挑発行為に正当性はない〈中〉 | だるま親雲上日日記

挑発行為に正当性はない〈中〉

ぬこ挑発

 そこで、「ウルトラ長崎の考え」の主要な過ちをチェックしてみましょう↓。
http://ameblo.jp/ultranagasaki-westend/entry-11938047015.html
 まず、モンテディオ山形におかれては、公式にサポが挑発的行為を行ったとして公式に謝罪したことに対し、
 「我々ウルトラ長崎は、この謝罪を断固として拒否させて頂きます。
 なぜなら、何も謝罪されるような行為はなかったと考えているからです。」
として、相手の誠意を足蹴にしています。これこそ、社会ではまず通用しない無礼です。「いいようのあれー、ちちようのあん(いい方というものがあるなら、聞き方というものもある)」と、沖縄では申します。このようなものいいからして、既に自らが優位に立とうという意図が丸見えです。
 本気で議論を提起しようというならば、まずは相手の誠意を認めた上で、持論を展開しなければなりません。即ち、これでは「ケンカを売っている」中学生のようなものです。
 次に、Jリーグが掲げる「ソーシャル・フェアプレー」をやり玉にしていますが、「挑発行為」というものが、そもそも社会的に許容されるべきものではありません。果たして、ここまででウルトラ長崎に、社会的認識がないことが白日の下に曝されました。
 「みっちゃいゆりばしきん(3人寄れば世間=社会)」と、沖縄では申します。社会的認識とは、人々が寄り合って暮らす以上、お互いが融通するべき範囲を認め合うことではないでしょうか。それを逸脱し、あるいは相互に認めることが出来ないとき、初めて「法」という縛りが必要となります。
 そう考えれば、わざわざ「憲法」を持ち出して、主張しなければ、自らの持論の正当性を主張出来ないところに、ウルトラ長崎の論理が、いかに稚拙であるかを露呈しています。
 そして、Jリーグの観戦ルールを挙げて、
 「観戦ルールのJリーグ統一禁止事項に、『差別的、侮辱的もしくは公序良俗に反する言動の禁止(※当該言動が上記に該当するかは主管クラブが判断することとします)』と言うのがありますが、挑発行為が禁止とはなっていません。」
と断ずるにあっては、ことば遊びをしているだけで、いわゆるクレーマー的な発想であり、掲示規定に該当する言葉がなければ、それは逸脱していないとする、甚だ手前味噌な論理へと導いています。〈続く〉