カフェの屋根が吹っ飛んだ事件 僕が21歳でフードコーディネーターになった理由その4
今日も料理研究家 五十嵐夫妻のブログを見に来ていただきありがとうございます^^
二学期に人生を変えた自分サミット 僕が21歳でフードコーディネーターになった理由その3 を読み返して頂くと続きに入りやすいですよ^^
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■二学期に人生を変えた自分サミット 僕が21歳でフードコーディネーターになった理由その3
僕のカフェは屋根ごと吹っ飛ばされました。
誰にって、栗原はるみさんですよ。
いよいよ僕が21歳でフードコーディネーターになった理由、最終話です。
厨房の動線が極力短い方が効率的、排気口にコック帽が引っ掛かって落ちる180cmの大男にはキッチンの厨房に一日の大半を過ごすのは不可能だったようです。
そんな折りでした、カフェや雑貨のデザインをするべく、実家ではIllustraterとPhotoshopというプロ仕様のソフトを練習していたころです。
見本通りに、毎日2ページずつ作ることを日課にデザインソフトを勉強していたのですが、うちの狭い実家はパソコンをしているとちょうど背中にテレビがある状態なんですね。
そこでは母がテレビを見ていました。
番組は「ソロモン流」
ゲストは「栗原はるみ」さん。
当時僕は栗原はるみさんは料理の本出してる人だな~くらいにしか知識がなくて、気にも止めずにPCをやっていたのですが、一方で母は栗原はるみさんの本棚ができるほど栗原はるみ愛好家として成長していたのでした。
料理には興味があったので、それに惹かれるようにぼんやりとテレビを眺めていると、次第にテレビの引力に引き込まれそうになりました。
なぜなら栗原はるみさんは僕と同じだったからです!笑
というと多くの愛好家の皆様にボコボコにされるので言葉を選びますが。
料理研究家というのはよくわからない。だけどレシピ本を作っていて、テレビに出ていて、キッチン雑貨をプロデュースしている?自分の服までデザインして?住宅メーカーと組んで家までプロデュースしている~?
なぁーーにぃぃぃーーーー????クールポコさん状態。
料理研究家ってなんだ?
そのままPCで調べました。
すると、料理研究家=フードコーディネーター。
食の何でも屋、テレビ番組や雑誌の料理。
ドラマ撮影の食卓シーンの演出、カフェプロデュースなど多岐にわたるアーティスト。
すごい!!
恥ずかしいですが、「トータルクリエイター」がそこにありました。
しかも僕がカフェという小さなスペースを作って、そこで全部やろうと思っていたこと。
栗原はるみさんはカフェなんか屋根ごと吹っ飛ばして、それを世界で活躍されているわけ。
フードコーディネーター、、、になるぞ!今日からおれは!!
ソロモン流が終わる前から決めました。
翌日、得意のブックオフ巡りでフードコーディネーターになる本を手に取り、そこに紹介されていたフードコーディネータースクールへ通うことを決めました。
フードコーディネータースクールを出たら、フードコーディネーターになれるぞ!
その野望が一瞬にして潰れたのはそこから1年後の話。
ちなみにブックオフ巡りが得意なのは、経営書をブックオフで毎月2万円分ずつ買ってたからです。
国際経営のゼミで感化されて、経営書をよむことを義務づけていたので死ぬ程本を読みました。
この時期はバイトは最小限に、勉強を最大限にしていたので調達は全部ブックオフ。
つまり当時の日課は
■バイト四つ股
■経営書月2万円分読む
■レシピ本を一冊潰す
■デザインソフトの練習、一日二ページ
恥ずかしいですが、自己流デッサンを日課にしていましたがいつの間にかなくなっていました。笑
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