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高橋源一郎『銀河鉄道の彼方に』(集英社)を読みました。
今月出たばかりの、高橋源一郎の最新作です。今、高橋源一郎の新作を楽しみにしている人がどれだけいるかは分かりませんが、おそらくそう多くはないのではないかと思います。
小説家としてよりもむしろ、肩の力の抜けたユーモラスな書評だったり、政治的な問題にも踏み込む対談などが注目されることが多いですよね。一般の読者の間では、作品はあまり話題になりません。
しかし、分からない人にはさっぱり分からない一方、好きな人はとにかく好きという、なんとなく不思議で、すごく魅力的な作風の作家なんですよ。ぜひ一度は手にとってもらいたい作家です。
あえて物語のフレームから逸脱するその作品は、毎回似たような感じと言えば似たような感じなのですが、他の作家にはない想像力の自由さがあって、ぼくはいつもわくわくさせられてしまいます。
今回紹介する『銀河鉄道の彼方に』は、『さようなら、ギャングたち』ほどのずば抜けた傑作ではありませんが、非常に面白い小説でした。ここ最近の高橋源一郎の作品の中で、最もぐっと来た一冊。
タイトルにある「銀河鉄道」と言えば、やはり宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が連想されるかと思います。ジョバンニという少年が、友達のカムパネルラとともに、銀河鉄道に乗って宇宙を旅をする物語。
銀河鉄道の夜 (角川文庫)/角川書店
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『銀河鉄道の彼方に』は、その宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の設定とイメージをある程度下敷きにしながら、それでいてまったく違う物語を作り上げている小説なんです。
新たに作り直した翻案でもなく、設定をおもしろおかしく使うパロディでもないので、オマージュという感じが一番違いでしょうか。
宇宙の暗闇について、人間の存在そのものについての壮大な問いかけがなされた、非常に哲学的な作品になっています。
そしてまた、「ファミコンをプレイ中にいきなりバグったみたいな感じ」という比喩がぴったり来る、とんでもないぶっ壊れ方をする作品でもあって、そんな所もぼくは好きでしたねえ。
それがどういうことなのかあまり触れられませんが、まあ読んでもらえれば分かります。面白いか面白くないかはともかく、当たり前の”物語”とは、一線を画していることだけは確かです。
物語はいくつかのシークエンスによって語られていきます。
突然宇宙へ旅立つことになった『男』の話、いつの間にか電車に乗っていたジョバンニの話。弟のキイちゃんを探している内に、”見えない架け橋”を渡ってしまったランちゃんの話。
この世界を牛耳る”誰か”の裏をかくために、物語を書き続ける〈わたし〉の話、”流動性”が流行し、人間の関係性や記憶も含めて定まったものがなくなってしまった世界の話、などなど。
そのすべてがまとまっていくという物語ではないですし、ランちゃんキイちゃんは『「悪」と戦う』、壊れていく世界は『さよならクリストファー・ロビン』とモチーフが共通しています。
その分、つぎはぎの長編小説という印象もなくはないのですが、宇宙(≒世界)との関係性が、”誰かによって書かれる”ということと密接に結びつくような物語構造になっていて、とても面白かったです。
集約されていくというよりは、どんどん広がって収集がつかなくなっていくような物語なので、その分好き嫌いは分かれるかと思いますが、実に興味深い、多くの方に読んでもらいたい作品です。
読みやすく、いつものように過激なAV路線に走ってもいないので、高橋源一郎の一冊目にもおすすめですよ。
作品のあらすじ
天の川について学校で習ったG**は帰りにC**の家に寄ります。C**のおとうさんは学者で、宇宙飛行士だったG**のおとうさんとは親友でした。
G**はC**のおとうさんに、自分とC**とが”世界の成り立ち”について考えたことを離します。
「はい。これは、C**がいいだして、実は、ぼくも同じことを考えたことがあって、すごくびっくりしたので、ふたりでずっと話したのです。つまり、この世界というのは、ほんとうはすごく小さくて、目に見えるところしかなくて、アメリカとか、火星とか、銀河とかいうのは、なにか、テレビや映画みたいなもので、でもそんなものよりはずっと綺麗に、精密に、立体的に見えたりするものだけど、実際には存在していないのかもしれない」
「それは、つまり、この世界に存在しているのは、G**くんとC**だけになるというわけだね。すると、わたしは、どうなるのかな?」
「おじさんは存在してないのです……ごめんなさい……というか、おじさんのふりはしているけれど、なにか、機械かロボットみたいなもので、もっと別の誰かか何かに操られているんです」
(17~18ページ)
C**のおとうさんは、G**のおとうさんと昔、同じようなことを話し合ったものだと言いました。
そして、G**のおとうさんがロケットに乗ってどこかへ行ってしまう前に教えてくれたという、”宇宙でいちばん孤独な男”の話をしてくれたのです。
ある時、『男』の元に『使い』がやって来て、『宇宙の果て』に向かう宇宙船に乗るプロジェクトへの参加をすすめられました。
『男』はロシナンテと名付けることになる「猫」とともに「船」に乗り込み、手記を書き続けます。その中に、”あまのがわのまっくろなあな”が出て来て・・・。
ふと気が付くと、ジョバンニは電車に乗っていました。自分がいつから電車に乗っていたのかは分かりません。外を見ても、真っ暗で何も見えませんでした。
「闇」にも色んなものが詰まっているとおとうさんが教えてくれたような気がしますが、何故かおとうさんの言ったことや、その姿がよく思い出せません。
ジョバンニの胸はしんしんと痛みました。
「こんなことではいけない」
ジョバンニは、自分を励ますようにいいました。いま、ぼくがやらなきゃならないのは、昔のことを懐かしんだり、おとうさんやおかあさんのことを思い出したりすることじゃない。ぼくがどこにいて、どこに向かっているかを知ることなんだ。
(190~191ページ)
2人の少年が旅を続ける物語を書き続けている〈わたし〉は、「時々、わたしが書いているのではなく、わたしは、書かされているだけではないか」(295ページ)と思うことがありました。
世界の決まりを作っている“誰か”がいて、自分はその”誰か”に操られているだけなのではないかと。物語をいじくって”誰か”の裏をかこうとしますが、それも結局は”誰か”の思惑通りではないかと悩みます。
〈わたし〉は、自分たちの世界は、「砂粒一つ程度の違いしかない世界」(297ページ)が無限に隣接して存在している世界であり、その「壁」が壊れる時があると、妹に呼びかけて・・・。
ある時、世界で次々とおかしなことが起こり始めました。家に帰った男は、会ったこともない息子に出会い、歴史書には一冊一冊で異なることが書かれているのです。
それは”流動性”の流行でした。科学者は次々と研究をやめていきます。実験結果が毎回異なるようになったから。
人々の記憶は混乱します。両親だったはずの人は、次の日には両親ではなくなって別の両親が現れ、恋人と別れたはずなのに、会ったこともない別の恋人が現れるので。
夢から覚めた〈わたし〉は、手を繋いで横で寝ている女の人に気付きました。昨日と同じ女の人がそこにはおり、「流動」の気配が感じられないので、ほっと一安心します。
やがて、〈わたし〉たちの見ていた夢の名残りが、現実世界に現れました。〈わたし〉たちは、その「夢」を眺めて楽しみ、しばらくの間は「流動」が起こらないことを願って・・・。
世界では不思議なことが起こり続けていきます。あったはずのものがなくなり、ないはずのものが現れてしまうのです。
「さっき、水道の蛇口をひねったら、なにか黒いもやもやしたものが溢れ出した。最近、そういうことが多いのだ。ずっと向こうの景色を見ていると、山が黒いもやもやしたものに覆われ、そして、しばらくすると、そこにあったはずの山がなくなっている。あれは、なにか『消しゴム』みたいなものなんだろうかね」
(432ページ)
ふと気が付くとジョバンニは電車に乗っていました。「ものすごくたくさんのことがあったような気が」(470ページ)しますが、何一つ思い出せず・・・。
はたして、ジョバンニは自分が探し求めていたものを見つけることが出来るのか!?
とまあそんなお話です。なんだかよく分からない物語という印象かも知れませんね。実際、読んでも、あまりよく分からない物語だろうと思います。
ただ、この小説が非常に面白いのは、存在そのものや宇宙(≒世界)について描かれた物語であること。
自分の周りにある世界とは何なのかや、自分以外は存在していないのではないかということは、おそらく誰もが一度は考えたことがあることでしょう。
そうした存在について色々と考えていくと、それこそ、”あまのがわのまっくろなあな”ではないですが、底知れぬ深い穴に落ち込んでいくような、ぞっとさせられる感じがあります。
物語として面白いかどうかはともかく、そうした、哲学的にぞくぞくさせられる小説です。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
明日は、綾辻行人『Another』を紹介する予定です。