“初物を食べると長生きする” 何を根拠に昔の人はこんなことを言ったんしょっ?新しい命が漲ったものを食べたら自分も若返り、その分長生きできると期待したんでしょうかね?
私は父が40歳、母が35歳の時の子。友達のご両親と比較し、私は若い内に二人を失うって恐怖心を、幼い頃から抱いて大きくなりました。なもんで、年寄り臭い迷信も馬鹿にはせず、二人に長生きしてもらうため、昔から初物を見かけると必ず買って食べさせるんです。(笑)
本当はさぁ、国産の香り良いのを買って食べさせて上げたい!でもね、5月からこっち、こんだけ頻繁に日米間を行き来していると、私の懐も乏しくて、中国産でかんにんどっせ...なんすが、今秋も初物を買って両親に食べさせました。
松茸ご飯
昨日、兄と私は母の主治医と今後について話し合いました。そろそろ退院する時期に来ている母。その後自宅に連れて帰るのか、介護施設に入所させるのか、その方向性を決める面談でした。
もう歩けないと決め付けられていた母が歩けるようになった。このまま認知症になってしまうのではないかと思っていた精神状態もかなり快復した。そんな母と、どんどん孤独化していく父を見ていると、私の本心は母を自宅に連れて帰りたい!
でも、海外に住んでいて、たまに帰国し、ほんの1、2週間だけ両親の面倒を見る私には、母を自宅につれて帰るとも、介護施設に入所させるとも、決める権利がないんですよ!
退院し自宅に戻りプロの看護を離れると、一番苦労するのは兄夫婦。今後のことは無責任のようだけれど、父と兄夫婦で話し合い決めてもらうしかありません。
幸い私と同じ考えの兄は、いずれ自分達夫婦が担うことになる母の介護を考慮し、定年後も勤めていた会社を先月末で辞め、兄嫁の負担を軽くし、自分が中心となって母の介護に当たれるようにしてくれたので、父、兄、私の希望通り、母を自宅に連れてかえることに決めました。
私もそうしてもらえると気が楽。やっぱね、義姉の立場を自分に置き換えて考えてみると、嫌だとはいえないし、頭痛いもん!(苦笑)
自宅に連れて帰ると決めたら、私の今回の帰省中に連れて帰れるものと簡単に考えていましたが、これから1ヶ月半から2ヶ月かけ、数回外泊を経験させたり、デイケアサービスの手配をしたりと、色々段階を踏まないと退院はさせてもらえないそうです。
兄夫婦の負担を少しでも軽くしてやりたいので、今私ら夫婦が考えているのは、旦那の上司がリモートで仕事をしても良いと認めてくれたら、11月ごろ夫婦で帰国し、自宅に戻った母が以前の環境にスムーズに順応できるまで、お手伝いをしようかと思っています。
面談の中で、主治医は、大分落ち着いてきたけれど、未だ廊下を徘徊し、自分のベッドのある病棟とは別の病棟に行ってしまうことがあると指摘しました。
主治医は母の徘徊癖が未だ完全に快復していないと思っているようだけれど、徘徊している母には、実は、別の病棟まで行く理由があったんです!
私が今回顔を見せた日、母は私に、廊下の一番端、別病棟の奥にある非常ドアを指差して言いました。
あんたがアメリカに帰ってしまってから、今日は帰って来て、あのドアの向こうから、“帰って来たよ!”と現れるんやないかと、毎日、毎日、待ってたん。髪の長い人を見たら、帰ってきた!背の高い人みたらあんたや!と急いで行くんやけど、いっつも違う人やった。
これ聞いたらね、もうたまりませんでしたわ!人前では泣けないし、涙こらえるのが必死やった!
なんで私だけ、自分の生まれた国に腰据えて住めんのやろうと、自分の運命を恨めしくさえ思いました。
看護師さん達も言ってたけれど、私の顔を見てからの母の様子は、一気に明るくなったったそう。可哀想に、また来週には私はアメリカに戻って行き、その後母は廊下の端、別病棟の奥まで徘徊し、その前で私が現れるのを毎日、毎日待つことでしょう。(涙)
申し訳ないと、母に、そしてどんどん孤独化している父に、声には出さなくても心の中で詫びるばかりです。
どんなに老いぼれても、そんな二人には長生きしてもらいたい!だから今年も秋の初物松茸を買ってご飯を炊きました。
母にはおにぎりにし翌日病院に持って行って、看護師さん達に見つからないようこっそり食べさせました。
幼い頃から目にした母のするのを見よう見まねで作った千本炊き と、叔母に教わって作ったらっきょう漬け の味見をしてもらいたくてね、おにぎりの横に詰めて上げたら、どれもみな美味しく出来ていると喜んで食べてくれました。
これから先どうなんだろうね?不安だけれど、ここ数ヶ月の母の並々ならぬ快復パワーを見ていると、2度あることは3度あるで、退院→自宅も、スムーズに運んでくれることを願うばかりです。
私の松茸ご飯のレシピはこちら から。今回作るに当たり、レシピのお醤油、酒、みりんの量を少し訂正しました。
私は父が40歳、母が35歳の時の子。友達のご両親と比較し、私は若い内に二人を失うって恐怖心を、幼い頃から抱いて大きくなりました。なもんで、年寄り臭い迷信も馬鹿にはせず、二人に長生きしてもらうため、昔から初物を見かけると必ず買って食べさせるんです。(笑)
本当はさぁ、国産の香り良いのを買って食べさせて上げたい!でもね、5月からこっち、こんだけ頻繁に日米間を行き来していると、私の懐も乏しくて、中国産でかんにんどっせ...なんすが、今秋も初物を買って両親に食べさせました。
松茸ご飯
昨日、兄と私は母の主治医と今後について話し合いました。そろそろ退院する時期に来ている母。その後自宅に連れて帰るのか、介護施設に入所させるのか、その方向性を決める面談でした。
もう歩けないと決め付けられていた母が歩けるようになった。このまま認知症になってしまうのではないかと思っていた精神状態もかなり快復した。そんな母と、どんどん孤独化していく父を見ていると、私の本心は母を自宅に連れて帰りたい!
でも、海外に住んでいて、たまに帰国し、ほんの1、2週間だけ両親の面倒を見る私には、母を自宅につれて帰るとも、介護施設に入所させるとも、決める権利がないんですよ!
退院し自宅に戻りプロの看護を離れると、一番苦労するのは兄夫婦。今後のことは無責任のようだけれど、父と兄夫婦で話し合い決めてもらうしかありません。
幸い私と同じ考えの兄は、いずれ自分達夫婦が担うことになる母の介護を考慮し、定年後も勤めていた会社を先月末で辞め、兄嫁の負担を軽くし、自分が中心となって母の介護に当たれるようにしてくれたので、父、兄、私の希望通り、母を自宅に連れてかえることに決めました。
私もそうしてもらえると気が楽。やっぱね、義姉の立場を自分に置き換えて考えてみると、嫌だとはいえないし、頭痛いもん!(苦笑)
自宅に連れて帰ると決めたら、私の今回の帰省中に連れて帰れるものと簡単に考えていましたが、これから1ヶ月半から2ヶ月かけ、数回外泊を経験させたり、デイケアサービスの手配をしたりと、色々段階を踏まないと退院はさせてもらえないそうです。
兄夫婦の負担を少しでも軽くしてやりたいので、今私ら夫婦が考えているのは、旦那の上司がリモートで仕事をしても良いと認めてくれたら、11月ごろ夫婦で帰国し、自宅に戻った母が以前の環境にスムーズに順応できるまで、お手伝いをしようかと思っています。
面談の中で、主治医は、大分落ち着いてきたけれど、未だ廊下を徘徊し、自分のベッドのある病棟とは別の病棟に行ってしまうことがあると指摘しました。
主治医は母の徘徊癖が未だ完全に快復していないと思っているようだけれど、徘徊している母には、実は、別の病棟まで行く理由があったんです!
私が今回顔を見せた日、母は私に、廊下の一番端、別病棟の奥にある非常ドアを指差して言いました。
あんたがアメリカに帰ってしまってから、今日は帰って来て、あのドアの向こうから、“帰って来たよ!”と現れるんやないかと、毎日、毎日、待ってたん。髪の長い人を見たら、帰ってきた!背の高い人みたらあんたや!と急いで行くんやけど、いっつも違う人やった。
これ聞いたらね、もうたまりませんでしたわ!人前では泣けないし、涙こらえるのが必死やった!
なんで私だけ、自分の生まれた国に腰据えて住めんのやろうと、自分の運命を恨めしくさえ思いました。
看護師さん達も言ってたけれど、私の顔を見てからの母の様子は、一気に明るくなったったそう。可哀想に、また来週には私はアメリカに戻って行き、その後母は廊下の端、別病棟の奥まで徘徊し、その前で私が現れるのを毎日、毎日待つことでしょう。(涙)
申し訳ないと、母に、そしてどんどん孤独化している父に、声には出さなくても心の中で詫びるばかりです。
どんなに老いぼれても、そんな二人には長生きしてもらいたい!だから今年も秋の初物松茸を買ってご飯を炊きました。
母にはおにぎりにし翌日病院に持って行って、看護師さん達に見つからないようこっそり食べさせました。
幼い頃から目にした母のするのを見よう見まねで作った千本炊き と、叔母に教わって作ったらっきょう漬け の味見をしてもらいたくてね、おにぎりの横に詰めて上げたら、どれもみな美味しく出来ていると喜んで食べてくれました。
これから先どうなんだろうね?不安だけれど、ここ数ヶ月の母の並々ならぬ快復パワーを見ていると、2度あることは3度あるで、退院→自宅も、スムーズに運んでくれることを願うばかりです。
私の松茸ご飯のレシピはこちら から。今回作るに当たり、レシピのお醤油、酒、みりんの量を少し訂正しました。