宮部みゆき『今夜は眠れない』 | 文学どうでしょう

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今夜は眠れない (角川文庫)/角川書店

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宮部みゆき『今夜は眠れない』(角川文庫)を読みました。

今回紹介する『今夜は眠れない』は元々中公文庫から出ていました。今回は角川文庫で読みましたが、ぼくが初めて読んだのは中公文庫。角川文庫の方が新しいですが、中公文庫もまだ手に入るみたいです。

中公文庫には、ある仕掛けがあって、ページの下の方にアニメーション作家古川タクのパラパラマンガがついているんですよ。小説にパラパラマンガがついているのは珍しいですよね。とても印象的でした。

パラパラマンガが読みたい方は中公文庫を、小説だけを読みたい方は角川文庫を選ぶとよいでしょう。また、中学生の少年が主人公なことから、児童向けレーベルである講談社青い鳥文庫からも出ています。

『今夜は眠れない』の主人公緒方雅男は平凡な中学生。ところがある時、一家は五億円もの大金を手にすることとなりました。母親が若い頃に親切にしてあげたという男性から、遺産を受け継いだからです。

お金はないよりもあった方がいいに決まっていますが、なにしろ五億円もの大金なので世間は緒方一家のことを放ってはおきません。マスコミが押し寄せ、近所の人から好奇の目で見られるようになります。

元々浮気していたこともあって、男性と母親の関係を疑った父親は家を出て行ってしまい、家族はばらばら。そこで緒方雅男は、親友の島崎俊彦とともに男性と母親の過去を探り始めて……という物語です。

雅男が何故そこまで熱心に調査をするかというと、もしかしたら五億円を残した男性が自分の本当の父親かもしれないと思ったから。何もなかったと母親は言いましたが、いくつかの疑問があったのでした。

臨海公園の水族園で親友島崎に一緒に調査してくれるよう頼みます。

 マグロが十匹ほど行きすぎるあいだ、島崎は無言だった。やがて眼鏡をはずすと、ポケットからハンカチを取出し、ていねいにレンズを拭いて、またしまいこんだ。そして眼鏡をかけないままの、急に子供っぽく見える顔を僕に向けて、
「それはつまり、おまえんちのおばさんの言ってることが本当かどうか調べるってことか?」
「うん」
「おじさんの疑惑をはらすために?」
「それもあるけど……ううん、自分のためだな」
 ほかの誰よりも、僕に関係のあることなのだ。僕の出生に。一生のあいだに”出生”なんて言葉と関わりを持つ時が来るなんて、夢にも思ったことはなかったけれど、降りかかってきた火の粉ははらわねばならない。
「おばさんを信じてあげないのかよ。自分のためだっていうなら、それがいちばんじゃないか。母親だぞ」と、島崎は言った。
(中略)
「こんなとき、ただ子供だっていうだけで、座り込んでメソメソ泣いて、”お願いだから僕を傷つけないで”なんて言って、悲しんでる権利はないんだよ。受け身でいちゃダメさ。そう思わない?」
 島崎はまだ無言でマグロを見つめている。僕は彼の横顔を見つめて待った。
 やがて、ゆっくりと眼鏡をかけると、島崎は僕の方へ向き直った。
「友よ」と、にやっと笑った。「よくぞ決心した」
僕も一緒に笑った。「手伝ってくれるね?」(80~81ページ)


この島崎がかなりいいキャラクターなんですよ。全然子供らしくない子供で、犯罪や社会情勢に詳しく、物事を先の先まで見通すタイプ。ずばりと本質を突く辛辣な物言いをすることもある一種の変人です。

子供らしくない言動が故に捜査で失敗してしまうことも。この島崎がホームズ、雅男がワトスンの役割を果たしながら、物語は展開していきます。引き込まれるストーリー、意外な展開が魅力の作品でした。

作品のあらすじ


七月六日、土曜日の午後。一人の男が緒方家を訪ねて来ました。男は弁護士で、家族みなさんに話があると言います。父親は出かけていたので〈僕〉雅男は河川敷のゴルフ練習場に父親を呼びに行きました。

するとそこで〈僕〉は、父親がピンク色のゴルフウェアに身を包んだ隣の打席の女性に、親しげにコーチをしている所を見てしまいます。

フロントのお姉さんに放送で呼び出してもらうことにしましたが、お姉さんに何度くらい父親はピンク色のゴルフウェアの女性と一緒に来たか尋ねると、お姉さんは黙って片手をあげ五本の指を見せました。

とにもかくにも緒方一家が弁護士の前川先生の前にそろうと、途端に険悪なムードになります。母親は父親が、そして〈僕〉と父親は母親が、離婚の話し合いのために弁護士を呼んだのだろうと思ったから。

ところが前川先生は思いがけないことを言います。最近亡くなった澤村直晃という実業家の遺言を伝えにやって来たのだと。澤村氏は20年前に隣の部屋に住んでいた母親が、親切にしてやった相手でした。

「そこで、澤村氏は遺言を書かれました。これは、公正証書遺言といって、検認の手続きも要らない、そのままストレートに有効な遺言状です。私は生前の氏の顧問弁護士をしていた関係で、遺言執行人に指定されました。その遺言のなかで澤村氏は奥さん、あなたに、財産を全額遺贈すると書いておられます。おわかりですかな?」
 僕らはみんな”おわかりになって”きつつあったけど、信じられなかった。
「それでその……澤村とかいう人は、家内にいくら残してくれたんです?」
 かばうわけじゃないけど、そう尋ねた父さんを、僕は恥ずかしいとは思わない。僕だって、それを知りたくて叫びだしそうになってたんだから。
「税金――これが非常に莫大なのですが――それから、もろもろの経費を差し引いて、まったくの手取額で申し上げまして――」
 にっこり笑いつつ、弁護士さんは右手をあげ、指を五本示した。意味は違うけど、ついさっき、ワンショット・クラブの受付のお姉さんがそうしたのと同じように。
「五千万円ですか?」
 乗り出す父さんと、唖然としている母さんに、前川先生は、ゆっくりと首を振ってみせた。
「いいえ。五億円です」(25~26ページ)


母親は秘書養成の専門学校に通っていた19歳の時に「いさか荘」というアパートで暮らしていました。その時、隣の部屋に住んでいたのが澤村氏で、銃で撃たれて苦しんでいたのを助けてやったのでした。

救急車は駄目だというので闇医者を呼び看病します。澤村氏は「この恩は忘れない、将来、自分がまたひと財産築いたら、きっとあなたにも何かを残してあげるから」(37ページ)と言い去ったのでした。

それから20年後の、あまりにも唐突な遺産の話にただ驚くばかりで喜びもなにもあったものではない緒方家でしたが、澤村氏が有名な相場師(そうばし)だったことから、世間の注目を浴びてしまいます。

すると、なにもない相手に五億円もの大金を残すはずがない、母親と澤村氏はかつて交際していて〈僕〉は二人の間の子供ではないかと噂されるようになってしまったのでした。怒った父親は出て行きます。

さすがに〈僕〉の心中も穏やかではありませんが、親友島崎俊彦が自分の部屋にこっそり泊めてくれて色々話を聞いてくれたので気持ちが落ち着きました。そして島崎と一緒に真相を探る決意をしたのです。

よく考えると不思議に思うことがいくつかある〈僕〉。祖父から聞いた話ですが〈僕〉は両親が結婚して八ヶ月で生まれた子供だというのです。そのわりに未熟児ではありませんでした。計算があいません。

そして最も気になるのは自分自身の記憶。小さい頃誰か男の人に”たかい、たかい”をしてもらった覚えがあるのです。ところが父親は腰に持病があって、〈僕〉が幼児の頃ぎっくり腰で入院していたほど。

腰を痛めていた父親が”たかい、たかい”をしてくれたはずはありません。「お祖父ちゃんや、叔父さんや、近所の人かな?」(100ページ)と、様々な可能性はありますが、澤村氏だったらどうでしょう。

もしそれが澤村氏だったとしたなら、母親と澤村氏はこっそり会い続けていたということになります。そしてこっそり会い続けているような関係だったとしたなら、本当の父親は澤村氏かも知れないのです。

夏休みに入っても〈僕〉はサッカー部、島崎は将棋部とそれぞれの活動に忙しかったのですが、なんとかなんとか時間を作り、母親と澤村氏の過去を探り真相をつかむべく「いさか荘」へ調査に向かいます。

しかし「いさか荘」があった場所には「バンダムール江戸川」という五階建てマンションが立っていたのでした。〈僕〉と島崎は諦めず、当時のことを知っている人がいないか、聞き込み調査を初めて……。

はたして、〈僕〉と島崎は、出生の真相を突き止められるのか!?

過去の出来事の真相を探るというミステリでは定番のストーリーですが、主人公が刑事や私立探偵ではなくただの中学生というのがこの作品の面白い所。〈僕〉と島崎のほほえましい調査活動にぜひ注目を。

物語の後半は、かなり意外な展開になっていきます。それもまたミステリではわりとよくある題材なのですが、普通のミステリとは全く違う描かれ方になっているのがこれまた面白く、とても印象的でした。

軽い雰囲気のミステリが読みたい方におすすめの一冊。続編に同じく〈僕〉と島崎が活躍する『夢にも思わない』という作品もあります。

明日は、有川浩『阪急電車』を紹介する予定です。