最近一ヶ月で、アクセス数が多かった記事ベスト10です。

あらためて振り返ってみると、懐かしいですね。


一位は、母の日のプレゼントの記事でした。

これは、僕もとても嬉しかったです。


二位は、疥癬ダニのお話、怖いものみたさでしょうか?


ベスト10に5つも、「人生の転換点」シリーズがランクインです。

僕の生き方を、一度文章にしてみようと思い立って、書いてみました。


恥ずかしいので期間限定にしようと思いましたが、皆さんの応援があって、こんなに続いております。
みなさん、たくさん読んでいただいてありがとうございます。


三位の「人生の転換点ーグラウンドでの出来事」が第一話です。

読み逃していた方、この機会に是非ご覧ください。


八位の「難波にて」では、グリコポーズを思わずとってしまった、僕の写真が、恥ずかしいです(汗)



第一位 母の日のプレゼント 奈良町を一人散策


第二位 疥癬のダニと、皮膚の写真、苦手な方はご遠慮ください


第三位 人生の変換点ーグラウンドでの出来事


第四位 人生の転換点9 部活篇 弓道部


第五位 世の中には、いろんな人がいますね~。


第六位 人生の転換点7 志望校を決める


第七位 人生の変換点5ー志望校変更


第八位 難波にて


第九位  人生の変換点2ーいじめられる、ということ


第十位 くだらない話ですよ~



男の一人暮らしでも、ご飯は作ってます。

って、そんなに手の込んだものは、作ってませんが。


今日は、イタリアンな晩御飯にしてみました。


本日のメニューは


カプレーゼもどき

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新キャベツと海老の、アンチョビ糸こんにゃくパスタ

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スイカ

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です。


簡単な作り方と感想です。


カプレーゼもどき

生ハムと切ったモッツァレラチーズ、楕円形のミニトマトに、オーガニックバジルソースをかけています。


オーガニックバジルソースは、癖がなく美味しいです。

生ハムと、ソースが塩味があるので、ミニトマトは、甘味があるものが美味しいです。



新キャベツと海老の、アンチョビ糸こんにゃくパスタ

①糸こんにゃくは、灰汁をとってから、ざるで湯きりし、水洗いしておきます。


②海老の殻をむき、背綿をとります。

むいた海老は、酒、醤油、塩、こしょうに、少しつけておきます。


③海老の殻は、白ワイン100ccに、蜂蜜大匙一杯を加えて、フライパンで熱します。海老の殻が赤くなったら、殻を捨てて、できた「海老だし」をよけておきます。


④むいた海老を軽くフライパンで、いためます。

(にんにくが、好きな方は、オリーブオイルを薄くひいたフライパンで、切ったにんにくを軽くいためて、オリーブオイルに、にんにくの香りをつけて、焦げる前に、火を止めます。にんいくは取り出しておきます。)


⑤一枚ずつ、葉を洗って、ざく切りしてから、しっかり茹でてしんなりした新キャベツと④の海老、アンチョビ(缶詰の汁も)に③の「海老だし」を、混ぜていためます。


パスタは小麦粉ですので、カロリーが高いです。

パスタを糸こんにゃくに代えてみました。

海老の旨みに、アンチョビの塩味が効いて、食欲がそそられます。


スイカ

今年初めて食べるスイカです。

甘くて美味しいです。


スイカに含まれる、シトルリンというアミノ酸は体内に吸収されると、他のアミノ酸とともに、体内で発生するアンモニアを無害な尿素に変換させて排泄するように働きます。

またスイカにはカリウムが豊富に含まれています。

カリウムは、ナトリウムとのバランスを保つので、余分なナトリウムの排出を促し、利尿作用を高めることから、ナトリウムのとりすぎからくる浮腫みの改善に役立ちます。

少し塩味が効いたお食事のときには、スイカが良いですね。

Dr.かっちの男メシ シリーズ


僕の、作るお料理レシピです。

ぜひぜひ、どうぞご覧ください。


苺とヨーグルトのデザート

ぶりあら大根

簡単デザート、小豆のせ抹茶白玉プリン

コック・オー・ヴァンもどき(鶏肉の赤ワイン煮)

アボカドとマグロのやまかけ丼

うなぎといろいろ野菜のパスタ

アルバイトをする目的は、お金を稼ぐことだけではなかった。

自分が世間知らずな事を、もっと自覚したいと感じていた。


中高一貫制の私立男子校に通い、医学部に現役進学。

これだけで、世間狭そうって、自分でも思った。


今は違うかもしれないし、僕はそう祈っているのだが、当時は国立大学は、現役生や一浪生や日本人学生を優先しており、二次試験に点数の傾斜が、かけられていた。


国の税金が、多く使われている国立大学だから、国策というものを反映しているのだと思う。



奈良県立医科大学は、入学者を比較的選別しないことで、知られていた。


だから、僕が共に医学を学んだ同期の約100人の内には、パリコレモデルや、40歳を過ぎている元銀行員や元会社員、30代後半の人、結婚してる人、お子さんが二人のお母さんや、元薬剤師さんや元看護師さなどなど、社会人になってから再受験した人も、かなりの人数がいた。



もちろん、医学部命の多浪生や、在学中に弁護士になりたいと思っている多浪生や、さらに有名どころの医学部に行きたいという仮面浪人の多浪生の人、日系の人も多く、驚くべきことに現役生が最大多数派でないくらい、様々な人がいた。


そして、バラエティ豊かな同級生たちと話すにつれて、自分の未熟さや人間としての偏りが、自分にも見えてきた。


当時、僕は18歳、今から振り返ると恥ずかしいくらい、若さに伴う、我こそ選ばれた者ではないかという、思い上がった気持ちでいっぱいだった。


でも、社会人としての人生経験もなければ、結婚もしていない。

マイノリティとしての気持ちを味わったこともない。

医学部を目指すために、仕事をしながら、通勤途中に懸命に勉強したり、家族の理解を得たり、そんな懸命な気持ちが、なかった。


医学部に入ったものの、こんな甘い考えや、環境で、一体どんな医者になれるというのだろう?


こんな僕で、人の役に立てるのだとうか?


常に自問自答する日が続いた。


自分自身が、医学生のイメージに捕らわれないようにしようと思った。


医者である前に、当たり前の人間でありたかった。


医者として、診察する時に、目の前の人の暮らしを出来るだけ想像して、多くの人に共感できるようになりたかった。


そして、様々なアルバイトをすることになるのだが、今でも、もっと色々経験したかったと、悔やむばかりである。

医学生がする定番アルバイトは、やはり家庭教師。

僕もしたけど、家庭教師のお話は後日に譲ろうと思う。


初めてのアルバイトは、工事現場でのアルバイトだった。

フロム○を見て、ガテン系の人材派遣会社に登録した。

早朝に新大阪の会社の事務所に集合して、同じ仕事先のアルバイトの人間、数人をアルバイトのリーダー格の人間が連れて行く仕組みだった。


アルバイトに入った経験や回数によって、アルバイトの階級が上がっていき、時給も上がっていく。


その仕事先で階級が最も上位の人間が、その仕事のリーダーとなって、リーダー手当てなるものももらえる。


その日のアルバイトのリーダー格のお兄ちゃんは、アルバイトらしからぬ風格漂う、大人だった。


一ヶ月に20回以上は、現場に入っていて、翌日の仕事のために事務所に集合するのが、大変なので、ほとんど事務所に寝泊りしていると、アルバイトのリーダー格のお兄ちゃんは言っていた。


カッコいい革ジャンを着ており、「すっごい稼いでるのかな?」

と思った覚えがある。


初仕事は、ビルの工事現場、もう建物自体は、すっかり出来ている。

軍手は各自持参で、事務所で安全ヘルメットを渡された。

現場監督のおじさんと、アルバイトのリーダー格のお兄ちゃんの簡単な打ち合わせの後、作業開始。


建物の外に駐車されたトラックで搬入された、一枚一枚が結構重い合板のパネルを数枚束ねて持って、階段をダッシュして四階に持って上がるのが、最初の作業だった。


力には自信があった。アルバイトのリーダー格のお兄ちゃんを除いては、同時に行っていたアルバイト4人の中で一番、多くのパネルを抱えて、最も早く走っていた。


ただ現場監督のおじさんには、物足りなく見えたらしい。


「ちょっとしか、パネルもっとらんのに、遅いぞ~、何をちんたら運んでるんだぁ~」

と檄をいただいた。


それからは、もう必死で、必死で

「ぐを~」と歯を食いしばりながら、より多くのパネルを、より早く運ぶことに、すべての力を注いだ。


そしてお昼の予定時間少し前に、無事に午前の部のパネル搬入作業が終了した。


お昼休憩になり、各自が早朝にコンビニで購入しておいた、弁当を路上で座り込んで食べていると、一足先に食事を終えた現場監督のおじさんが、僕のほうに近寄ってきた。


何か、怒られるのかな、と少し身構えたが、ニコッと笑ってみた。


現場監督のおじさんは、上機嫌で

「よく、頑張ったな~、偉い偉い」

と言いながら、僕にジュースをおごってくれた。


二人一緒にジュースを飲みながら、ふと賃金の話になった。

僕は、1時間で1000円いただいてる、と話すと、

びっくりされた。


どうやら現場監督のおじさんの会社自体は、人材派遣会社に、一人あたり、ほぼ倍の賃金を払っている、とのことだった。


「それだけ高い賃金をこっちは、払ってんのに、働きようが足りねぇように思えたから、ついつい怒鳴ってしまって、ごめんな。しかし、えげつない仕組みだね」

と、現場監督のおじさんは、しみじみと話した。


当時は、数多くの人材派遣会社が、栄えていた。

なるほど、人材派遣会社が成長するわけだ、と賃金の仕組みを知って、僕は納得した。


午後からは気持ちを入れ替えて、さらに頑張って働いて、アルバイト初日を無事終了した。

体は疲れ、足や腕が、がくがくとしていたが、何か新しい気持ちでいっぱいになった日だったことを覚えている。

医学生時代にお金がかかった事といえば、

学費や教科書代よりも、弓道部の部活を人並みにこなすことだった。



学費(僕の母校は公立だから年間50万円ポッキリ)は育英会の奨学金(今も少しずつ返済しています)をいただいていたので、大変助かっていた。


教科書は先輩が使わなくなったものを、出来るだけ譲っていただいた。

後々まで自分が使いたいと思える本は、自腹で購入した。

なぜなら、僕が使った後の教科書は、出来るだけ同様な状況にある後輩に譲ってあげたいからだった。

善意の流れを僕でせき止めては、申し訳ない。


弓道部の部活は、僕にとっては、結構お金がかかった。



以前のブログで紹介した西日本医科学生体育大会(西医体)以外にも、創部以来増えてきた、各校との対抗戦(岡山大学や京都府立医科大学、三重大学、大阪医科大学、名古屋大学、岐阜大学などなど)がある。


僕の母校は弓道部がある学校の中でも歴史が深い。

対抗戦もまた多い。


そして関西の全学部が加盟している学生連盟主催の弓道大会。

医学部以外の弓道部の学生の戦い方には、大変刺激を受けた。

高校から大学への進学を弓道の競技成績で決めるツワモノたちが、龍谷大学や、近畿大学や甲南大学、など強豪校には、ひしめきあっている。


僕たちと違って、射る矢の一本一本を的中させてやろうという執念に似た気持ちが、常に負けている気がしていた。

競技成績は、大人と子供のような差がある。



そして楽しい合宿。



西医体が終わったら、医学部だけでなくて、関西の全学部が加盟している学生連盟主催の秋のリーグ戦が、ほぼ毎週ある。


春先から、年末まで、コンスタントに試合やイベントがあるわけである。

そして、当然ながら試合の参加費や宿泊費、遠征費用などは、自腹である。


部活の際や、部活後に食事に行ったときに、一年生は、おごられ放題だが、裏を返すと、二年生からは、後輩におごることになる。



損な性分で、おごったりすることを、けちりたくない、という美学が僕にはある。

自分が贅沢しなくとも、先輩方から自分がおごっていただいたように、後輩には気兼ねなく、僕に対して、図々しいくらい、ゴチになって欲しいと考えた。


そこで、たくさんアルバイトをすることにした。


どんなアルバイトをしたか、というお話は次回に。

続く、、





『東北関東大震災チャリティーイベント』


として僕の手作りアロマ石けんを販売しておりました。


終了の期日が近づいてまいりました。

明日の日曜日

5月15日をもちまして、このイベントを終了いたします。


本イベントでは、


義援金として、日本赤十字社を通じ、

売り上げの経費を差し引いた収益全額を、

被災地へ寄付させて頂きます。


詳しくは、


こちらをご覧下さい。

↓↓


手作り石けんに出会った皮膚科医のお店


皆様で一緒に、


少しでも被災地・被災者を、助けましょうラブラブ


皆様のたくさんのご協力、

お待ちしておりますドキドキ 


Dr.かっちのブログ-ロゴ

by Dr. かっち


Dr.かっちのブログ-デラシネマ

これから、数年先、話題になるかもしれない作品です。


雑誌「モーニング」 誌 (男性誌ですが) で連載中のコミックです。


連載開始から、僕は引き込まれています。


久しぶりに大人でも楽しめる、丁寧な作りの作品です。


僕も映画が大好きで、いつか自分でも作ってみたい、という野望を持っているので、とても面白いです。



あらすじ


物語の舞台は昭和28年(1953年)の京都、太秦です。
主人公は、これから、黄金時代を迎える日本映画界の末端から頂点を目指す、助監督と大部屋俳優の二人。

映画にリアリティを求める二人は伝統の壁に突き当たって、挫折したり、干されたりしながらも、自分の道を突き進んでいきます。


先が予想できるストーリーではありますが、主人公たちの映画にかける強い思い入れや、映画を愛する人びとの輝きが丁寧に描かれています。

部活の楽しみといえば、夏の合宿でしょう。


卒業まで、弓道部内でロマンスがなく、

「奇跡の人」とまで言われた僕でしたが、

それでも合宿は楽しかった。


弓道部内では、男女半々という事情もあってか

実に三分の二の部員が常に、部内で恋愛していたので(汗)

僕はちょっと特異な存在だったかもしれません。


兵庫県のおじろ温泉の近くか、伊勢神宮付属の弓道場にて大体一年周期で、交互に合宿していました。


弓道の場合、直射日光はないけれど、

合宿では、夏にずっと屋外にいますので、

かなり汗をかいて、合宿後は、体が締まっていました。


やはり、夜遅くまで、先輩や後輩と麻雀したりも楽しいですが、


合宿名物と言えば、「飛ぶ」ことです。


「飛ぶ」とは、すっかり眠っている人の部屋に、他の人たちが乱入して、上に何人か、交互にバタバタと重なることです(当然、女子にはしませんよ)。


眠っている人は、いきなり体が重くなって、

「う、苦しい」と思って起きたときには、

体の上に乗っていた人たちは

「わー」と叫んで、部屋から出て行っています。


深夜一時過ぎたら「飛ぶ」の禁止、とかのルールがあったと思いますが、

馬鹿馬鹿しいけど、楽しかったです。


あとは、お風呂に後輩と入ったときに、

後輩が髪についたシャンプーをシャワーで洗い流していたのですが、

いつまでたっても、いつまでたっても、

泡が無くならない!?


ふっと上を見上げると、ニヤニヤしながら先輩が、

シャンプーをたらし続けている!

な~んて、いたずらもありましたね~。


そんな、おちゃらけな面もある合宿ですが、最終日となると

今までの幹部から、次代の幹部への引継ぎ式があって

今までの幹部の先輩が、それぞれの部活の思い出を述べるときには、自分が幹部学年でなくても思わず、もらい泣きしてしまって、


これからも、全医体優勝目指して、弓道がんばろう!

と決意を新たにしたものでした。


冬にはスキーによく部員たちで行ったのですが、

その話は、また後日ということで。

僕は、意外にくだらないことに凝っていたりする。


貴乃花親方の、表情もの真似、とか。


僕本人は、似ているのか、どうかも全くわからないのだが、

結構面白いらしい。



暇なときにする、ムーンウォークとか。


大学病院時代、つるつるの廊下で、ムーンウォークしていたら、濡れていて滑ってしまい、180度開脚してしまったという苦い思い出がある。


相撲部以来、また割りなんて何年もしていなかったので、痛かったし(汗)


ムーンウォークは、こつさえつかめば、スムーズかどうかは別にして、形だけは、結構簡単にできますよ。



僕は、弓道部以外に相撲部に入った。

同じく東大寺学園出身の先輩に誘われたことが、きっかけだった。


後輩が減ってしまうと、歴史ある奈良県立医科大学相撲部の存続が危うくなることや、弓道と同じく、体験したことがないスポーツがしてみたかったこともあった。


医学部出身の方はご存知だが、西日本の医学生で行う、西日本医科学生体育大会(西医体)という大会がある。



さらに全国の医学部生の頂点を決めるのが、全日本医科学生体育大会(全医体)という大会である。


全医体は、

西医体の優勝校、準優勝校、

東日本の医学生で行う、東医体の優勝校、準優勝校、


そして前年度の全医体の優勝校、準優勝校で、

優勝を争うことになっていた。


ちなみに弓道部は、西日本の医学部だけで30以上の学校にある。

僕がレギュラーメンバーを勤める、奈良県立医科大学弓道部は西医体で準優勝した。


そして全医体に出場して優勝を勝ち取ったわけだが、

医学部で人気のある部活の弓道部での

全医体優勝は、実際のところ難しかった。


一方、医学部生に全く人気のない相撲部。

西日本の医学部で相撲部があるのは、奈良県立医科大学のみであるので、常に西医体優勝である(笑)。



おそらくご存知ない人が多いだろうけど、相撲をとる時に腰にまく、「まわし」は、下に下着をつけることは許されない。

「まわし」は、素肌に直接しめるものである。


そして、「まわし」は、一人では決して着用できないので、「まわし」をしめるのを、手伝うのが、非常に上手くなった。


例えば、「まわし」を、下手にしめてしまったとしよう。

そして試合で、「まわし」が緩んでしまったなら、、、


「ポロリ」といった事態が起こってしまう。


「ポロリ」した者は、反則負けである。


猥褻物陳列罪になるって?いやいや、負けるほうが駄目でしょう。


だから、、「まわし」をしめるのを、手伝うのは、真剣そのものである。


さらには、「まわし」は、決して洗濯してはいけないので、入部時に自分が選んだ、誰が使っていたか分からない、お古の「まわし」は、自分専用の「まわし」として卒業まで死守した。


相撲部員にとって、練習すること、そして試合に、「まわし」を締めて出場すること自体が、大事なお仕事であった。


いくつかの試合に出場して、その後の宴会は、先輩のOBの先生たちから、いただいた軍資金で、多いに飲み、大いに騒いだ(笑)

ごっつあんです。




相撲部は部活の雰囲気も悪くないし、後輩の女子が相撲部員として女子の試合に出たりと、かなり面白かった。


弓道部は相手と戦うのに、直接触れ合うことは無い。

むしろ自分との戦いであり、「立って行う禅」といわれる一面がある。


その点、相撲は、「はっけ、よ~い、残った」の掛け声とともに

相手と、ぶつかり、押し合い、はたきあう。

闘争本能が書き立てられる競技だった。


相撲部では、目だった競技成績は残していないが、

全日本学生相撲選手権

(すべての学部の相撲大会で、優勝者には、大相撲で有名な力士が多数いる、とんでもなく大きな大会)

に出場して国技館の土俵で相撲を取ったことは、

今でも良い思い出になっている。



ちなみに僕の対戦相手は身長180センチ、体重100キログラムの、プロ力士予備軍みたいな、すごい学生力士だった。



当然、簡単に押し出されました。

怪我しないことも、大事なことでしたよ。