有川浩『阪急電車』 | 文学どうでしょう

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立宮翔太の読書ブログです。
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有川浩『阪急電車』(幻冬舎文庫)を読みました。

電車や喫茶店では妙に周りの人の話していることが気になるものです。うるさいなあと思うこともあれば話の内容に惹きつけられたり、なにかを思い出せないでいる人に、答えを教えてあげたくなったり。

ぼくは会話のうるささというのはさほど気にならないのですが、困るのは映画の話。観に行きたいと思っている映画の情報はあまり知りたくないので聞きたくないのですが、耳をふさぐわけにもいきません。

たまに話を聞いている側が「で、最後どうなったの? いや大丈夫、オチ言われても気にしないタイプだから」とわけのわからんことを言い出すことがあって、いやいやこっちが気にするよ! と慌てます。

色んな人が乗り合わせるのが電車というもの。どこかへ出かける人もいるでしょうし、また通学や通勤の人もいるでしょう。学生時代にはぼくはいつも大体同じ車両に乗っていました。出口に一番近い車両。

そうすると、いつも同じ時間帯に同じ車両で会う人が何人か出来るんですね。あれもまた妙なものです。別にあいさつをするわけでもないのでまったくの他人ですが、なんとなくあ、またいるなと思います。

相手が本を読んでいる人だと、なにを読んでいるのかどうも気になっちゃって、ちょっと覗き込んで、あ、この人いつもミステリ読んでるなとか、多分時代小説が好きなんだなあとか思ったりしていました。

普段電車を使う人はそういう「電車の中あるある」みたいなのがみなさんそれぞれであると思いますが、考えてみれば電車というのは不思議な空間で、色んな人の人生が重なり合っている場所なんですよね。

さて、そんな電車の不思議な空間を見事に描き出しているのが今回紹介する『阪急電車』。宝塚駅と西宮北口駅を結ぶ今津線を舞台に、たまたま乗り合わせた乗客たちのちょっとした邂逅を描いた小説です。

これは非常にアイディアが面白い小説で、まず舞台を電車だけに限定している時点でユニーク。描かれるのは日常にあるなんでもない出来事ですが、複数の視点から、多角的に描かれているので新鮮でした。

全体の主人公と言うべき人物はおらず、章によって中心となる人物は変わります。つまりある章ではただ目撃されていた人物が、別の章では中心の人物になったりするわけです。これがまた面白かったです。

片道15分の電車にたまたま乗り合わせた人々のささいな行動が、乗客たちそれぞれの人生をほんの少しですが変えていく、そんな物語。

残念ながらぼくはまだ観ていないのですが2011年に中谷美紀、戸田恵梨香、宮本信子、芦田愛菜らが出演した映画版も作られました。

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この小説がどんな風に映像化されているのかは非常に気になる所なので、ぼくもその内観てみたいと思います。みなさんも、映画を観た方は、原作を、原作を読んだ方は映画を観てみてはいかがでしょうか。

作品のあらすじ


宝塚駅でたまたま隣に座って来た女性は、征志には見覚えがある女性でした。いつも行く図書館で、よく顔をあわせている女性だったのです。なんとなく意識しながら征志は借りて来た本を読み始めました。

すると女性が窓を振り返ります。つられて征志も振り返ると武庫川の中州に積み重ねられた石で作られた「生」という文字が見えました。思いがけない現象に征志が驚いていると、彼女が話しかけてきます。

彼女はその「生」の文字に一ヶ月前から気付いていたとのことで「なま」の文字を見るなり生ビールを呑みたくなったと言いました。征志は生死の「せい」だと思ったと言い、「生」談義で盛り上がります。

宝塚南口駅から乗り込んだ翔子は白いドレスに身を包んでいました。座席ではやけにパンパンに膨らんだ鞄を抱えた社会人の男女が、「なま」だの「せい」だのと揉めています。別れた男を思い出した翔子。

同僚で、付き合って五年になる彼氏とは結婚する予定でした。マリッジブルーでいさかいも増えましたが、二人の関係を信じていた翔子。ところ突然に呼び出され、彼の隣に同期の友達がいたので驚きます。

「別れよう」
 その台詞が何故自分に向かって切り出されるのか。まったく訳が分からなかった。
「どういうことなの」
 敢えて彼ではなく彼女に向かって問いかけたが、彼女は怯えたように彼に身を寄せた。
 彼が黙って机の上にピンク色の手帳を出した。彼女の名前の――母子手帳だった。
 呆れて一瞬ものが言えなかった。
「……あんた、結婚準備中に浮気したあげく、生でやったの!?」
 言葉を選ぶ余裕もなくいいだけ下世話になった台詞に、彼女が泣きながら割って入った。
「ごめんなさい、私が悪いの。避妊しなくてもいいって、私が言ったの。もし妊娠したら堕ろすから迷惑はかけないって」
 それを――真に受けたのかこのバカは。
 まずここで一挙に冷めた。自分の付き合っていた男が、結婚まで考えていた男がこんな浅はかなバカだったことに。(29ページ)


翔子は婚約不履行で訴えないかわりの条件を一つ出しました。それは二人の結婚式に出席を認めてもらうこと。そして翔子はタブーとされている花嫁より目立つ白いドレスで結婚式へと乗り込んだのでした。

逆瀬川駅で時江は孫娘と電車に乗り込みます。息子夫婦が出かけているので、犬と遊べるドッグ・ガーデンに孫娘と行って来たのでした。夫を亡くして一人の生活なので犬を飼いたいと思い始めている時江。

電車の中には結婚式場から逃げ出してきたかのような純白のドレスの女性がいました。美しい顔立ちですが、険しい表情をしています。そして孫娘が「花嫁さん」と声を上げると、涙を流し始めたのでした。

わけありだと察した時江は女性から話を聞き小林駅はいい駅だから、そこで休んでいくといいとすすめます。女性は小林駅で降りました。

仁川駅に向かう途中で、女子大生のミサは彼氏のカツヤに説明をしていました。結婚式に呼ばれて白いドレスで出席するのは非常識なことだから、きっとあの女性にはなにか事情があったに違いないのだと。

しかし日頃から怒りっぽく時に暴力も振るうことのあるカツヤは、自分の常識のなさを指摘されたことに苛立ち、ドアを蹴って降りていってしまいました。カツヤの態度にびっくりし女の子が泣き始めます。

祖母らしき老婦人は女の子の涙をぬぐいながら、ミサに「やめておけば? 苦労するわよ」(81ページ)とカツヤとの交際を考え直すように言い、ミサはカツヤと別れることを真剣に考え始めたのでした。

カツヤとこれからどうするか悩んでいたミサが電車の中で耳にしたのは、女子高生たちの会話でした。五つ上の社会人と付き合っているというえっちゃんがしたのはあまり賢くはないけれどやさしい彼の話。

終点まであと一駅の門戸厄神駅。女子高生たちの会話をうるさく感じながら、圭一は門戸厄神にはまだ行ってないなあと考えていました。ラッシュのせいでぶつかって来たのはショートカットの女の子です。

パンクな恰好をしている圭一を怖がった様子でしたが、女の子が持っているのは一般教養の必修科目の教科書。つまり、自分と同じ一年生です。圭一も教科書を見せると、彼女の表情から警戒が消えました。

そうして、思いがけず会話を交わすようになった二人には、同じような悩みといくつかの共通点があり、いつしか話は盛り上がって……。

とまあそんなお話です。ここまでで半分で少し時が流れて、西宮北口駅から宝塚駅までの折り返しの物語が描かれていくこととなります。

『阪急電車』が素晴らしいのは、よく出来たフィクションであると同時に等身大の物語というか、現実にありえそうなことだけが書かれていること。こういった出会いや別れというのはきっとあるでしょう。

それだけに、恋愛小説にありがちな浮ついた感じになっておらず、共感しながら読み進めることが出来ました。実際に今津線に訪れる人が多いというのも頷けるとても温かい気持ちにさせてくれる物語です。

電車の中という限定された空間の物語であること、同じ出来事が複数の視点から語られる手法は面白く、ストーリーとしても引き込まれる部分の多い作品なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、ロバート・B・パーカー『初秋』を紹介する予定です。