっぱり気になる、ソルトだけは気になりますww
誰かが書いたりしているのを見ると、あぁそこはそうじゃないんだけどなぁとか、そこはもう少し掘り下げないととか、上辺をなぞるだけならソルトが可哀そうとか、身のほどもわきまえず突っ込んでしまう。
ぱるるのソルト、どこまで私たちの心を騒がすんでしょうか。結局書いてみないと、このざわつきは治まらないんなら、いっそのこと書いてみましょうか、小説ソルトフォーエバー。
嘘です嘘(^_-)-☆ 悩みは尽きない春の日の休日のざれ言でした、お許しあれ(。-人-。)