きっと世界で1番「美味しい」と言われると嬉しい小さな珈琲屋さん ① | coffeeya32のブログ

coffeeya32のブログ

2014年にオープンした「ペキュリアブレンド作りませんか」をコンセプトにした喫茶店です。ペキュリアとは独自のという意味でテイスティングして頂きながら好みの珈琲を探していきます。2021年3月より念願の自家焙煎を始めました。

久しぶりのブログです✨

そして少し私自身の事の

お話をしようと思います。

少し長くなりますが

読んで頂けると嬉しいです😊

 

1974年2月16日生まれ

もうすぐ50歳 半世紀を生きてきたことになります。

ずーっとどこかで書きたいなという話があって

私が何故 珈琲屋さん 飲食店をやっているか

多分そこに繋がる話です。

つらつら書くので読みにくければ

スルーしてくださいね!

 

ではスタートです❗️

子供の頃の私は超お転婆な女の子でした。

保育園の頃はお昼寝が嫌いで

というより出来なくて💦

なぜみんなと一緒に寝なきゃいけないのか

眠くないのに寝たフリするのか

お昼寝が嫌で逃げ出した事もあったりと(笑)

多分大人をよく困らせていたんじゃないかなぁ🤔

3人兄妹の長女で その頃は厳しかった父と

真面目な母と 弟、妹の5人暮らし

母いわく 少しお金がない貧乏1歩手前のような

暮らしだったのではないかと思います。

とはいえ賑やかな暮らしに影がさすのは

私がお腹が痛くなったのが最初でした。

あまりにも痛みが続くので

近所の小児科を受診したのですが

原因が分からずで地元の市民病院を紹介されました。

私5歳 保育園の年長さんでした。

 

市民病院では「盲腸かもしれない」と

緊急入院をして手術をする事に。

私はあまり記憶がないのですけど

術後2日目のベッドの上で

お腹が腫れてるねぇと言われ

もっかい手術をする事に。

麻酔の匂いが「バナナが好き」と言うと

マスクからバナナの香りがしてきて嬉しかった記憶🍌

母達は最初の盲腸の手術では

盲腸の腫れがなかったけど取り除いたこと

腹膜炎を起こしていたので

その処置の為に大きく開腹した事が

告げられていたようです。

2度目の手術でも腹膜炎がひどかったので

その処置と腹腔内を触ると

しこりのようなものがあるのでガンかもしれない

ここでは対応出来ないので

大きな大学病院を紹介すると言われたようです。

この時父は心配のあまり

一晩で髪の毛が白髪になったと

後から笑い話のように言ってました😅

 

そして自宅からは50分ほどかかる

K大附属病院への転院。

救急車での移動だったので

幼い私はテンションMAX⤴︎⤴︎

とはいえ術後だし遠いし

サイレンはうるさいしという感じでした💦

紹介して頂いたのは

小児外科の権威であるS先生

診断結果は急性膵臓炎

内科的処置で対応しますとのこと。

多分母と父はかなり安心したのではないでしょうか?

治療は絶飲食、持続点滴

幼かった事もあり点滴の針が入らずに

看護師さん達を苦しめたのは

この頃が最初だったんだろうなぁ

 

元気になってからベッドにて 5歳

 

母が付き添ってくれていたので

いつも独り占め出来てたのが嬉しかったり

ビタミン剤入った黄色い点滴の匂いが

おじいちゃんが母に持ってきてくれる

お弁当のおかずにあったしいたけの煮物の

匂いとかぶって

しいたけが嫌いになってみたり

観光バスの運転手をしていた父は

弟と妹の世話をどうやってしてたんだろう

私が幼すぎて記憶が曖昧ですが

40日間ほどの入院で終わりました。

最後にバターを塗ったパンを食べて

お腹が痛くならなかったら退院というのは

鮮明に覚えています。

そのトーストの美味しさごと🍞

 

やんちゃな感じのある5歳

 

退院してからは

お見舞いでもらったお人形さんの

お腹をハサミで切ったり針で刺したり

荒っぽい病院ごっこがお気に入り!

将来は看護師さんになると

セオリー通りな夢も出来ていました😊

 

その後はお腹が痛くなったりすることもなく

無事に小学校となり

いつも外で遊び回る

手術を経験してるとは思えないような

元気な生活を送っていたのですが

また小学4年の冬に強い痛みが襲うのです😭

 

(続く)
 

あまりにも長くなるので
何度かに分けて投稿していきます!
続きが気になる方はフォローをお願いします(^^♪

小さなロースターが
丁寧に焙煎したこだわりの珈琲豆
オンラインショップはこちら
↓↓↓


ではまた②をお楽しみに!