「光のアカシャ・フィールド」 いくつかの気づきと教え(上) | 人は誰もが幸せになるために生まれてきたんです

人は誰もが幸せになるために生まれてきたんです

まず、タイトルのことを信じてください。そして100%幸せになれる方法をひとつずつご紹介していきますので、自分に合った100%幸せになる方法に気づいてください。間違いなく必ず見つかります。
だって、「あなたは幸せになるためにこの世に生まれてきたのですから!」


「光のアカシャ・フィールド」の中で、このブログでもよく書き記してきた「言葉」について、再確認できることをボーネルさんがおっしゃっています。



思考というのは形を持っています。でも、その思考をさらに口に出して言葉にすると、それは本当に形をとります。



感情で言葉にエネルギーを与えると、もっと早くそれが実際の形をとるようになります。だから、僕はよくこう言うんです。口論をしていたら、もっと声を低く、ささやくように言いなさいと。



アセンション(次元上昇)に向かっていることも深く関わっているのでしょうが、思考が形を持っていて、言葉にすることで、その形が目の前に姿を現す傾向が、ここにきてますます顕著になっていることははっきりと感じています。


昨年、そして今年になり、ますますそのようにお感じ、お過ごしになっている方がかなりいらっしゃるのではないかと思います。


良き言葉、愛のある言葉を使うとが大切になっています。自分の言葉の通りの人生を過ごせる時代が到来していることをうれしく思います。


世界はすでに間違いなく、確実に変わり始めています。本当に楽しみですね~




ボーネル(以下「ボ」) 本当のあなた自身になるためには、自分自身になる以外に、ほかの選択肢はなかったんだということに気づく必要があるんです。


渋谷で僕が見て驚いたのは、あふれんばかりの群衆の中で、本当に自分を表現していたのは4人か5人だったということです。ほかの人たちは、彼らの純粋性を見てまねをしたいなと思っているんです。



「本当のあなた自身になるためには、自分自身になる以外に、ほかの選択肢はなかった」


この世に生まれ、生きていくことの意義、真理をなんて端的に、上手に表現しているのでしょう。


すべての人がこの世に生まれて来る前に、自分自身の生き方、生きざまを定めて生まれてきています。この世でどのように生きていくか、自ら選択してやってきているのです。


でも、そのシナリオを覚えていては魂の成長にならないので、すっかり忘れています。でもその忘れることさえも、自分で決めてきたことなのですね。


ですから、誰かになるという選択肢はないんです。誰かになろうとして、誰かになれと言われて、苦しむ必要はないんです。


自分でいいのです。


自分がいいのです。




この後、ボーネルさんは、朝の通勤ラッシュで行きかう人々を見渡せる品川駅のカフェにいる時に感じたことをこのように語っています。



ボ) 品川駅の2階で朝のコーヒーを飲みながら、僕は人々が職場に向かう流れを見ます。本当にたくさんの人たちが歩いていて、まったく同じことを考えている。


本当にたくさんの人が、内側で、「自分は一体どこに属しているのだろう、もし居場所が見つかっても、実際にそこに属せるんだろうか」、そんなことを考えながら歩いています。そして、属すことそのものに対する恐れが探すことの邪魔をしている。


そうすると、ぐるぐる回る思考の中に入っていきます。自分はどこにも属せない。一体自分がだれだかわからない。そして、彼らはその物語の中で居心地がよくなってしまう。それは居心地のいい物語です。実はほとんどの人たちが、「本当は自分がだれなのか」を見つけてしまったら、見つけてしまった自分が属せる場所なんて本当にあるんだろうかと恐れているんです。



ばなな(以下「ば」) そうかもしれないですね。私、何かに属してしまうと、いろんな角度から見られなくなるので。だから、あえてそうしないというのが一番大切だと。それは多分、仕事のためというのもあると思います。



ボ) でも、あなたの作品に触れる方たちが、その問いかけを聞く。そして、それを読んで、「ああ、オーケーなんだ。ばななさんもその旅をしているんだ」とか。「今みたいにこんな心配しなくていいんだ」と思える。このテーマというのは、人にとって本当に大切だと思います。


ほとんどの人たちは、自分がものすごくダークな、つまり悪い人格を持っていると思っています。「もし僕の考えていることがほかの人にわかってしまったら、きっとみんな僕のことをひどいやつと思うだろう」と。



ば) そう思いながら、毎朝、品川を歩いているということですね。



ボ) そうです。毎朝。全員じゃないけれどもね。でも、たくさんの人がそうだと思います。



本当に多くの人々がこのような想いの中に生きているように思います。


いまはそうじゃなくなった人でも、かつてそのような経験をしたことのある方がたくさんいらっしゃると思います。


本当は自分自身になっていいのに、周りを気にするあまり、なれない。


でも、自分自身の人生を歩むために生まれてきたのですから、なれないことの不安をいつも抱えている。


そんな状況にある人のことを想うと、とてもせつなく、胸が苦しくなります。


「今のままの自分でいいんだよ」「心配はいらないよ」


と、そっと声をかけてあげたくなります。


誰かになる必要はないのです。なろうとして苦しんだり、悲しんだりすることはまったくありません。


自分のままでいい。


自分じゃないことで悩んだり、苦しんだりしなくていいのです。


今の自分であることで、幸せに、豊かになる方法は間違いなく用意されているのですから。




ボ) 避けられない出来事は避けられない。それは本当に体験しなくてはいけません。


そして、大いなる叡智は、いつでも、結局は選んだ選択肢を選ぶことになっていたということです。



僕たちはいつでも、何回あっても同じ選択肢をするんです。本当は、そのときに直接的に生きるということを思い出すことができるのです。でもほとんどの場合、選択肢をつくり出し、今後はその選択肢の中で交渉がはじまります。そして、選択を変えたくなると、つくり出した選択肢を覚えていて、そこから直接的に生きるということを思い出すんでじゃなくて、クリエイティブなエネルギーを再び交渉するために使うようになってしまいます。それが年をとらせる。結局はエネルギーを使うから老けるということです。



人が「老ける」ことの原因、老けないようにできることの貴重なアドバイスがここには記されています。


目の前に問題の回答が、進むべき道が示されているのに、そこで立ち止まり、自分の中でさまざまな「選択肢」をつくろうとする。


守護霊様が「こっちだよ」といろいろな手をつかって気づきの機会を与えてくれているのに、まるで小さい子供が一人遊びに興じるように、あちこちから「選択肢」を集めてくる。しかも、情報収集までして人の「選択肢」にまで手を伸ばしてかき集め、困惑、混乱はどんどん深まっていく。


これは取り越し苦労であったり、おせっかいであったり、いろいろな形をとって現れてくるのでしょうが、とてつもないエネルギーを消費し、心を、身体を「老い」させていくのでしょう。


「直接的に生きる」ことの大切さを再認識させられるボーネルさんの言葉です。



(続く)