昨年オファーがあって制作した七夕イメージソングのCD<わたしの天の川>
いろいろあってお蔵入りになってしまったままだったので、今年復活させようと一人で制作を進めている僕。
その中のカップリング曲を書いたのが、七夕に熱い情熱を燃やし続けたHさんだった。
そのHさんの遺志を継ぐべく、僕は地元の活性化へ向けて七夕の普及へ燃えている
ただ、昨年完成したHさん作詞の<日本全国七夕音頭>の曲をついに聴かせることができなかったのがずっと心残りとなっていた
そんな折、ついこないだHさんの娘さんと初めて会うことができた。
今年僕がCDを復活させようとしていることでHさんの歌詞を使用する許可をいただいたのだ。
そして娘さんに僕は無念さを話した。
「お世話になったHさんにこの曲を聴かせられなかったのが唯一の心残りで・・・」
ところが、新たな真実が娘さんの口から出た。
「いえ、父がまだかろうじて意識があった時に病室でCDをかけたんですよ」
「えっ、そうだったんですか」
「それで話すことはできなかった父でしたが、曲が全部終わったあと、右手を差し出してOKってしたんです」
全く知らなかった
この事実を知って僕は涙がでるほど嬉しかった。ようやく心残りが晴れたのだ
娘さんと話をしている最中、何度もHさんを感じた。それは娘さんも同じだったようだ。
「父も天国ですごく喜んでいると思います」
そう、僕のCDでHさんはずっと生き続けるのだ。
そのとき僕はひらめいた
この曲は振付のある盆踊り用の曲でもあるので(→過去記事参照) 、この曲に乗せてHさんの奥さんに今年の盆踊りで踊ってもらおう
そう、Hさん作詞の音頭に乗せて奥さんが踊る・・・。
これって最高やん
これでますます突き動かされる僕だった