(続)ルノー従業員連続自殺-遺族・同僚の証言【2】 | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

3月26日 の続きです。


Suicides au Technocentre Renault

Les oubliés de Guyancourt


(つづき)

1020日金曜日、午前10時、エスカレーターの下に男性の死体が横たわっていた。1人の測量技師が6階から飛び降りたばかりだった。アントニオ・Bと言う。アントニオは、レイモンが計画に関して12回すれ違っていた、背の高い茶色の髪の男。美しい顔立ち、立派な地位、模範的なマネージャー、彼にとっては全てが成功しているように見えた。廊下での噂話では、そんなにうまく行っていないということ、夫婦間に問題があることも囁かれていた。ある者は彼が離婚寸前であるとさえ言っていた。もし同僚の一人でも妻のシルビーと会っていたら、真実を知ることになっていただろう。シルビーは、18歳の頃から知っているアントニオが、数ヶ月前から見る影もなくなっていたと言ったはずだ。メガーヌ・カブリオレを配置するための、ドゥアイでの1年の後、ルーマニア、トルコ、ブラジルでの任務のために、会社はアントニオをルーマニアに1年間派遣しようとしていた。彼は敢えて拒否しようとしなかった。「拒否したら、モチベーションが欠けていると思われる」と言っていた。アントニオはいつも仕事に全力を注いでいた、それは彼自身の遺伝子からのものだった。ポルトガル移民の息子として、彼はリヨン中央学校に在籍して、ヴァル・フレで最初の技術の試験に合格した。彼は仕事を愛していた。15年という歳月を、労を惜しまずルノーに捧げた。しかし、新しい女性の上司が着任してから、疑問を持つようになった。アントニオは妻に告白していた。「彼女は僕の仕事の邪魔をし、人前で罵った。皆が絶えず僕を貶し、何をしても許されなくなった。」 そして、閉じこもる。「自分には何の価値もない。」 夏以降、アントニオは8kgも体重を減らし、毎晩2時間しか眠らなくなった。シルビーは彼に一般医の診察を受けさせた。彼はマグネシウムを服用し、部長に直属の上司との困難さを話した。自殺の15日前、周囲は彼に仕事を変えるように提案した。妻は残念がる。「私は、夫が苦境を脱してくれるだろうと自分に言い聞かせていました。でも、彼は、駆け出しの技師のポストが問題だと言いながら悔しがって戻ってきました。」「もう私の言うことを聞こうとしませんでした。壁に当たったようでした」と彼女は嘆息する。悲劇の朝、アントニオは青ざめ、腕は震えていた。彼は翌日にはブラジルに発つことになっていた。シルビーは仕事に行かないように懇願したが、アントニオは大事な会議があると言いながら音を立ててドアを閉めた。3時間後、アントニオは「巣箱」の中心に飛び込んだ。



妻に知らせたのはギアンクールの警察署だった。ルノーの誰も、彼女に電話しようとも、連絡先を警察に知らせようともしなかった。若くして未亡人になった妻には、相談相手として、テクノセンターのソーシャルワーカーしかいなかった。聞いたところでは、アントニオの机は封印され、身の回り品は、アパートの鍵や息子の絵でさえ、取り戻せなかった。「10日経ってから警察に連絡したら、何にも封印されていないと説明されました」と彼女は話す。夫の段ボール箱を取り戻したとき、彼女が夫に贈った電子手帳を見つけた。しかしその中には、友人との連絡も、メールの痕跡も仕事の約束も、何も残っていなかった。不思議なことに、アントニオは飛び降りる前に全て消去するよう注意を払っていた・・・ 残された妻は、ルノーが夫の自殺を仕事上の事故と認めるのを拒否していることを知る。「最悪の侮辱です」妻は言う。「このような事件では、原因が極度に複雑です。会社が家族の苦しみを分かち合っているとしても、評価は健康保険組合に委ねるしかありません。」テクノセンターの人事部長は主張する。しかし、ルノーの管理職の誰も、アントニオの墓参りに来ていない。「皆が間違っていた。だから、何事もなかったかのようにしている」引き合いに出されるのを望まなかった同僚の1人は、そう告白する。シルビーは後に、「アントニオが優しすぎた」こと、彼のような管理職は«corvéables à merci»(「感謝することを課せられた人」)と呼ばれていたことを知ることになる。ある者は耐え、他の者は耐えられない。そういうものだし、単純にそうとも言えない、特に従業員の心理状態を調べるようルノーに依頼された医師にとっては。ストレスに対する新たな研修の日が、123日に予定されていた。



出典:

SOPHIE DES DÉSERTS

Le nouvel Observateur No.2228 du 22 au 29 mars 2007



次回に続きます。