城が残っていない理由
日本には現存(建てられた当時のままの)天守が12基ありますが(詳細は8/22の記事 を参照)、では、なんで数万もの城があったとされているのに、それだけしか残っていないのか、って考えたことはありますでしょうか?
「はい。あります。」
という声が聞こえたと仮定して、今回は「城が残っていない理由」を端的に、かつ箇条書きタイプでピックアップしてみましょう。(なにせ、いっぱいあるので…)
落城
これは、戦国の世の定めですね。落城した後に破壊されたり、燃やされたりしたケースです。
【例】 佐和山城(滋賀)、小谷城(滋賀)、伏見城(京都) など
廃城
戦略上の価値がなくなったり、新しく近くに城を造った場合に単純に廃城となることがありました。
【例】 門司城(福岡)、神辺城(広島)、高山城(岐阜) など
一国一城令
徳川幕府の命令によって、江戸初期にかなりの城郭が破却されました。1615年に廃城になっている城が多いのはこのためです。
【例】 大聖寺城(石川)、宿毛城(高知)、加久藤城(宮崎) など
明治維新前後の混乱
戊辰戦争で落城、破却されたり、明治維新後、旧体制の象徴である城が破壊される時期があったり、明治新政府によって売却された城があります。
【例】 会津若松城(福島)、甲府城(山梨)、白石城(宮城) など
空襲
要地の城には大戦中、旧陸軍が駐屯していたことも多く、多くの城が空襲で焼失しています。残念。
【例】 大垣城(岐阜)、和歌山城(和歌山)、広島城(広島) など
火災
失火や放火など、火災で無くなった城郭建築は数知れず...。木造建築の悲しさです。
【例】 松山城(愛媛)、二条城(京都)、丸亀城(香川) など
落雷
高層建築物で、かつシャチホコを備えた天守などは、雷のかっこうの餌食になるのです...。
【例】 津和野城(島根)、金沢城(石川)、岸和田城(大阪) など
地震
地震大国日本だけに、この被害も記録に残っているだけでもかなり見受けられます。
【例】 大分城(大分)、飫肥城(宮崎)、江戸城(東京) など
以上が主なものです。他にも、水害や暴風雨、予算がないためにメンテナンスを放棄されたものなど、各地の城に受難の歴史が存在するのです
自然災害を除くと、一国一城令&明治維新&近代戦争の時期に、天守閣はじめ大量の建造物がなくなってしまってますね
そう考えると、今残っている12現存天守は奇跡的に思えてきました。
また機会を見て、今度はこれらの「なくなってしまった」城たちが、どのように復興されているのかにも注目していきたいと思います。