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「田」俳句会のブログ

月刊俳誌「田」発行人、水田光雄主宰の俳句結社「田」のブログです。

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東京句会としては今年最後の句会が、深川にほどちかい古石場文化センターで行われた。早めに来て吟行された主宰のお話では、江戸城築城の際、石垣に使われなかった石の置場であったため、古石場の名が残っているそうだ。

また、隣接の牡丹町は栽培用の牡丹園が多くあり、今も名残の牡丹が沢山冬芽をつけていたとの事、見慣れぬ場所に来たときは貪欲に吟行して句材を探す主宰の姿勢を見習うべしと、平成二十九年も押し詰まって、改めて思う次第でした。

講評は、今回は全体的に不満足な句が多かった。類句、類想、独りよがりを脱するべく、もっともっと勉強するべしとのこと。

気を取り直して一団は、古石場から月島の瀟洒な洋食店まで歩き、忘年会。ワインとイタリアンで俳句話に盛上った一夜でありました。



清水余人報

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土曜日、勉強句会が開かれました。主宰のお話に五感ということがあったから、席題は、

「目」「耳」「鼻」「指」「舌」

――それぞれに感覚的な句が、鼻鼻しく、出されました。


わたくし山斗士儀つねづね思うことですが、句会とは既にして勉強なのであって、句会でこそ得られるものがあるから句会に出る。それを殊更に、何を以て「勉強句会」と称するか。按ずるにそれは、的を絞ることにある。

俳句を学ぼう! 学びたい! だが単に学ぶだけなら誰にもできる。句も解説も批評も世に満ち溢れているので、できる。できないのは討議。断案。検証。それから又こう云うこともあって、つまり、良い俳句とは何か? そいつは広すぎる。著名俳人 X とは何者か? そんなら少しは取っ掛りがありそうだ。

かくてこの変数 X に、今年はたまたま、西東三鬼が嵌っています。それとて過去には誰彼のいろいろの俳人が嵌っていたのでして、すると畢竟、テーマは何でも宜しい。何でも宜しいがしかし、特定のテーマが、あることに拠ってこそ、勉強が捗る。的を絞るとはこのことで人類はそのように生れついているらしいのです。しかも、たとえば西東三鬼だとしたら西東三鬼を読もうとすれば自然と、その周辺までをも読まざるを得ないことになって即ち、主宰の思う壺です!

勉強句会の肝心の処は、「田」誌にて報告申上げるつもりにて省筆致しまして。ここには別のことに関して一個の私情を書留めておきたい。《うまい句》に就て、です。三鬼俳句の《危うさ》が、本日の話題の一つだったものですから、それに触発されて。

《うまさ》は、人を遠ざける。

この、三鬼からも主宰からもタスマニアデビルからも聞いたわけでない警句めいた思い付きが、わたくしの胸中に勝手に響いていました。一日一個の林檎は医師を遠ざけるそうですけれどもそれとは微塵も関係なく、エー何でしょう、その、所謂《うまい句》というやつはあたかも、神殿の建築みたいである。

神殿は、見目麗しく、技術の粋を凝らし、荘厳なので、観光客は嘆声を発します。しかし、それだけのことではないでしょうか? 観光客を騒がせたいのですか? 狙った効果が狙い通りの効果を挙げたのだとすると、予めそんなのは判っているので逆にがっかりしませんか? そこに神はおわしますか? なるほど大勢の人が喜んでいるようだけれども、作者は釈然としないのであった。人が中に入って来てくれません。結果的に人を遠ざけています。

何だか知らんが《うまい》作品を、ついつい、作れてしまう秀才の、懊悩はそこにありそうです。腕前あまって心忘るる――。そんな諺はありません、ありませんがありそうな気がするとしてだがしかしこの場合、心忘るるではなくって心ぶっ飛ぶとでも云うべきか。神殿を築く愉しさあまりに、足元の蠅を踏み潰してやしないか。元来が、俳の心とはたぶん、吉野の桜よりも台所の蠅にありますね。これを反知性主義と曲解してはまずいと考えるのですがそれでも、誤解を防ぐため千万言を費すよりはむしろ誤解を愉しむほうをこそ選ぶのが俳なのであるらしい。

人の目に気を配ること、それは取りも直さず、人間性の恢復です。人間なる語の「間」に重きを置いてそんな風に思っています。世間を気にして行動を慎むのと、世間を気にして行動を飾るのと、世間を気にして行動するのと、これら三者はそれぞれに異質でしょう。《危うさ》の西東三鬼という人はおそらく、世間を気にして行動した人なのであったろうと見られます。


混沌たる柿。


平野山斗士 記

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田誌、10月号の「歳時記にしひがし」で紹介させていただいたモミジです。ちょっと目を離したすきに一番綺麗な時期が過ぎてしまったのかもしれません。今朝、赤くなっているのに気が付いて写真を撮りました。ちゃんと赤くなっているので、うれしいです。

          

 

すっかり冬らしくなっていましたが、なぜか今日は汗ばむほどの気温です。風が強いようですが、温かくて木枯しとはいえません。ですが、明日の最高気温は今日より10℃は低いという予報。あいかわらず寒暖差の激しいアーカンソーです。家も庭も落ち葉に埋もれています。さらにどんどん落ちてきています。

 

 

 

 

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いつもと趣向を変えて、今回は初めて月島の佃区民館での句会。早めに来て界隈の吟行を済ませた人もちらほら。心掛けの違う人は成績にも明らかに。

選句、披講と進み先生の講評へ。助詞一つで句が見違える。報告にならないために、如何に我慢をするか。読者の想像を拡げるための省略の実例を幾つか示して頂く。分かっていても、ついつい補足した言葉をバッサリ削る勇気を常に持ちたいものだ。敗荷と枯蓮の季節と状態の違いも勉強しました。

二次会はもんじゃの街に来ながら、敢えての洋食。まるで朝ドラの「すずふり亭」の佇まいとマダム。主宰はここのマダムから15年前に子猫を貰い受け、今に至るとか。田創刊15周年の裏にこんなエピソードのあったことを知った一夜でありました。



清水余人 報

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前日の好天から一転してポツポツと雨の降りだした十月二十八日の午後、勉強句会を行いました。

 

本日の主宰の「西東三鬼を読む」は「四つの甘え」です。

 

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三鬼は俳句論・作句論をほとんど書かず、実作者として身をもって俳句とは何かを示した。今回は、三鬼としては珍しい俳句論を紹介したい。「天狼」昭和二十三年一月号に掲載された「酷烈なる精神—新人諸君へ」と題した一文である。三鬼はこの中で、俳句には四つの甘えがあると語っている。

 

①我々は詩形に甘えた。

我々は十七音くみやすしとし、鼻歌のような十七音をもって俳句と号した。十七音という短さは鋼鉄のように酷烈なものでなければならない。春秋的精神ではなく夏冬的精神でなければならない。

 

②我々は技術に甘えた。

我々は己の最善の技術、俳句テクニックを楽しむ傾向がある。うまい俳句・俳人より、よい俳句・俳人、いかに詠ってあるかではなく、何が詠ってあるかを見るべきである。俳句の進歩を止めているものは技術の偏重にある。

 

③我々は季節に甘えた。

我々は季節を重視するあまり、春夏秋冬を一歩も出られない。俳句は自然現象を表現するものではない。季節は根元に達する門である。奥の奥に門ではなく根元がある。

 

④我々は分野に甘えた。

俳句は俳人同士の合言葉に従ってつくられるが、合言葉の通じない人を素人として軽蔑する、俳句をつくれない人には全く通じない、そんな文芸はどこにもない。俳句を工芸品とする人の手から文芸品としなければならない。裸で通用する俳句をつくらねばならない。

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有季定型を信条とする私たちが学ぶべきことは、よくよく考えて五七五に収めること、大切なのは技術ではなく何を言いたいか、いい加減な(動く)季語を持ってこない、俳句を知らない人にもある程度わかる、ということかなと思います。いろいろ思い当たることがあり、耳の痛い話です。

 

そして、句会の席題は知世さんが選んだ「子」「実」「石」「少」「深」。

主宰にほんの少しでも近づくようにがんばらなくてはと思った句会でした。

 

ジェットコースターのような天気が続きます。

ご自愛ください。


 

(千恵子記)

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世の中、急に寒くなったようだが、みんな風邪ひくなよ!

吾輩の温石は例のごとくテレビチューナーである。一日中暖かい。

吾輩の尻尾は結構長いといわれるが、それほどでもない。

飼主は、ときどきカラオケで堀内孝雄を歌っているらしい。

♪「青春(ゆめ)の尻尾につかまって、もうひと頑張りか~」

…気持はわかるが、あんまり頑張らないほうがいいと思うよ。

どうせ死ぬんだから。



おつみたずみ

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前日とは打って変わって、初冬の寒さに小糠雨と東京は炬燵で丸くなりたいような天気となりました。

会場は何時もと違う新場橋区民館とて間違える人もいましたが、ほぼ定刻に句会開始。先月のかがやき句会の余熱も覚めやらず、金沢や富山、その後の白川郷、郡上八幡などの吟行句も多く見受けられました。やはり俳句は旅をするに限ります。

二次会では主宰より、今日の句会を踏まえて、俳句は意味ではない、俳句は空間。風船のようにふわふわーとした空間を作ってその中で作り手も読み手も遊ぶもの。俳句は仕事ではないので苦しんでまでやるものではない。楽しんで作りましょうとのことでありました。



富山の中島閘門です。

 

清水余人 報

 

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またまた大変遅くなってしまいましたが、

9/16(土)に席題句会を開催いたしました。

 

席題は、

「流」「敬」「家」「小」「麻」

「稀」「所」「里」「胴」「別」

でした。

 

この日は、もう9月中旬といえど、まだまだ秋暑しといった感じの日でした。

ですが、出席者の句では、さわやかな青空が広がるようなものが多かったです。

敬老の日が近いということもあり、少しばかりしみじみとさせる句もありました。

 

主宰からは、改めて句会とはどういうものか、俳句を詠むとはどういうことか

といったことを考えさせられるコメントをいただきました。

「点数が入ったからといって、良い句とは限らない。

 でも、点数の入らなかった句は、どこか問題があるのだと考えて、

 よく見直すべきである」

 

何か、俳句に限らず、生きるということにまでつながるような、含蓄のある

お言葉でした。

 

ところで、明日(というかもう今日)の9/30(土)は、東京のメンバーは

金沢まで句会に伺わさせていただきます。

田誌ではお見受けしていても、初めてお会いする方が多く、とても楽しみです。

ぜひ金沢のみなさま、よろしくお願いいたします!

福山雅治に似た男が句会場に現れましたら、それが上野犀行でございます(笑)。

 

私は、明日(というかもう今日)は、朝5:30に起きてうかがわなければならないのですが、

だいじょうぶなのでしょうか!?

 

添付は、東京のメンバーが前回吟行したときの写真です。

また金沢でも、多くの佳い句に出会えますように。

 

上野犀行 記

 

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今週で9月も終わりで、日も短くなりつつ、朝も7時にならないと明るくならないのですが、アーカンソーではここのところ毎日30℃越えです。

 

でも、空の色は秋めいているでしょうか。すでに落葉だけは積もって散らかり、掃き掃除などしても無駄。といって、これから半年ほったらかすわけにもいかないのですが。

 

秋の草花が綺麗に咲いています。道端にはキバナコスモスと思われる花の群生がみられます。10月に入ったとたんに気温も秋らしく、過ごしやすくなると思います。さわやかな季節になります。

 

 

 

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九月二十三日、夜来の激しい雨も昼近くには上がったお彼岸の中日、勉強句会を行いました。

 

第一部、本日の主宰の「西東三鬼を読む」は「秋の暮大魚の骨を海が引く」です。

 

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この句を最初に読んだとき感じたことが三つある。

季語の「秋の暮」は動かないだろうか?

「大魚の骨」とはどんな魚の骨だろうか?

骨を引くのは海ではなく波ではないか?

 

高柳重信が「天狼」に次のように書いている。

 

―――――――――

最近、刊行された西東三鬼句集「変身」には、誓子執筆の序文が載っている。その後尾の方に、僕は次の数行を発見した。

 

秋の暮大魚の骨を海が引く

 

この「大魚」を私は、常凡の大魚とは思はず、古代の爬虫類のやうなものを想像し、博物館に陳列されてゐる爬虫類の白つぽい骨を想像する。

地球の秋の暮に、海はそのやうな大魚の骨をぢりぢり引き込もうとしてゐるのである。

この句を私は、三鬼氏が苦労して作りつづけて来た新しい俳句の一つの典型だと考へる。

厳然とそこに三鬼氏がゐる。

このことを告げて三鬼氏のために喜びたい。

 

正直なところ、僕は、これを読んで、しばらく呆然とした。なぜ殊更に、この「大魚の骨」から、博物館に陳列されている爬虫類の白っぽい骨などを、賢しげに想像しなければならないのであろうか。そして、なぜ、「地球の秋の暮に、海はそのやうな大魚の骨をぢりぢり引き込もうとしてゐるのである」などという、ひどく意気込んだ文体で、わざとらしい昂奮をしてみたり、あらたまって三鬼を「厳然」とそこに立たしめたりする必要があるのであろうか。ここには、単に、むりやりに意味を見出そうとする空しい思いだけが空転しているにすぎない。たとえば、この作品を、素直に平凡な海浜の風景として見ることは、果たして間違いなのであろうか。(中略)これは、三鬼の創造した彼の俳句様式のもつ力であって、それ以外の何ものでもあろうはずはないのである。

―――――――――

 

三鬼の俳句は深読みしないほうがよい。作品に意味を見つけようと深入りすると、本来の表現したい俳句とずれてくる。三鬼には「神戸」「続神戸」「俳愚伝」などの自伝的散文があるが、これらはフィクションとノンフィクションが入り混じった創作である。三鬼の句を読むとき、我々は散文と俳句を結びつけがちであるが、俳句として独立した作品として鑑賞すべきである。

*************************

 

第二部、本日の句会の席題は、「大魚の骨」から『骨』、参加者の発表から『角』『乱』『赤』の四つ。五十分後に四句提出でしたが、いつもながらみんなよく思いつくなあという句が並び、主宰から一句一句、講評とこうすればもっとよくなるとアドバイスをいただき終了しました。

 

 

(千恵子記)

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