朋とピアノ。明衣とピアノ。 | 激あちラジオ

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私は、時間が許すならずっとピアノを弾いていたい。

近所の迷惑になろうとも、自分のものになるまで練習したい。


何で、それが今さらなんだろうか。

習ってたときはそんなに気乗りしなくて、いろいろもったいなかったな。

でも、やっぱりピアノ習っててよかった。自己満足ではあるが、弾けない曲もいっぱいあるけれど

気になった曲を探して練習するのは楽しい。


音楽は音を楽しむもので、私は楽しんでいる。


明衣にもその楽しさをわかってもらいたくて味わってほしくて習わせていたけど、

明衣は練習しないし、弾けないしでものすごく苛々させられて

ただでさえ、明衣との関係はよくないのに、音を楽しむ為のもので泣いたり怒鳴ったり苦しい嫌な思いをしてきた。


その都度、明衣と話し合い、やる気があるのかどうか、ピアノをどうしたいのか、自分はどうしたいのか

を確認し、明衣の出した結論は「ピアノを頑張って続ける。アイネ・クライネ・ナハト・ムジークを弾けるようになる。」だった。


練習嫌いだし、難しい曲になる度に「やめたい。」と言う明衣。

間違いを指摘するとむくれて弾かなくなる明衣。


できれば教えたくないが、間違ったまま弾いて、またもう1週間同じのを弾くのは嫌だ。

インフルエンザの予防接種や、体調不良でレッスン休んでたら、かなり遅れてしまって、新しい曲を2つ追いつかせて、明日はレッスンだ。


私が弾いていると、必ず別室にいてもピアノの部屋にやってくる明衣。

隙あらば、横からピアノに手を出す明衣。


興味はあるんだろうけど、練習とかに結びついてこない。

きっと練習も上手に弾けると、私がほめるから

その為にピアノをやってるんじゃないかと思う。


明衣は自分から新しい曲に取り組むこともない。


でも、1度やるって決めたことをできないからって投げ出し、あきらめることを覚えさせたくない。

楽譜が読めることや楽器が弾ける楽しさを身に付けてほしい。


それは私のエゴなのだろうか。


明衣にはそんなこと必要ないのだろうか。



母や父がとても勉強ができて、それが当たり前だったから、当然それを基準レベルとして私に求めたように

私も明衣にピアノの楽しさがわかることを当たり前に求めている気がする。



親の価値観と私の価値観が違うように

私の価値観と明衣の価値観は違うのに。


ショパンには弾いてて楽しくなる曲がいっぱいあるし

モーツァルトには、華やかで煌びやかで優雅な曲がいっぱいあるし

ベートーベンには重みのなかに心掴む旋律あふれる曲がいっぱいあるし

ドビュッシーには流れるような曲の中に独特の美しさがあるし

バッハには心が洗われるような曲がいっぱいある

坂本龍一ならその音がどの情景を描いているかわかりやすい

久石譲ならジブリでなじみも深いだろう。


明衣にも音楽を。って私は思うのです。

やっぱり秀逸なクラシック聞くと、泣けてくるもんね。勝手にリズムだってとっちゃうしね。


悔しいけれど、明衣や晴乃には私よりもピアノもうまくなってほしいと思っています。


まずは、ピアノを好きになってもらいたいです。