ジェームス・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 | 文学どうでしょう

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郵便配達は二度ベルを鳴らす (新潮文庫)/新潮社

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ジェームス・ケイン(田中西二郎訳)『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(新潮文庫)を読みました。残念ながら現在は絶版のようです。

愛ではなくお金のために年上の男と結婚した女が、若くて魅力的だけれどお金はない男と出会い、愛し合うようになったらどうなるでしょうか。二人で邪魔な夫を殺そうと計画するのが、ミステリのお約束。

今回紹介する『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は夫殺しの完全犯罪を目論む倒叙もの(犯人側から描いたもの)。もう一つ特徴があり、それはアウトローの主人公の語りによる乾いた文体の小説であること。

アーネスト・ヘミングウェイの文体に影響を受けてダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーと続くのがハードボイルドの流れですが、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が発表されたのは1934年。

ハメットとチャンドラーのそれぞれの長編デビューはハメットが『赤い収穫』で1929年、チャンドラーは『大いなる眠り』で1939年ですから、ちょうどその間に位置する作品ということになります。

その乾いた文体から『郵便配達は二度ベルを鳴らす』もハードボイルドの源流と言われる作品ですが、実際に読んでみると、ハードボイルドのイメージとはかけ離れた作品のように感じられることでしょう。

ハメットとチャンドラーはそれぞれ私立探偵が主人公ですが、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の主人公は行くあてのない風来坊であり、事件を解決しようとするのではなく完全犯罪を目論むわけですから。

むしろ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』はミステリというよりも、殺人を犯した者が思いも寄らない状況に追いやられて、その心理が淡々と描かれていくという点で、フランスのある文学作品に似ています。

それが1942年に発表された、アルベール・カミュの『異邦人』です。「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」という書き出しで有名な文学作品ですよね。

異邦人 (新潮文庫)/新潮社

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カミュ自身は言及していないので本当はどうなのかよく分かりませんが『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が『異邦人』に大きな影響を与えたのではないかと言われることもあり、それも頷ける感じなのです。

その辺りに関心のある方は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』と『異邦人』を読み比べてみてください。色々共通点が見つかると思います。

ぼくはミステリの中でも倒叙ものが特に好きなのですが、倒叙ものは自ずから犯人の心理に寄り添いますから、ミステリというより文学的になるものなんですね。犯人の心理の動きがとても興味深いのです。

ハードボイルドの枠組みにおさまらず、やや過激な表現がありつつ、どことなく文学的な香り漂う『郵便配達は二度ベルを鳴らす』。今はあまり読まれていないようなのでなおさらおすすめしたい一冊です。

またこの作品は、何度も映画化されていることでも有名で、1942年のルキノ・ヴィスコンティ監督のものや、1981年のジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラングが出演しているものなどがあります。

郵便配達は二度ベルを鳴らす [DVD]/ジャック・ニコルソン,ジェシカ・ラング,ジョン・コリス

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ただ、残念ながらぼくはまだ一つも観ていないので、これが特におすすめだよというのがあれば、ぜひコメントを残していってください。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 正午ごろ、おれは干草を積んだトラックからほうりだされた、前夜、国境のところで飛び乗って、幌の下へもぐりこむが早いか、寝込んでしまったんだ。何しろティア・フアナで三週間くらいしたあとで、ひどい寝不足だったから、エンジンの熱をさますために車が道ばたへ寄ったときにも、まだ目がさめねえ。おれの片足が出ているのをみつけられ、つまみだされたのはそのときだ。テレかくしに、おどけてみせようとしたが、気のきかない間抜けづらしかできなくて、ギャグにもならねえ始末だった。それでもやつらはたばこを一本めぐんでくれて、とにかくおれは何か食うものを捜そうと、街道を歩きだしたんだ。(5ページ)


行くあてもなく歩き続けた24歳の〈おれ〉フランク・チェンバーズは街道わきにあり、サンドウィッチ食堂とガソリンスタンドを兼ねるトウィン・オークス・タヴァン(二本樫亭)へとたどり着きました。

お金がないと言うと、店主のギリシャ人ニック・パパダキスはちょうど人手が欲しかった所だから、ここで働いてみないかと言ってくれます。ニックの妻コーラに惹きつけられた〈おれ〉は働き始めました。

やがて看板が風で吹き飛ばされてしまったので、〈おれ〉はニックに新しい看板を作ることをすすめます。その気になったニックは下書きを手に、二十マイルほど先のロサンジェルスへ出かけていきました。

〈おれ〉はドアに鍵をかけ調理場へ入っていきます。お客が誰も入って来られないことを知ったコーラは〈おれ〉のなすがままになり口づけすると「噛んで! 噛んで!」(17ページ)と叫んだのでした。

コーラは初めて身の上話をします。三年前、高校の美人コンテストで一等を取って、そのご褒美でハリウッドへ行ったこと。夢破れて安料理屋で働くみじめな暮らしをしている時に、ニックと出会ったこと。

〈おれ〉とコーラは愛していると言い合いますが、風来坊の〈おれ〉には財産はなく、たとえこのまま二人で逃げ出したところで、結局は同じようなみじめな暮らしをするのが関の山だとコーラは言います。

 女は、長いあいだ、両手でおれの手をひねくりながら、だまっていた。「フランク、あたしを愛してる?」
「うん」
「一つだけ、方法があるわ」
「おめえは、ほんとはそんな悪い女じゃねえと言ったんじゃなかったか?」
「言ったわ、それも本気で言ったわ。あたしはあんたの思ってるような女じゃないのよ、フランク。あたしははたらいて、どうにかちゃんとやっていきたいの、それだけなの。だけど、愛情なしじゃ、それはできないわ。わかる、フランク? とにかく、女はそれでなきゃだめなのよ。それでね、あたしは一つだけ、間違いをしちゃったわ。だから一ぺんだけ、その間違いを直すために、悪い女にならなきゃならないの。だけどほんとは、あたしは悪い女じゃないのよ、フランク」
「だがそれをやれば死刑になるぜ」
「うまくやりさえすればならないわよ。あんたはあたまがいいわ、フランク。あたしは、いままでただの一分でも、あんたをだまかさなかったわ。何かやりかたは考えつけると思うわ。たくさんあるはずだもの。ねえ、心配しなくってもいいのよ。つらい立場から脱けだすために、悪い女にならなきゃならなかった女は、あたしが初めてじゃないわ」(25ページ)


二人が考えた計画は風呂場で頭を殴ってニックを溺死させるというものでした。浴槽で足を滑らせて自分で頭を打ったように見せかけようと思ったのです。〈おれ〉が見張り、コーラが実行にかかりました。

しかし思わぬ事態が起こります。風呂場に鍵をかけたままにしておくため、コーラは窓から出る予定でしたが、そのために使うはしごを猫が登っていく所を、通りがかった巡査に見られてしまったのでした。

ニックの死が不審に思われ、何故はしごがあったのかを追及されたらたまりません。幸い、殴っただけでまだ溺れさせていなかったので、ニックをなんとか蘇生させ、一人で転んだと思い込ませたのでした。

殺人なんて考えるのではなかった、きっとうまくいかないものだと後悔した二人でしたが、ニックが入院している間は一緒にいられる時間が長いため、ますます離れられない関係になっていってしまいます。

ニックを捨てて逃げた二人でしたが、「ホテルに一晩とまって、それから働き口をさがしはじめるんだわ。そうして、泥んこのなかで暮らすんだわ」(46ページ)とコーラは途中でくじけてしまいました。

コーラはニックの元へ帰り〈おれ〉はまた放浪生活に入ります。しかし偶然玉突き場でニックと再会してしまったのでした。〈おれ〉を疑っていないニックは大喜びで〈おれ〉を店に連れて帰ったのです。

コーラは〈おれ〉を追い出したいと言い、店に〈おれ〉を置きたいと言うニックと大喧嘩をし始めました。話し声がやんだのでもっとよく聞こうと〈おれ〉が調理場に入っていくと、そこにいたのはコーラ。

 おれは灯をつけた。
 女がそこに立っていた――まっ赤なキモノを着て、ミルクのように血の気のない顔でおれをみつめ、手に、長い細身のナイフを握って。手をのばして、おれはそれをとりあげた。女がしゃべりだしたとき、蛇が、ぺろぺろと舌なめずりをする音みたいな、ささやき声だった。
「あんた、なぜ帰って来なきゃならなかったの?」
「ほかに仕方がなかった、それだけさ」
「いいえ、帰らなくたって、よかったのよ。あたしは、がまんして、やりとおす気になっていたのよ。あんたのことが忘れられそうになってたのよ。それなのに、いまごろ帰って来るなんて、ひどいわ、帰って来るなんて、あんたって、ひどいひとだわ!」
「がまんするって、何をだ?」
「あのひとが、スクラップ・ブックをこしらえてるのも、そのためだわ。あれは、自分の子どもたちに見せるためなのよ! いま、あのひとは子どもをほしがっているのよ。いますぐ、ほしいんだわ」(58ページ)


コーラは、あの人の子供は産みたくないと言い、他にどうしようもないのかと尋ねて来ます。〈おれ〉はあいつにナイフを突き刺す気だったろうと言うとコーラは自分を刺すつもりだったと言ったのでした。

そうして再び〈おれ〉とコーラはニック殺しを計画します。今度は交通事故に見せかけることに決めました。酔っ払い運転での事故はよくあることですし、自分たちもけがをしたなら、疑われないでしょう。

〈おれ〉とコーラ、ニックの三人は車に乗って出かけます。コーラが運転をし、〈おれ〉とニックは酒を飲んで歌いご機嫌です。目撃者も確保しすべて〈おれ〉たちの計画通りに進んでいったのですが……。

はたして、〈おれ〉とコーラが目論んだ完全犯罪の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。後半は息をもつかせぬ展開の連続になっていて最後の最後まで目が離せません。時に暴力的な描写があり、乾いたハードボイルド・タッチなので、好き嫌いは分かれる小説でしょう。

ただ、かなり物語に引き込まれる作品ですし、180ページほどの短い作品なので、興味を持った方にはぜひ読んでもらいたいと思います。何度も映画化されたハードボイルドの源流と言われる名作です。

明日は、志水辰夫『行きずりの街』を紹介する予定です。