「天使にふれたよ!」の劇中における扱いと意義について考察 | 抹茶コーラ飲むですか?

「天使にふれたよ!」の劇中における扱いと意義について考察

今日はいつもとは少し趣向を変えまして、けいおんの劇中歌について考察を書いてみたいと思います。この記事でクローズアップするのは、卒業式当日に3年生が梓に対して演奏した曲「天使にふれたよ!」に関してです。

(以下、画像はすべて2期最終回から引用。)


映画けいおん!公式ホームページ


抹茶コーラ飲むですか?-けいおん! 天使にふれたよ!

「天使にふれたよ!」はテレビシリーズのけいおんを語る上で絶対に欠かすことのできない重要楽曲の一つだったわけですが、今回の劇場版を通じてこの曲に関係する描写やエピソードが飛躍的に増大し重要度がさらに高まり、それと同時に考察や研究・分析すべき点もテレビシリーズ放送時に比べて格段に増加することになりました。

そこで今日の記事ではテレビシリーズと映画両方の内容を踏まえて、「天使にふれたよ!」という楽曲について改めて議論を深化してみたいと思います。まずは、タイトルや2番の歌詞の解釈方法といったテクニカルな面から。その後に、キャラの心情やこの曲の劇中における存在意義などを考察して行きます。


ちょっと長いですがご容赦をw





■「天使にふれたよ!」という楽曲名は劇中に登場していない


抹茶コーラ飲むですか?-けいおん! 天使にふれたよ!

皆さんお気づきかと思いますが、劇中で「天使にふれたよ!」という楽曲名が登場したことは実は一度も無いんですよね。

私たちが手にしているCDやエンディングのスタッフロールの中ではこの楽曲に「天使にふれたよ!」というタイトルが付されているわけですが、唯たちが実際に劇中でこの曲のことを「天使にふれたよ!」と呼んだことは一度もありません。そもそも「天使にふれたよ!」という言葉自体まず登場したことがありません。

「いちごパフェが止まらない」はタイトルだけが劇中に登場して演奏描写は行われなかった楽曲でしたが、「天使にふれたよ!」はその逆で、演奏描写は存在するもののタイトルは登場しなかった楽曲でした。


なぜ「天使にふれたよ!」という楽曲名が劇中に一切登場しなかったのか。なぜ唯たちは「天使にふれたよ!」というタイトルを一度も口にしなかったのか。アニメ2期が終了した段階ではその理由はイマイチ不明瞭だったんですが、今回映画によって楽曲制作の裏側が丁寧に描写されたことによって明確になったと思います。

すなわち、唯たちが梓に曲を聴かせてあげた段階では、「天使にふれたよ!」というタイトルは全く決まっていなかった。“梓に贈る曲”というコンセプトだけが決定しており、タイトルは白紙の状態だった。――こういうことだと思います。


映画の屋上のシーンで描かれた通り、「天使」というフレーズが唯によって考案されたのは卒業式当日。それも卒業式が終わり部室に入る前という、まさに梓に曲を届ける寸前のタイミングです。

「天使」という言葉がこうして急遽楽曲に組み込まれることになったフレーズである以上、そのフレーズを受けなければ成立し得ない「天使にふれたよ!」というタイトルを、唯たちが梓に曲を聴かせるまでの間にきちんと決めることができたとは到底思えません。彼女たちがあのとき自由に使えた時間はごく僅かであり(梓はムギがお茶を入れ始めた頃には部室に到着)、その短時間のうちにタイトルを決定していたと考えるにはやはり無理があるでしょう。従って、演奏時点でタイトルは未確定だった。


というより、極論を言ってしまえば、唯たちは曲のタイトルをどうするかということに関してあまり興味が無かったのではないかと思うんですよね。

唯たちにとって大切なことは、梓というたった一人の愛すべき大切な後輩に対して自分たちの想いを伝達するという行為そのもの、つまり演奏そのものであり、曲のタイトルが何であるかといった本質外の事柄にはさほど関心が無かったのではないかと思うんです。自分たちのメッセージを歌に込めて梓に届けたい、その一点のみが唯たちにとって絶対的に重要なことであり、そこにタイトルという「形式」を付加させる必要性を取り立てて感じていなかったのではないでしょうか。


だから、唯が「天使」のフレーズを思い浮かぶ・浮かばないに関係なく、唯たちが梓にこの楽曲を披露した段階ではタイトルは存在していなかった。唯たちの中ではこの楽曲はあくまで“梓に贈る曲”(律のポスカ 的に言えば「あずさの歌」)であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

このように解釈するのが最も自然なのではないかと思います。





■「天使にふれたよ!」というタイトルはいつ決定したのか


とは言ったものの、実際にはこの楽曲には「天使にふれたよ!」というタイトルが確かに付けられているわけです。

それでは一体いつ、どのタイミングで「天使にふれたよ!」というタイトルは決定したのでしょうか。


結論から言うと、分かりません。(オイw

梓に向けて曲を演奏した時点では正式なタイトルは存在していなかった。これは間違いないとしても、その後どんな経緯でこの曲に「天使にふれたよ!」というタイトルが付けられたのかは不透明です。

帰り際に梓にタイトルを質問されその時に4人で考えたのかもしれませんし、もっと時間が経ってから「あの時に演奏した曲は『天使にふれたよ!』というタイトルにしよう」と決めたのかもしれません。

いやもしかしたら、唯たちの中では“梓に贈る曲”はいつまで経っても“梓に贈る曲”のままであり、その後も正式なタイトルは特に付けておらず、「天使にふれたよ!」というタイトルはスタッフ(山田監督ら)が便宜上名付けたタイトルに過ぎないのかもしれません。

いずれにせよ、タイトル決定の描写や決定を示唆する描写は劇中で全く行われていないので想像の域を出ません。今確実に言えることは、あの最終回の演奏の時点では唯たちはこの曲にタイトルを付けていなかったということだけでしょう。それ以外のことは確定不可能、謎に包まれたままです。この辺の真相が今後BDのスタッフコメンタリーや公式ガイドブック(もし発売されるのならw)で明らかにされると良いですね。


ただし、もっと別の方向から議論を深めることはできます。





■「天使にふれたよ!」の2番は、あくまでイメージソング?


私たちが持っているCDには当然のことながら「天使にふれたよ!」の2番も収録されています。

「ねぇ 桜の木もちょっと」から「夢と出会いくれた 音楽にありがとう」までが2番ですね。


で、ここで一つ疑問が浮かんでくるんですが、この「天使にふれたよ!」の2番は果たして劇中でも演奏されたのでしょうか。梓の目の前でもこの2番は演奏されたのでしょうか。

劇中では、1番→Dメロ(「駅のホーム 河原の道~」の部分)→大サビという流れで楽曲は構成され、2番は演奏されていないわけですが、私の解釈としてはこれはアニメの尺の都合上の省略ではないと思うんです。すなわち、唯たちが梓に向けて演奏したオリジナルの楽曲にはそもそも2番は存在しておらず、劇中で演奏された1番→Dメロ→大サビが“梓に贈る曲”のすべてだったのではないかということです。


そう考える根拠は2つあります。


まず一つ目。劇場で配布された唯たちのポストカード。(これ

それには2番の歌詞が一切登場していないし、そもそも誰一人として2番の歌詞を考えて来ていない。これは決して唯たちの怠慢ではなく、彼女たちは初めから2番を作ることを考えていなかったからだと思います。現実問題として制作に費やせる時間には限りがありましたし、当初から“梓に贈る曲”は1番→Dメロ→大サビで完結する曲という念頭の下に制作されたのでしょう。

さらに細かいことを言うと、4人バージョンの歌詞が書かれた唯のノートが映画終盤で何度か映りますが、そこにも2番は書かれていませんでした。(1番しか書かれておらず、下の方に「つづく」とだけ書かれている。おそらく次のページにはDメロと大サビの歌詞が書かれているのでしょう。それと、当然のことながらタイトルも記されていませんでした。)


二つ目。2番の歌詞は「天使」という単語と表裏一体になっていると思しきフレーズを含んでいること。

注目して欲しいのは、Bメロの「ふわり放課後の廊下に こぼれた音符の羽根~」の部分です。ここの歌詞からは明らかに「天使」という単語との関連性が窺えますよね。

しかし、上に書いた通り、「天使」は唯が演奏直前にギリギリで思いついた単語で、屋上シーンより前の段階では存在すらしていなかった。それにも関わらず、この「天使」という単語に影響を受けなければ生まれないであろう「音符の羽根~」のフレーズがすでに歌詞に組み込まれているのは不自然であり、前後関係が矛盾するわけです。

従って、直前まで「天使」という言葉を歌詞に取り入れていなかった唯たちが、この2番を卒業式当日に梓の目の前で演奏した可能性は限りなく低いだろうという結論に至るわけです。


では、私たちがCDで聴いている2番は一体何なのかというと、これが非常に微妙な問題ではあるんですが、あくまで商業用と言いましょうか、2番がないとあまりにも曲として短くなってしまうのでCD用に新たに追加された部分とでも言いましょうか、そういう類のものなのではないかと思います。

“梓に贈る曲”のオリジナルはあくまで第24話と映画で演奏されたあの曲で完結しており、「放課後ティータイムⅡ」や映画の劇中歌アルバムに収録されている「天使にふれたよ!」は“梓に贈る曲”をCD用に完成度を高めた曲、もっと別の言い方をすればイメージソングに近い楽曲である。このような回答が導き出されるのではないでしょうか。





■第24話と映画の「天使にふれたよ!」、どっちが感動できた?


抹茶コーラ飲むですか?-けいおん! 天使にふれたよ!
抹茶コーラ飲むですか?-けいおん! 天使にふれたよ! 中野梓

テクニカルな話は以上にして、ここからは「天使にふれたよ!」とは一体どんな楽曲であったのか、唯たちはどんな想いを込めてこの曲を演奏したのか、そしてこの曲の劇中における存在意義とは何だったのか、といったことについて分析して行きたいと思います。若干ただの感想っぽくなるかもですが、あしからずw


まず、今回の映画では3年生の視点、特に唯の視点に重きが置かれていました。

アニメ2期の終盤(第21話~第24話)において、唯は実質的に主人公の座を梓に受け渡したような状態になっており、実際に卒業式の回でも唯の内面が描写されるシーンは少なく、梓の視点を通じて卒業生の姿を描き出すという手法が用いられていました。

それとは対照的に、映画では梓の内面描写は控えめになっており、むしろ唯を中心とした3年生側から見た梓の姿や3年生視点からの「天使にふれたよ!」が如実に描き出されたわけです。山田監督がいくつかの雑誌インタビュー等で発言なさっていた通り、映画はしっかりと唯の物語になっていました。(自分はあくまでけいおんは唯が主人公の物語であるべきだと思っているので、これは単純に嬉しかったですw)


さて、そういう構造の下に演奏された映画版「天使にふれたよ!」。

ハッキリ言ってしまうと、自分は最初戸惑いました。アニメ2期(の特に終盤)では梓に感情移入して、梓視点からけいおんの世界を観るように方向づけられていたにも関わらず、映画ではいきなりそれを唯たち側からの視点で捉え直さなければならなくなったからです。「天使にふれたよ!」は唯たちが梓(≒けいおんを観ている視聴者)に対して届けてくれる楽曲であるという固定観念をすぐには払拭できず、それを披露する唯たち側に感情を重ねることができず、正直に言うと一回目の鑑賞では「天使にふれたよ!」を聴いてもほとんど泣けませんでしたw

まぁ、梓が泣いてしまうという分かりやすいインパクトも映画にはありませんでしたからね。余談ですが、個人的に一回目の鑑賞で一番泣けたのは堀込先生がさわ子に対して「昔のお前らに比べれば可愛いものだな」と優しく声を掛けたシーンだったり。この学校で生徒たちの青春が過去も今も未来も変わらずに紡がれ続けて行くということを彼は理解しているんだな、さわ子の成長すら俯瞰できる立ち位置にいるんだな、ということが胸に響きましたし、何よりもあの教室ライブを温かく見守る大人の眼差しにはただただ感動させられました。


話を戻しまして「天使にふれたよ!」。では自分はテレビシリーズと同じように梓視点からこの曲を描いて欲しかったのかというとまったく違います。

映画はアニメ2期終盤とは異なり一貫して唯たちの視点から描かれた物語であるということをしっかりと認識すること。そして、唯たちの物語という文脈の中で演奏された「天使にふれたよ!」においても、至極当然のことながら唯たちの感情にこそ注視するべきであること。――たったこれだけの転回で良かったんです。要するに、「映画は3年生視点なんだから、テレビ版で得た先入観を捨てて、もっと頭をクリアにしてそのまま物語と楽曲を受け入れろよ」ということですw

一回目の鑑賞ではどうしても自分にはそれができなかった。でも鑑賞後にすぐに、映画は徹底して唯たち3年生の話だったんだということに気付き、その反省の下に鑑賞した二回目、三回目ではこの映画版「天使にふれたよ!」(というか屋上のシーンから全部w)には本当に泣かされることになりました。そして、唯たちの視点でこの曲が描かれることになって良かったと心の底から思いました。


肝は2つあると思っています。まず、一つ目。唯たちにとってあの「天使にふれたよ!」が今までで最も緊張する演奏であったということ。

軽音部としての成果が問われる学園祭や、ロンドンという異国、そしてクラスメイトたちと共有した教室ライブ・・・唯たちは何だかんだと言いつつ様々なステージの上で演奏を行って来ました。で、傍から見るとどう考えてもライブハウスでのライブやロンドンでの野外ステージライブの方が緊張するだろうに、彼女たちは梓に対して演奏するこの瞬間が今までで一番緊張すると言うんです。講堂にいる満員のお客さんに対してでも、日本語が通じない外国人に対してでもなく、たった一人の後輩のため、二年間を共に過ごした梓のために演奏するまさに今が一番緊張するんだって言うんですよ!

第24話で梓視点から唯たちの「天使にふれたよ!」を聴いているときには、どれだけ彼女たちがこの曲を大切に作り上げ、演奏するときに手が冷たくなってしまうほど緊張していたかなんて分からなかった。いくつかの細かな描写からその心情を推察するしかなかった。梓視点から描かれた24話の唯たちは「大きく」、「立派」で「しっかり自立」している存在に見え、付け入る隙がありませんでした。

(もちろん映画でもそう。例えば、梓が橋の上でたい焼きを食べながら「怪しい・・・」と先輩たちの悩み顔を回想するシーン。あそこでは、実際の唯たちの表情よりも、梓の記憶上の唯たちの顔が大人っぽく真剣なものとして描かれている。つまり梓から見た唯たちの姿には補正がかかっている。)

でも実際には唯たちはそんな完成された存在なんかではなくて、まだまだ大人に成りきっていない頼りなさがあるし、弱さもあるし、大切な人の前では緊張もする。そして「天使にふれたよ!」を通じて梓に想いを伝えることができたのは、彼女たちが「偉大な先輩」だからではなくて、一所懸命に準備をして、入念に歌詞を作り上げて、地道に練習をして、受け入れて貰えるかどうかという不安を押し殺して、そうやってすべてを梓にぶつけようと全力を尽くしたからこそだったんだ。

梓視点から解放された(というとちょっと語弊があるかもですがw)唯たちが、洗練され過ぎず、すごく等身大に、ありのままに愛おしく描かれていて、涙が止まりませんでした。そうか、自分はこんな完璧でない唯たちが、完璧ではないけど精一杯前へと歩もうとする彼女たちの姿が大好きだったんだ。


感動の二つ目の肝。学校近くの橋における描写。

注意深く見ていると、実はけいおんという物語は割と橋という場所がキーになっている場合が多く、今回の映画の「天使にふれたよ!」でも橋の上でドラマが展開されていました。

橋という建造物は、離れた二地点間を結びつける物。言うまでも無く、唯たちと梓の間には目に見えない距離が横たわっていた。梓は学年の違いという決して埋めることのできない隔絶に孤独感と苦しみを抱き続けて来たし、一方で唯たちも大切な後輩である梓に自分たちのメッセージを認めてもらうことができるのか、「大好き」という想いを受容してもらえるのかという恐怖を感じていた。つまり、唯たちと梓の間には橋が架かっておらず、隔たりが依然残されたままの状態だったわけです。

そこで演奏されるのが「天使にふれたよ!」。梓が「怪しい・・・」と疎外感を呟いたあの場所で、唯は「仲間だから!」と力強く想いの丈を叫び、そしてその場所から変わらぬ笑顔で手を振り続ける先輩たちのもとへ梓が駆けて行く。――「天使にふれたよ!」は先輩と後輩という「溝」に確かな橋を渡し、隔たりを解消して、両者の心を強く結び付ける楽曲となった。すなわち、唯たちが緊張に震えながら届けた渾身の想いは梓に受容され、梓は孤独を乗り越え先輩との断ち切れぬ絆をついに確信したのです。

あの橋における一連の描写はまさに「天使にふれたよ!」の象徴そのものであり、「天使にふれたよ!」がお互いの心と心を繋ぐ懸け橋となる存在として刻まれた以上、5人の絆が断ち切られることは絶対にない。こういうことが暗示されていたのだろうと思います。

さらに映画の最後のシーンで、橋の先を歩いている梓(と和)に唯が抱きつこうとするのも良いですね。唯は梓の卒業旅行に皆で行こうよと未来を語った。そして梓と和というこの先「離ればなれ」になってしまう二人を橋の上でつかまえる。これは、唯たちの「天使にふれたよ!」が刹那的な楽曲ではなく、未来においても彼女たちの懸け橋として、彼女たちを絆で結び続けるであろうということの寓意であると思います。なんと愛情に溢れた描写であろうか。


「天使にふれたよ!」によって“過去”に共有した時間の差異が埋められ、“今”この瞬間に仲間の絆は強固なものとなり、そしてそれは“未来”においても不変なものである。――この楽曲に込められたそうしたメッセージに気付かされたとき、そのあまりの温かさと深い愛情に感銘を受けました。けいおんはつくづく山田監督ら制作陣からの唯たちへの計り知れない愛情で成立した作品なのだなと感嘆させられました。

そして映画で唯たち視点の「天使にふれたよ!」が描かれたからこそ、この楽曲はここまで深く大きな意味を持つ境地へと辿り着いた。梓が唯たちから受け取る曲という一方的なものではなく、先輩と後輩の心を繋ぐ双方向的な楽曲へと昇華を果たしたのです。だから映画でこうして「天使にふれたよ!」が描かれて本当に良かった。今ではそう自信を持って言えます。





■「天使にふれたよ!」と「翼をください」の関連性


最後の議論です。

私は過去に「けいおん!!」最終回(第24話)の感想その1【希望の空に翼広げて】 という記事で以下のようなことを書きました。そのまま引用。


アニメ1期の第1話で「翼をください」を演奏してスタートした軽音部。

ちっぽけで、右も左も分からなくて・・・でも希望とワクワクに満ち溢れる中始まった日々。

本当にいろいろなことがありました。練習ばかりに熱心に打ち込んできたとは到底言い難い。ライブではアクシデントも多かったし、ときにはケンカしてしまうようなこともあった。


けれどもあの日「翼をください」と願った4人は3年後の今日、確かな翼を手に入れ、ついに空へと大きく羽ばたきました。

大空に羽ばたき、天使と出会いました。その天使とは、仲間とのかけがえのない絆。軽音部でのキラキラと光る日々の思い出と、未来への新たな希望。


「でもね会えたよ 素敵な天使に

卒業は終わりじゃない これからも仲間だから

大好きって言うなら 大大好きって返すよ

忘れ物もうないよね ずっと永遠に一緒だよ」


たとえどんなに向かい風に吹かれても大丈夫。一緒ならきっとどこまでも飛んで行ける。
さぁ、梓も一緒に!俯いているヒマはないよ!一緒に飛ぼうよ!これからもずっとずっと!!

大丈夫だよ。だって梓の背中にもホラ、美しい翼があるのだから・・・!

これはアニメ2期第24話を観終わった時点で書いた文章でしたが、今回映画が公開され唯の口から「翼をください」に言及する発言が飛び出し、「翼をください」と「天使にふれたよ!」は関連付けられるべき楽曲であるということが確かになったと思います。これは正直、過去の自分の考察がピタリと当たる形になったので嬉しかったですw

ただし、過去の自分の考察をそのまま用いると少し違和感が残ってしまいますので、この機会を利用して修正を加えておきたいと思います。


けれどもあの日「翼をください」と願った4人は3年後の今日、確かな翼を手に入れ、ついに空へと大きく羽ばたきました。

大空に羽ばたき、天使と出会いました。その天使とは、仲間とのかけがえのない絆。軽音部でのキラキラと光る日々の思い出と、未来への新たな希望。

ここの文章がちょっとおかしい。いや、この文章の通りに「天使にふれたよ!」を解釈することも可能なんですが、映画で唯は「私たちに翼をくれたのはあずにゃんで、あずにゃんは幸せをくれた『天使』だ。この曲もあずにゃんの羽根になるかな?」という要旨の発言をしているんですよね。

だから正しい解釈は以下のようになると思います。


けれどもあの日「翼をください」と願った4人は、梓という大事な後輩、彼女たちにとっての「天使」と出会い、5人組の軽音部として大切な時間を共に過ごす中で、大空へと羽ばたく確かな翼を手に入れた。

その翼とは、仲間とのかけがえのない絆と、軽音部でのキラキラと光る日々の思い出、そして未来への新たな希望。

唯が天使=梓と言っている以上、このように解釈を改めるのが妥当でしょう。

そして、「天使にふれたよ!」は唯たちが3年間で手にしたこの翼という宝物(=仲間との絆、かけがえのない「今」を前向きに積み重ねて行く尊さ)を梓に伝え、自分たちとの2年間が梓にとっての翼にもなるかどうかが試される楽曲であったのです。


抹茶コーラ飲むですか?-けいおん! 天使にふれたよ!




・・・とまぁ、今日の記事はこんなところですw

「ふわふわ時間」や「U&I」そして「Singing!」など、映画の中で演奏された他の楽曲との関係性という観点などからもまだまだ議論を深めることはできると思いますが、そこまでやるとあまりにも冗長になってしまいそうなのでここまでにしておきたいと思います。お読みいただきありがとうございました。


つーかいい加減映画全体の感想記事を書こうぜって話なんですがw

どう書けば、何を書けばこの映画の素晴らしさと感動を文章として正確に表現し伝えることができるのか、まったく見当がつかないんです。自分の感情に言葉が追い付かず、嫌になる。どういう切り口で書いてみても、けいおんの良さの1割すらも言語化できているとは思えない。作品の大きさの前にただただ圧倒される。そして書くことを投げ出す。この繰り返しでいつの間にか2月も下旬になってしまいました。情けないですね・・・。






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