初めまして!南の島のだるまと申します!!

 南の島=沖縄から、極私的な日記を綴って参ります。

 従いまして、あまりの独断と偏見に嫌気がさすという方も、少なくないかと思いますが、そのときは、どうか速攻でスルーしていただければと存じます。あはは。

 とりま、Free!とアニメ、ぬこたちやら、5人だった東方神起にK-POP、韓国のことなんかがネタになってます。

 こんなだるまですが、皆様よろしくお願いいたしますっ!!


 でもって、HP「だるまさうし」 へも足を運んでいただきますよう、お勧めいたします(^-^)ノ~~。

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2016年08月26日(金)

歴史的浦富海岸めぐりパンフ①

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 岩美町の観光といえば、歴史的に岩井温泉、浦富海岸となるのでしょうが、昭和チックな香りがプンプンと漂うパンフやチラシを手に入れたのでご紹介いたします。いずれも年代が明確ではないので、どなたかご存じの方がおいででしたらご教示いただけますと幸いです。

 

 

 まずは、山陰松島遊覧船のり場事務所発行のパンフです。「さぁどうぞ山陰へ」というキャッチフレーズが表紙の左上に記されています。どうやら鳥取県で設定したもののようで、ロゴが共通して使用されています。提携していると思われるバス会社が日ノ丸バスとサワタクバスとなっています。電話番号が「(大谷)670」ということは、交換手を通してかける方式でしょうか。だるまが幼少の砌、電話機にハンドルがついていて、それを回すと交換台が出て、「大谷の670番お願いします」というと、繋いでくれるという方式が残っていました。

 

 

 2つ折の頁を開くと、「名勝及天然記念物浦富海岸」の解説があり、1963(昭和38)年に国立公園になったことが記されていますから、このパンフはそれ以降に出されたことがわかります。

 

 

 中央部には遊覧船の「ごあんない」があり、料金は大人が180円になっています。遊覧船は50人乗りが2隻、40人乗り、12人乗りがそれぞれ1隻ずつありました。

 遊覧船が発着する岩本桟橋までのバスは、鳥取砂丘と岩井温泉から20分、岩美駅から15分、鳥取駅から30分と、存外に便利ですね。

 

 

 パンフ内側の向かって右の頁は、鳥取砂丘、浦富海岸、松葉ガニの写真が掲載されています。写真は凸版印刷なので網点で構成されています。この方式だと拡大したときに黒い点々が目立ちます。

 

 

 最後の頁には「国鉄周遊指定山陰海岸国立公園砂丘と浦富海岸島めぐり観光案内図」が掲載されています。

 定期観光バスがサワタクバス(さざなみ号)と日の丸バス(日本海号)で運行されていたことがわかります。1~2月はお休みしていたようですが、3、6、9、11月は土曜日、日曜日、月曜日と祝祭日のみ運行の3台と、4月15日~8月15日まで毎日運行の1台があったようです。料金は大人500円です。

 ここでいうサワタクバスは、1948(昭和23)年に大岩ご出身の澤春蔵氏が設立された澤タクシーが、1952(昭和27)年からバス事業もはじめられ1966(昭和41)年8月に日本交通と社名変更するまで呼ばれた社名です。

 すると、このパンフは1963(昭和38)年から1966(昭和41)年8月までの間につくられたことになります。

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2016年08月25日(木)

城原海岸から見る菜種五島の歴史

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 『Free!』聖地巡礼で最大の難所は、田後から網代へ向かう県道155号線。あっぷ、あっぷの道でして、久々に自転車をこぐ者にとりましては、かんりきつかったです。でも、その苦労をした分の見返りは素敵な風景でした。

 『Free!』で無人島合宿をする際に登場した景色。覚えていらっしゃいますね。城原海岸から見た菜種五島です。

 ふふふ。もちろん撮影しましたとも。で、最近手に入れた絵葉書にも、同じ場所から撮ったものがありました。

 

 

 まずは、八杉写真館のもの。「内務省指定天然記念物名勝保存地域山陰浦富城原海岸」とあります。浦富海岸が内務省から天然記念物に指定されたのは1928(昭和3)年ですから、それ以降のものです。左手の海岸沿いに民家(別荘?)が見えます。

 

 

 そして、お次は着色写真でして、裏に「鳥取県岩井温泉附近の名勝国定公園浦富海岸の風光」とあります。11日にご紹介した岩井温泉の「ゆかむりの塔」の絵葉書と同じシリーズのようですから、1958(昭和32)年以降と思われます。この絵葉書にも、左手の浜に建物が見えます。

 

 

 そして、だるまが4月25日に撮影したもの。建物は見えませんが、みんな同じアングルでも大差ないのが面白いです

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2016年08月24日(水)

岩美町、今は昔のお楽しみ【下】

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 つまんない江戸時代を終えて明治時代に入ると村芝居が活性化します。田河内には、但馬から来た大工がつくった舞台がありましたが、それ以外は仮小屋をつくって演じました。

 田後は4月20~21日、荒金は旧暦6月7日、蒲生や岩井にもありました。

 古くは浄瑠璃で歌舞伎芝居を演じていましたが、大正から昭和には現代劇が演じられました。お代は取りませんが、「花」と呼ばれる心付けで費用を賄いました。

 第2次世界大戦で一時廃れましたが、戦後も演劇が文化活動として取り上げられ、小学校の講堂で演芸会が開かれました。

 村芝居は、野立小屋を設けるところからはじまり、稽古には2ヶ月はかけました。満天の星空の下、筵を敷いた桟敷で一杯やりながらの芝居見物は、娯楽に乏しかった時代には何よりの楽しみでした。

 岩井では旅回りの芝居一座を招いていたといいますから、こちらはプロのお芝居観劇だったんですね。

 町浦富には昭和館という専門館がつくられ、芝居だけではなく映画も上演されるようになります。戦後もしばらくありましたが、今では取り壊されて残っていません。

 岩井には本格的なつくりの岩井座があり、連日公演がありました。歌舞伎、旧劇、新派、喜劇、連鎖劇、浪花節や活動写真が入ることも。芝居茶屋までありまして、お茶子さんが座布団、火鉢、飲み物のサービスをしていたといいます。

 1881(明治14)年、鳥越から鳥取警察署へ出された芝居興行願が残されています。そう、あの「どんづまりハウス」がある、あの鳥越です。この当時は、40余軒あったそうです。

 沖縄では、やはり昭和館や岩井座のような演芸場は、都市部の那覇に集中していました。そのかわり、「芸能の島」の名にし負う村芝居が各地で盛んに行われていました。国指定重要無形文化財「組踊」が古典的な楽劇として有名ですが、沖縄本島北部の集落には、その技芸を極めた役者を招いて、村芝居で演じられる「組踊」を指導してもらっていたところもあります。

 今でこそ女性たちが伝統芸能の継承に大きく貢献していますが、元来は女人禁制でした。これは村芝居でも同様です。だるまがお話をうかがった名護市のお爺ちゃんは、名女形として集落中に名を轟かせ、他所の集落からも引っ張りだこだったとうかがったことがあります。恐らく、岩美の青年にも名優がたくさんいたのでしょう。遙や真琴には、ちょっとハードルが高いかも知れませんが、存外にロマンチストの凛は上手かったりするかも知れません。あはは。

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2016年08月23日(火)

岩美町、今は昔のお楽しみ【上】

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 今でこそテレビも地上波のみならず、BSやらCSやらもありまして、24時間楽しめるようになりました。沖縄では日テレ系、テレ東系の局がないので、地上波の番組には制限がありますが、わが家ではCSに入っています。

 先日、うちの自治会でも夏祭りが行われまして。沖縄の伝統芸能をアレンジして、パンチのある舞台を披露してくれる「美らさ(ちゅらさ)」を呼んで盛り上げてもらいました。リーダーのお家が自治会員だもんで(^o^)

・美らさHP

http://churasadrum.jimdo.com/

 さて、岩美町でもその昔は、様々な芸能を楽しんでいたようです。『新編岩美町誌』によると村芝居に人気があったとのこと。ただ、江戸時代の鳥取藩は、かなりお堅かったようで1805(文化2)年の「在方御法度」によれば、芝居などの催しを禁止していました。

 1832(天保3)年、不漁が続いて困り果てた網代の若者たちが、「万歳」を秘密裏に企画してバレた事件がありました。

 このころ、不漁が続くと灘祭りを行って景気直しをすると、漁が好転すると信じられていました。お取り調べの口上には、「鯨追善並びに竜宮勇めのために万歳様の賑」を企画したとしています。

 ちゃんと芸人を呼んで宿も決め、道具類も但馬の千谷村から借りる手はずを整えていました。

 ところが、こういうことは村役人にも咎がおよぶ時代です。たちまち発覚してしまったというわけで。

 江戸時代の庶民生活は、とかく縛りが厳しかったようですが、届け出でさえすれば、寺社の勧進興行、氏神様、盆踊りなんかは認められていたそうです。

 まぁ、氏神様のお祭りやお盆を禁止したりしたら、一揆が起こっていたかも知れません。あはは。したたかなのはお寺や神社。修理などにお金がかかるときは、勧進興行を行って稼いだわけです。羽振りがいいお坊さんや神主さんには、白い目が向けられたりしたのもその辺の理由からでしょうね。

 「阿波の殿様蜂須賀公が今に残せし阿波踊り」

で、知られる徳島の「阿波踊り」なんてのは、例外中の例外なんでしょうね。年に一度のガス抜き術を心得ていたということでしょうか。

 琉球王府時代もムラでの歌舞音曲は取り締まられていましたが、度々禁令が出ているところをみると、さすがは「芸能の島」といわれるだけのことはあります。

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2016年08月22日(月)

岩鳶中学校水泳部廃部?

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 去る17~20日、平成28年度全国高等学校総合体育大会水泳競技大会・第84回日本高等学校選手権水泳競技大会が、広島市総合屋内プール(広島ビッグウェーブ)で開かれました

http://www.swim.or.jp/upfiles/1456795176-16-10-00_2016Interhigh_hiroshima.pdf

 男子400mメドレーリレーの記録は、3分58秒72でした。

 『Free!』では、ESで遙、真琴、渚、怜が6位入賞したあの感動のシーンが、また沸々と甦ってきます。若い力がどんどんと伸びて、リオデジャネイロオリンピックで活躍した萩野公介選手や瀬戸大也選手を脅かして欲しいものです。

 マジに遙や凛がオリンピックの舞台に立つ物語が、新しい作品で見られるといいなぁとも思います。ただ、そうなると入賞だけではどっかからクレームが来そうですね。あはは。

 それでも、御子柴清十郎や桐島夏也とか、有望な選手の活躍というのも物語としては横糸をガッツリ編めるように思いますし、存外に郁弥や百太郎がのし上がってくるなんてのも面白そうです。

 あるいは、芹沢尚、宗介なんかが名伯楽として、ライバル対決なんてのもありかな?

 とりま、妄想は広がるばかりですが、現実に目を向けると淋しいニュースが飛び込んできました。岩美町立岩美中学校の去る7月6日付け『若鷲の坂』平成28年No.4によると、なんと水泳部が廃部になるとのこと

http://cmsweb2.torikyo.ed.jp/iwami-j/?action=common_download_main&upload_id=2126

 「水泳部最後の東部水泳」と題された記事によると、7月1日に開かれた東部地区中学校水泳競技大会に水泳部を中心に構成された9人の選手が出場。部長が選手宣誓も務めました。

 大会成績は、男子が2・3年50m自由形で6位入賞。女子は、3年100m平泳ぎで3位、4位、2・3年50m平泳ぎで3位、6位と健闘しました。

 廃部の理由は記されてはいませんが、映画『ハイスピード』封切りから半年余り。その舞台として描かれた岩美中学校から水泳部がなくなることに、一抹の淋しさを感じるのは、『Free!』ファンのみならず、そこで青春時代を送られたOB、OGの皆さんはじめ関係各位には、万感迫る思いではないかと拝察いたします。

 そして、エターナルサマーとなった生徒の皆さん。これからも水泳を愛し続けて下さいね。

 

 

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2016年08月21日(日)

岩美町出身オリンピック選手

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 やはり、4年に1度のオリンピックというのは盛り上がりますね。今回のリオデジャネイロオリンピックも、様々なドラマが世界中の人々に感動を与えました。もちろん、日本選手の大活躍には心躍るものがありました。

 ふと、岩美町からオリンピックへ出場を果たしたアスリートがいないかと思い、『新編岩美町誌』をめくりました。すると、おいでになりましたよ!ウェイトリフティングの西本宣充さんです。

 1978(昭和53)年、岩美町は鳥取県で7年後に開催される予定のわかとり国体ウェイトリフティング会場に選ばれました。そこで、町でも選手を育てようと、1981(昭和56)年、岩美高校にウェイトリフティング部が創設されました。そこに入部してきたのが西本宣充さんです。

 西本さんは、1968(昭和43)年、大谷に生を受けられました。小学生のころから体格がよく、明朗で活発な少年でした。中学校では陸上砲丸投げの選手でした。

 ウェイトリフティング部に入ると、1984(昭和59)年のインターハイに出場し、82.5㎏級で優勝。1985(昭和60)年のわかとり国体では、大会新・高校新記録を挙げて優勝。

 その後、日本体育大学へ進学されますが、卒業後は地元へ戻り、高校教師としての道を歩まれます。

 1992(平成4)年、バルセロナオリンピックに日本代表選手として出場。100㎏級で8位に入賞されました。成績は、スナッチ105㎏、クリーン&ジャーク207.5㎏、合計372.5㎏でした。

 1996(平成8)年のアジア大会では、99㎏級に出場され、スナッチ167.5㎏、クリーン&ジャーク210㎏、合計377.5㎏の成績を挙げられます。

 同年、アトランタオリンピックに再び日本代表選手として出場されましたが15位に留まり、連続入賞は逃してしまいました。そのときの後援会HPが残されていました

http://www.infosakyu.ne.jp/~nisimoto/index.htm

 鳥取県のウェイトリフティングの指導者として活躍されていますが、岩美高校で教鞭をとり、部の顧問として後進の育成に努めておられます。

 ウェイトリフティングは、今回のオリンピックで、沖縄県南城市出身の糸数陽一選手が4位入賞を果たしましたから、とても親しみを感じます。岩美高校出身の新進気鋭の選手と、東京オリンピックを目指して切磋琢磨できるといいですね。

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2016年08月20日(土)

イクメン「わぐちゃん」?

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 『Free!』ファンで知らない方はいないビーチインたけそうさん。そのフロントは、ファンの皆さんのお供えが日々増えているそうで、『Free!』祭壇と化していることでも知られています。
 だるまが訪れたとき、その祭壇に1冊の小さなアルバムを見付けました。タイトルは『ありがとう!わぐちゃん』。そこには、なんとも愛嬌にあふれ、幸せそうな黒いニャンコの写真が綴られていました。
 お母さんにうかがうと、昨年病気で亡くなった愛猫「わぐちゃん」の写真をアルバムにして、ファンの方が下さったとのこと。お話をされながらもウルウルしておられるので、どれほど愛しておられたのかが伝わります。
 だるまもその写真を通じて、「わぐちゃん」がとても愛され、本当に満足している顔が忘れられなくなりました。
 「胸のところに白い三日月のような柄があって、ツキノワグマみたいなので、『わぐ』と付けました。」
 なるほど、立派な三日月があります。右耳の先っちょが「V」に切れていたので、いわゆるサクラ猫かと思いきや、ケンカで付いた傷とのこと。お家で見せる柔和な表情とは異なり、外では結構やんちゃしていたみたいですね。
 お父さんやお母さんだけではなく、ファンの皆さんにも愛された「わぐちゃん」。だるまは、京都アニメーションの皆さんにも愛されていたのではないかと思っています。
 映画『ハイ☆スピード』に出てくる黒猫。はじめは独りで出て来ますが、エンドロールでは4つ子と一緒に描かれています。「わぐちゃん」は男の子だったようですが、雄猫の中にもイクメンのコもいるんですよ。
 最初の場面の顔つきは、どうみても男の子。エンドロールでは背中からなので、ハッキリとはわかりませんがイクメン「わぐちゃん」ではないかと勝手に思い込んでいます。
 しかも、遙と真琴の通学路にいるのですが、どこかで見た場所ですよね。そう、ビーチインたけそうさんの海岸側ですよね。
 ファンの方がこしらえたアルバムに写る「わぐちゃん」は、どれもイクメンしそうな柔和な顔つきですし、当然お家の周りは縄張りのはずですから、きっと彼がモデルなんだと主張したいと思います。
 皆さん、どうでしょう?




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2016年08月19日(金)

岩美町長さんの思い【下】

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 さらに、榎本武利町長さんは、2015(平成27)年12月定例会12月15日に、
 「(前略)実は総合戦略を策定をしていく中でトワイライトエクスプレス、ジオパークあるいは今起きておる『Free!』の岩美町のにぎわい、こういったものも文言として入れる必要があるというふうに職員も考えましたし、そういった戦略にも現実に起きておること、これから岩美町に来る部分も含めて、それ自体が夢ではあるわけですけれども、やはり岩美町に住んでいる我々が大きなたくさんの資源を持ち、恵まれた町に我々は暮らしているんだということをまず自覚をし、自信と誇りを持つことが必要であります。そのことによって岩美町の活性化が持続可能になっていく、そういう町を目指さなければならんというふうに思っております。とりわけ戦略で掲げるチャレンジする若者が集う町という、単に活力と元気がみなぎるということよりも、さらに踏み出して若者のチャレンジというのが際立つような町でなくてはならんだろうというふうに思っております。
 戦略に掲げたとおりでありますけれども、そうした我々先祖から引き継ぎ、そしてまた全国からも認められるような自然であったり、資源を持っておるということを生かすまちづくりということでございますし、子供たちが生まれやすい、そして子供を自分たちも生むんだということ、その前段には結婚のこともありますけれども、安心して暮らせるまちづくりということで取り組む、その中で帰ってきたい、あるいは住んでみたいと言っていただける町を目指していきたいというふうに思っております。極めて抽象的な表現になりますけれども、やはり町民の皆さんがある意味共通認識で協力し合い、支え合っていくということをつくっていかなければならんだろうというふうにも思っておるところであります。」
と、答弁されています。
 榎本町長さんのお考えは、『Free!』現象によって町民の皆さんが町の良さに気付き、自信と誇りを抱いて欲しい、そのことが町を活性化する原動力になるということだと思います。勿論『Free!』がもたらす効果は、どれだけ持続するのかはわかりません。しかし、町民の皆さんお一人お一人が「人財」として、それぞれにできる小さな事から取り組むことで、まち興しが持続可能になるといえるでしょう。その一助になるかどうかはわかりませんが、岩美町の良さをだるまも掘り起こしながら、再び「帰郷」する日を目指していきたいと思います♪
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2016年08月18日(木)

岩美町長さんの思い【上】

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 『Free!』シリーズの映像化が進行中とのことで、恐らくは岩美町でも期待を寄せている方々が少なくないと思います。たとえおもな舞台が東京になったとしても、遙や真琴の根っこは岩美町にあるわけで、ファンがそのことを忘れるはずがありません。あるいは、ストーリーの中で行き詰まった遙や真琴が帰郷して、田後港や荒砂神社、浦富の浜辺で初心を思い返し、新しい息吹を感じるかも知れません。
 そういう意味でもシリーズが続く限り、『Free!』の岩美町は「岩鳶町」として、ますます注目を集めることでしょう。そして、さらに多くのファンの心を鷲づかみにして、「故郷」として繰り返し帰郷してくれることでしょう。
 ところで、岩美町の議会で『Free!』が取り上げられていることをご存じですか。会議録を検索するHPを利用して「Free!」と入力すると、2013(平成25)年から2016(平成28)年3月までに46件のヒットがありました↓。
http://www2.gijiroku.net/town.iwami/
 最初は2013(平成25)年9月定例会9月17日に企画財政課長さんが「議案第59号平成25年度岩美町一般会計補正予算(第3号)」の説明をする中で登場します。
 そして、最も多くのヒットがあったのは、2013(平成25)年12月定例会12月17日です。議員さんの質問と榎本武利町長さんの遣り取りで22回登場しています。
 その内容を読んでいると、議員さんたちが『Free!』を前向きに捉えて乗っかろうという立場なのに対して、やはり榎本町長さんは慎重にことを進めようという立場です。ことに、京都アニメーションさんとの関係については、かなり後ろ向きな答弁をされています。
 しかし、岩美町を訪れたファンがご当地の皆さんが温かく迎えて下さることに感動して、リピーターとなっておられることに触れ、
 「実は、こういうブームを起こすアニメーションのいわゆる背景、ロケ地というのは、観光地の有名なところはほとんどないんです。そういう意味では、浦富ちゅうのは余りメジャーになってないということの反面、どこにでもあるような日本の田舎であって、そして漁村であって、暮らしのにおいがもうするというような、むしろ景色ではなくて人々の暮らしに背景が用いられておるというふうに、ずっと全国のそういうアニメブームを起こしたところの様子を聞いたりすると、まさにそういうことが言える。決して鳥取砂丘が出てこんということからしても、やっぱり失いつつある日本人の心のどっかを呼び覚ますようなことが火をつける一つにもなっておるだろうと思うし、そういうことからすれば、やはり岩美町に暮らしておる自分たちが、もっとこの町に自信と誇りを持つべきだというふうに考えるわけであります。」
と答えておられます。
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2016年08月17日(水)

『Free!』シリーズ新映像企画進行中!!

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 去る14日、東京・有楽町マリオン9階にある丸の内ピカデリーで、映画『ハイ☆スピード!』のBlu-ray&DVD発売記念舞台挨拶が行われ、その様子は全国20ヶ所の映画館でもライブ・ビューイングが行われました。もちろん、ご当地鳥取でも、MOVIX日吉津でLVが開かれました。
 その舞台には、七瀬遙役の島﨑信長さん、橘真琴役の鈴木達央さん、椎名旭役の豊永利行さん、桐島郁也役の内山昂輝さんが登場。ツイッターを見てますと、解禁と同時にファンの興奮が一気に伝わって参りました。
 取り分け、最後の最後でとんでもないサプライズが待っていました。あるファンの方がツイッターに記された内容によりますと、まずキャスト陣が退場すると、なぜか照明が落とされ、会場が困惑状態に。ついで、来年3月19日に東京・両国国技館で開かれる予定のスペシャルイベントの告知が流され、一同「あ-」という雰囲気に。そして、「Free!シリーズ新映像企画進行中!!」の発表があり、場内「ギャアアアアア」という感じで騒然となったそうです。
 それはそれは、こんな大発表があったわけですから、ツイッター上でも騒然となります。ファンならば誰しも大興奮です!かくいうだるまも、信じられないとばかりにワナワナしています。
 しかしながら、公式のツイッターにも、舞台挨拶やLVへお越しになったファンへの感謝の言葉とともに、「Free!シリーズ映像企画進行中です!」と記されています。
 ファンの間では、最早さの内容を巡って侃々諤々でありまして、「こんなのがいい」、「あんなのはどう?」とシーンの妄想は、文章のみならず、作画にも波及しているようです。すごいなぁ~♪と感心することしきり。残念ながら、だるまには絵を描くことはもちろん、文章に発展させる能力もないので、皆様方の妄想力から生み出された所産を楽しませていただくのみです。あはは。
 そういえば、遙と真琴が岩鳶中学校の水泳部から抜けた後、残された旭と郁也はどうなったのか?岩鳶中学校は部活必修だったはずなので、その後遙と真琴はどの部活に移ったのか?岩鳶高校受験期の様子や、1年生の間はどうしていたのか?などなど、マイナーなストーリーばかりを気にしていました。しかし、それこそ島﨑さんが『鮫柄チャンネル』vol.7で仰っていた「まこちゃん東京物語」的に、彼らの東京での暮らしぶり、凛のオーストラリアでの挑戦、渚、怜が3年生になった岩鳶高校水泳部も気になるばかり。もちろんハイスピのメンバー、鮫柄のメンバーの成長と絡みも見たいと思います。
 そして、彼らの根っこがしっかりと「岩鳶町」に根付いているところも忘れてはなりませんよね♪

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