「あなたは幸せになるためにこの世に生まれてきました」


でも、幸せになることはできますが、幸せにしてもらうことはできません。


100%幸せになれる方法をひとつずつご紹介していきますので、自分にぴったりと合った方法にぜひ気づいてください。


あなたは間違いなく幸せになります。


なぜなら、

「あなたは幸せになるために生まれてきた」からです。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2009-11-14 09:06:50

素晴らしき神様への祈り方、教わりました

テーマ:ブログ


 とても素晴らしい神様への祈り方を最近、教わりました。

 

 うれしくて、朝晩、祈りの言葉を口ずさみ、時間を見つけては神社を訪ねていました。

 教えてくれたのは、先の記事でもご紹介した黒住宗忠(くろずみ むねただ)です。

 

 黒住宗忠は天照大御神様と大変にご縁の深い方です。

 小さい頃から大変な親孝行だった宗忠は、両親を相次いで亡くしたショックで病気になってしまいます。

 

 当時、死病といわれた結核で、死地をさまよいます。

 しかし、ある日、日拝を通じて、天照大御神様に救われるのです。

 

 “よみがえり”となったその日は「冬至」の早朝でした。

 これを機に、宗忠は、目の見えない者を見えるようにしたり、らい病で瀕死の者を治したり、さまざまな奇跡を起こし、多くの人々のお役にたつ人生を歩んでいきます。


 

 その宗忠ですが、生涯で6度、伊勢神宮を参拝したそうです。

 ある時、神官の知人から、「先生は遠路、伊勢神宮におうかがいして、いったい何をお祈りになっていらっしゃるのですか」と訊ねられます。

 その時、宗忠が口にした祈りの内容はこれまで聞いたことのないものでした。

 「私には他に祈ることなどございません。ただ、ただ天照大御神様のご開運をお祈りするだけなのです」

 私はこのことを知った瞬間、「この祈りだ!」と思いました。そして、またお伊勢さんからのメッセージなのだなと、大変にうれしくなりました。


 その別れがあまりにショックで、あやうく死にかけてしまうほどの「親孝行」だった宗忠は、自分の命を救ってくれた神様に対していつも「神様孝行」の強い想いを抱いていたといわれます。

 親でも、まわりのお世話になっている方々でも、ご縁にある方すべてに、「感謝」するということはとても大切なことです。

 そして、その感謝のもうひとつ先には「報恩」という「何か自分にできることがあったらいいな」「いつか恩に報いることが少しずつでもひとつずつでも出来たらいいな」という恩返しの想いがあるのです。

 神社はお願いごとをする所ではなく、日々見守っていただいていることへの感謝の想いを伝える場所です。

 日頃からいつでも見守ってくださる神様は親と一緒です。ですから「親神様」とも呼ばれています。

 そんな神様に感謝のお礼と共に、「神様のご開運をお祈りする」。

 「なんて素晴らしい祈りのあり方なのだろう」と、初めて知ったのが東海道新幹線の車中だったのですが、瞬間、身体がしびれるような感動を覚えました。

 早速、実行に移したくて、神棚をはじめ、自宅、職場の鎮守の神様を訪ねて、普段どおりの感謝の言葉に続いて、御祭神の名前をあげて、「ご開運をお祈り申し上げます」とお伝えさせていただいてまいりました。

 そして、毎朝の日拝の時、朝晩の神棚に、


 「天照大御神様、(祀っていらっしゃれば)産土の大神様、鎮守の大神様、御蔭様でいつもありがとうございます。慎んで大神様たちのご開運をお祈り申し上げます」

 と、お伝えさせていただいています。

 せめてできることが、「神様のさらなるご開運を祈ること」。


 とっても、うれしいことですね。

 祈りの後は、これまで以上にすがすがしい気持ちになれます。

 

 このことにまた「感謝」なのですね。




同じテーマの最新記事
2009-11-08 17:39:04

病気の時は

テーマ:ブログ

 ここ数年、病気らしい病気をしたことがありません。


 それはとても幸せなことです。神仏、守護霊様、ご先祖様、ご縁をいただいた方々の御蔭であると心から感謝しています。

 自ら毎日欠かさずにやる行為の中では、特に朝陽に拝む「日拝」が良いように感じています。

 私は若い頃、しょっちゅう病気や怪我をしていて、ある年などは病欠で職場の有給をすべて使い切ったこともありました。

 でも、病気や怪我をすることには、それ相応の理由があります。
 

 健康で無事であることに越したことはないのですが、「病気=悪いこと」とは言い切れないのです。

 病気や怪我をすることで、本当は「大事」になるところを、「小事」にしていただいていることもありますし、そうなることで気づきをいただき、生き方がより良く改善されることもあります。

 病気や怪我であっても、その人にとって「不必要なこと」は、ただのひとつとしてないのです。

 やってはいけないこと、注意すべきことは、病気や怪我から何も学ばず、気づくことなく、自らでせっかくの機会を「不必要」にしてしまうことです。

 そうした場合、間違いなく、しばらくすると姿形を変えながら、病気、怪我の現われが起こります。
 

 「気づくまで、延々と学ばせていただける」という“同一修行のループ”が起こるわけです。

 しかし、時に、愛情深く、徳高く、やさしい人によくあることのですが、自分のカルマ(業)が原因ではなく、家族や大切な人を救うために病気になる人がいます。

 人のために、自分が身代わりに病気や怪我をして、その人の難を避けさせたり、小さくさせてくれるのです。

 親が子のために、師が弟子のために、愛する人、弱く護るべき人をかばい救うために、自己犠牲の形でつらく苦しい病気、怪我を身代わりとなってくれるわけです。

 以前にもご紹介したことがあったと思いますが、幕末に岡山県に現れた我が国屈指の神人で、「黒住宗忠(くろずみ むねただ)」という人がいます。

 釈迦やキリストに比する霊性を持ち、病気や怪我を瞬く間に治したりするなど、数々の奇跡を起こしたことで知られる我が国を代表する神人です。

 黒住教の教祖でありますが、神道系の新興宗教の教義の根本はこの黒住宗忠にありといっても過言ではないと私は思います。

 そんな特別な力を持った人ですが、宗忠は大変に情深く、思いやりにあふれた人物であったそうです。

 両親を立て続けに亡くした宗忠は、嘆き悲しむあまり、重い病いとなり、死地をさまよいます。その時、30歳を過ぎていましたが、親思う心がそれほど篤い人だったのです。

 また、夫婦仲睦まじいことでも知られ、日ごろから「今日の自分があるのは妻のおかげ」と公言していました。講釈会に子供を連れて自分の話を聞きに妻が訪れると、「よく参ったな。子供の世話や家の用事も多いのに、本当に感心じゃ」と満面の笑みをうかべて、うれしそうにねぎらったそうです。

 その愛妻を宗忠69歳の時に亡くした時は、神前で祈りをしながらそのことを知った瞬間、悲しみのあまり気絶してしまったそうです。

 そのほかにも、弟子から借金を頼まれると断れず、そのことで高弟から苦言を呈されると「まったくその通りだ」ともう借金の肩代わりをしないことを誓うものの、困っている弟子を目にするとつい高弟に黙って面倒を見てしまう。そのことがばれて再び注意されると悪事を親に見つかった子供のように顔を赤らめて「すまない、すまない」とひたすら詫びたという話も残っています。

 そんな情愛の果てしなく深い宗忠であるからなのでしょう、神人・宗忠もたまに病気になることがあったそうです。

 ある時、病気で床についている宗忠を見舞いに訪れた弟子が、「さぞかしご難儀なことでありましょう」と言葉をかけると、

 宗忠は、「いやいや、病気の御蔭で、各地からのご招待を受けなくなっています。その分、時間はあるので、この間に、天地のお栄えをこの場から一人ひたすらお祈りしております」と答えたそうです。

 病気であることを悲観することなく御蔭と感じ、その間に、今できる「この世の栄え」をひたすら病床で祈る宗忠の姿を想い、胸が熱くなりました。

 家族や恋人、友人、知人、職場の同僚、過去にお世話になった人たちの幸せを祈ることは、その気になれば誰もができます。

 その時々に感謝し、“今ここ”で自分ができることを真心をこめて行っていく(行)ことの大切さを宗忠は教えてくれているような気がします。



2009-11-06 05:22:22

シンクロ、シンクロ

テーマ:ブログ


 先週から2日おきぐらいの割で、路上で1円玉を拾います。


 さすがにこれだけ続くと、まるで1円玉さんが拾われるために待ち構えてくれているようにさえ思えてきます。

 お金はお互いに秘密のネットワークで結ばれていて人知れずコミュニケーションできるという話をうかがったことがあるので、もしかしたら、こまめに連絡を取り合って情報交換しているのかもしれません。

 私は見つけると、人が居ようが、居まいが躊躇(ちゅうちょ)しません。さすがにお札だとそういうわけにはいかないと思いますが、1円玉に颯爽と歩み寄り、パッとかがんで素早く拾い(笑)、すぐに奇麗に拭いてあげます。

 だって、地べたに放っておかれるなんてかわいそうですものね。

 「踏みつけられなかったかな」と心の中で声をかけて、よく拭いたあとは、しばらくポケットに入れておいたり、家に持って帰って神棚の隅に置いたりして、なじんでもらってから自分の財布に入れて他のお金と一緒にして使います。

 さて、近いうちにまたまた1円玉さんはやってくるのでしょうか。”家族を連れて”やってくるともいいますので、これまたとても楽しみです(笑)。


 そしてもうひとつ。先日2日の祭日の午後、近所のデパートの食料品売り場に行く機会がありました。

 エスカレータで地下に降りると、着物に傘をかぶった女性がふたりいるのが遠くからでもすぐに目につきました。

 近づいてみると、「佐渡おけさ」の格好をしていて、新潟・佐渡島の地元の産品である柿を売っていました。

 試食を勧められて、あんまりおいしそうだったものですから、思わず「いただきます」とひと切れいただいてしまいました。柔らかすぎず甘くてみずみずしくてとてもおいしい柿でした。

 一緒にいた娘も「とってもおしいね」と言うので、買って帰ろうと思ったら、すかさず「トイレに行きたい」というではありませんか。

 上の階にあがってトイレに行く間に次の用事の時間が迫り、地下に戻っている暇がなくなりました。

 「また、機会があるだろう」と気持ちを切り替えデパートを後にしました。

 そんなことのあった翌日の夜、仕事から家に帰ると、段ボール箱で宅配便が届いていました。中をあけると、そこにはぎっしりと柿が詰まっていました。

 しかも、なんとそれは佐渡の柿だったのです。



人は誰もが幸せになるために生まれてきたんです



 すぐに神棚にいくつかあげて、送ってくださった方にお礼の電話をして、昨日のデパートでの話をすると、
「ことはさん(実際は本名で)がいつもおっしゃっている通りじゃないですか。言うと叶うんですよ。それも、あっという間に叶うようになったようですね」と言われてしまいました。

 そうでした。言えば、言ったことが叶うんです。

 ここ数年はその間隔が短くなっていることに多くの人々が気づいてきていると思います。

 目の前の佐渡産の柿が「これからますますすばやく叶う世界になっていきますから、良い言葉を使いましょうね」と笑って教えてくれているように見えました。



1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
  • KOBE COLLECTION BLOG
このFlashをご覧いただくには最新のFlash Playerをインストールし、JavaScriptを有効にする必要があります。