高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン』 | 文学どうでしょう

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さよならクリストファー・ロビン/新潮社

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高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン』(新潮社)を読みました。

「クリストファー・ロビン」というのは、言うまでもなく、A・A・ミルンの『くまのプーさん』に登場する男の子です。

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))/岩波書店

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森の動物たちの中に一人だけ少年がいるのは何故かというと、あれは作者ミルンの息子がモデルになっているからなんです。

息子の持っている動物のぬいぐるみの物語を作って、それを息子に語ってあげたのが『くまのプーさん』なんですね。

なので、動物たちだけが暮らすファンタジーの世界が存在しているのではなくて、”語られた物語”であるという特徴を持っています。

そうした”語られた物語”であるということを、うまくとらえているのが、この短編集の表題作の「さよならクリストファー・ロビン」です。

ある日物語が終わってしまって、プーさんたち物語の登場人物は、どんどん「虚無」に包み込まれていって・・・というお話。

また、収録作の「お伽草紙」と「アトム」は、手塚治虫の『鉄腕アトム』のキャラクターを下敷きにしています。

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漫画と設定は少し違います。息子を亡くした科学者が息子そっくりのロボットを作ったのが鉄腕アトムですよね。

「お伽草紙」は、ロボットと同時にクローンも作られて、ロボットとクローンの2つのコピーが作られてしまって・・・というお話。

高橋源一郎のすごさというのは、くまのプーさんや鉄腕アトムを使っておきながら、そこに何の必然性もないことです。パロディとも二次創作とも全く違うんです。

言わば、名前だけを記号的なアイテムとして取り入れているに過ぎず、仮にプーさんや鉄腕アトムではなくとも成立する寓意的(描かれている出来事が他のなにかを表していること)な物語になっています。

なので、元になっている作品を知らなくても、大丈夫ですよ。

作品のあらすじ


『さよならクリストファー・ロビン』には、「さよならクリストファー・ロビン」「峠の我が家」「星降る夜に」「お伽草紙」「ダウンタウンへ繰り出そう」「アトム」の6編が収録されています。

「さよならクリストファー・ロビン」

こんな書き出しで始まります。

 ずっとむかし、ぼくたちはみんな、誰かが書いたお話の中に住んでいて、ほんとうは存在しないのだ、といううわさが流れた。
 でも、そんなうわさは、しょっちゅう流れるのだ。(5ページ)


昔亀を救ったという年老いた漁師はある時、忽然と姿を消し、森に住むオオカミは、「ぼくが誰かの書いたお話に出てくるオオカミだなんて!」(7ページ)と衝撃を受け、すべてのことに懐疑的になっていきます。

星の数が少なくなり、新しい音楽は生まれなくなり、いくつかの前兆があった後、「あのこと」が起こります。物語世界のすべてが終わってしまったのです。

窓の「外」を見ても真っ暗です。そこにはただ「虚無」が広がっているだけ。〈ぼく〉ことプーは、クリストファー・ロビンやピグレットと一緒に、何とかこの世界で生きていく方法を探します。

誰かがこう言います。「おれたちが、誰かさんが書いたお話の中の住人にすぎないのだとしたら、おれたちのお話を、おれたち自身で作ればいいだけの話さ」(20ページ)と。それからみんなは、夜眠る前にお話を一つ作ることにしますが・・・。

「峠の我が家」

「ハウス」と呼ばれる家がありました。そこでは忘れられた「お友だち(イマジナリィ・フレンド)」が暮らしています。

たとえば、〈あなた〉がお化けが怖かった4歳の時、助けを呼んだら現れた「めびある」。「めびある」は〈あなた〉が好きだった、ウルトラマンメビウスに少し似ています。

或いは、いつもひとりでお母さんの帰りを待っていた〈あなた〉のそばにいてくれた、いつもだぶだぶのセーターと半ズボン姿の「チェル・カリ」。

〈あなた〉が少し大人になって、「ほんものの」友だちが出来ると、「お友だち」はいつしか忘れさられてしまいます。そうして、忘れられた「お友だち」は「ハウス」にやって来るのです。

フォスター夫人と執事のヘリマンは、そうした「お友だち」の面倒を見て、「ハウス」を運営していきますが、ある時・・・。

「星降る夜に」

女と出会い、小説を書き続け、15年が経ちました。〈わたし〉は40歳に、女は35歳になっています。

ずっと芽が出ない〈わたし〉はついに、「もう、いいかげん、うんざり。働きなさいよ」(57ページ)と女から言われてしまいます。ビールが禁止され、これからは台所で寝ることになりました。

ハローワークに行きますが、仕事は全然見つかりません。外国人の労働者たちに混ざって、肉体労働をしてお金を貰うと、冷蔵庫のビールを飲むことができます。

ある時、本を「読む」仕事を紹介された〈わたし〉が、指定された場所へ向かうと、そこは山奥にある病院でした。

「全員が、生き延びる可能性のない子ども」(71ページ)ばかりが入院している病院です。動くことすら出来ず、ベッドで横になり、なんとか呼吸をしている状態の子供に、本を読んであげるのが〈わたし〉の「仕事」です。

〈わたし〉は戸惑いながらも本を選び、声を出して読み始めて・・・。

「お伽草紙」

〈ぼく〉とパパが道を歩いていた時のこと。〈ぼく〉は頭に浮かんだ疑問を次々とパパにぶつけます。それから2分13秒くらいの間、真剣に考え込みました。

そして、その後で2分13秒くらいの間に考えていたことについて考えてみることにします。

そしてパパにこう尋ねました。「ぼくが、『2分13秒』ぐらいのあいだにかんがえていたことって、どこかに行っちゃうのかな」(91ページ)と。

パパはぼくの中に残ると言ってくれますが・・・。

「もう、ずいぶんあっちへ行っちゃったみたい」
「なにが?」パパはいった。
「ぼくの『2分13秒』」
「きみの『2分13秒』は、まだ見えるかな」
「うん」
「では、たいせつにしてあげなさい」
 どうやってたいせつにすればいいのかな、とぼくは思った。パパにきこうか。でも、なんでもパパにきいてばかりではいけない。ぼくにだってノウミソはある。(92ページ)


夜眠る時、パパはいつも〈ぼく〉にお話をしてくれます。その日パパが話してくれたのは、愛を知らない天馬博士のお話でした。

天馬博士は「もっとも貧しい地区にある養護施設からもっとも不幸そうな女性を選び」(136ページ)その女性の卵子と自分の精子を使い、人工子宮で子供を作ります。

「トビオ」と名付けられたその子供を、天馬博士は溺愛するようになりますが、「トビオ」は10歳の時に「戦争」に巻き込まれて死んでしまいました。

天馬博士は「トビオ」の脳から記憶のすべてを抽出し、「ホムンクルス」という装置に移します。そして、「トビオ」そっくりのロボットを作り、そのロボットに「トビオ」の記憶を与えたのでした。

「アトム」と名付けられたそのロボットと共に暮らす天馬博士ですが、やがて「アトム」を見る度に喜びよりも苦しみを感じるようになります。ロボットはロボットであり、人間ではないから。

そこで、天馬博士はロボットではなく、「トビオ」の細胞から「トビオ」のクローンを作り、「トビオ」の記憶を移しました。「最初から、こうすればよかったのだ!」(140ページ)

かくして、天馬博士の下には、ふたりの「トビオ」が暮らすことになった。正確にいうなら、同じ記憶を持ち、ロボットの身体を持つ「アトム」と、「トビオ」と同じ肉の身体を持つ「トビオ」のふたりだった。(140ページ)


見た目はそっくりの2人の「トビオ」ですが・・・。

「ダウンタウンへ繰り出そう」

「死んだひとたちが、初めて、みんなの前に現れたのはいつのことだったのかは、誰も知らない」(155ページ、本文では「死んだひと」はゴチック)という一文で始まります。

「死んだひと」が〈ぼく〉の家のドアを叩く音が聞こえ、家族はそれぞれ「死んだひと」の思い出を語っていきます。

「死んだひと」たちが戻って来て、生きている人々は喜んだり戸惑ったりしますが、表向きは歓迎するしかありません。自分たちもいずれは死んでしまうのですから。

「死んだひと」たちは、学校に入ったり、選挙に出たり、絵を描いたりするようになります。時には生きている異性と暮らしたりも。そうして、「死んだひと」たちとの共生は続いていきますが・・・。

「アトム」

目を覚ました〈ぼく〉は、歯を磨いて、お風呂に入り、汗臭いポロシャツを着ます。ダイニングルームに行くと、パパはタバコの煙を鼻の穴から吸い込んでいます。

ママが汚れたお皿とフォークを置くと、〈ぼく〉ののどの奥からスパゲッティ―が出て来て、〈ぼく〉はそれを丁寧にお皿の上に並べていきました。

「けんちゃんも、ちゃんとたべられるじゃない」(188ページ)とママは褒めてくれます。

別の章になると、〈ぼく〉は列車に乗っています。するとその列車の中には「トビオ」も乗っていました。「きみは、ずっと寝ていたよ、アトム。ぼくの前でそんなに不用心でいいのか?」(189ページ)と言う「トビオ」。

「おとうさんを解放してあげなよ、トビオ」
「『解放』? アトム、なにをいってるんだ。おとうさんを解放してあげたのは、ぼくだよ。おとうさんが、ほんとうにやりたかったことを、おとうさんに教えてあげたのは」
「もういいよ」ぼくはいいました。「それよりも、『ここ』は、いったいどこなんだろう?」
「さあ」「トビオ」はいいました。「世界と世界のつなぎ目のどこか、というか、なにかじゃないのかい。ぼくには、それ以上のことはわからない」
「なんだ。もっと詳しく知っているのかと思った」
「わからないさ。なんでもわかってやっていると思ったら、大間違いだよ」(190ページ)


どうやら、おとうさんと「トビオ」が世界を破壊する「最終兵器」を使ったことによって、「カタストロフ」が起こってしまったらしいのです。

一方けんちゃんの方の〈ぼく〉は、やがて自分がママのおなかの中に戻り、いつかは消えてしまうことを思うと苦しくなります。みんなはそれを嬉しいことだと言いますが・・・。

 でも、ぼくはちがう。ぼくは、きっとへんなんだ。がっこうで、いろんなことをわすれてゆく。むかしよんだおはなしも、れきしも、もじやことばも、みんなわすれてゆく。それがちっともうれしくない。ぼくが、そういうと「せいちょう」をおそれている、といわれるんだ。
 ぼくはへんなのだろうか。(202ページ)


そんな〈ぼく〉の前に転校生の「とびお」くんが現れて・・・。

とまあそんな6編が収録されています。あらすじを読んで、ちょっと「おっ」と思われた方も多いのではないでしょうか。発想としてすごく面白い短篇集ですよね。

消えてしまう物語の登場人物、忘れられた「お友だち」、「死んだひと」など、目には見えず、マンガや映画など、他のジャンルでは表現できないものが表現されています。

中でも、「アトム」において、巻き戻しのようになっているのは、かなり斬新さを感じました。出て来る列車は、勿論、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』がベースになっているのでしょう。

ちなみにこの短編集に収録されている作品は、ちょうど東日本大震災を挟んで発表されたものなんですね。

色んな形で”世界の終わり”が描かれています。その辺りが評価されて、最近谷崎潤一郎賞も受賞したんですが、ぼくとしては出来れば震災とからめて解釈してほしくないんです。

「震災の後に、どんな小説が書けるのか」というのは、作家にとって大きなテーマですし、『さよならクリストファー・ロビン』は、その答えの一つになりうるのかも知れません。

ですが、震災以前に書かれた『「悪」と戦う』と共通した、震災だけに留まらない、もっと抽象的で、もっと複雑で、もっと深いテーマがあります。

「悪」と戦う/河出書房新社

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勿論ぼくは、震災の経験がテーマとして軽いと言いたいのではありません。物語で描かれる”世界の終わり”を「これは震災の話なのだ」と限定して読み取ってもらいたくないということです。

『さよならクリストファー・ロビン』は漫画や映画では表現出来ない、小説ならの表現がたくさんある面白い短編集ですが、震災の話だと限定してしまうと、作品の寓話性が失われてしまう感じがあるんです。

どの作品も、”意味”を求めるとよく分からないものばかりですが、すっきり理解できない所に面白さのある短篇集です。あまり深く考えずに、楽しみながら読んでもらいたい一冊です。

おすすめの関連作品


「アトム」に関連して、お笑いのDVDを一つ紹介しましょう。

ラーメンズの第12回公演『ATOM』です。

ラーメンズ第12回公演『ATOM』 [DVD]/ラーメンズ

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お笑いというのは、やはりその現場での空気感が重要ですから、実際に生で観るのがベストです。

でもまあ、こうして一つの完成形として、DVDでいつでも何度でも観られるというのは、それはそれで嬉しいものですよね。

ラーメンズというのは、片桐仁と小林賢太郎のお笑いコンビです。少し前にアップルのCMに出ていたりもしましたが、滅多にテレビに出ないので、知る人ぞ知るという存在かもしれません。

『ATOM』は、ラーメンズの第12回目の公演をDVDにしたものです。これは機会があればぜひ観てみてください。ぼくのラーメンズの中でのベストの一枚です。おすすめですよ。

コントというのは普通、コンビニや不動産屋など、一つのシチュエーションで、ありえない言動(ボケ)をする人に対して、ツッコミを入れることによって、笑いを生じさせるものです。

ただ、ラーメンズのコントは、そうしたコントの常識を覆すものなんです。出演する2人は衣装らしい衣装を着ていませんし、ボケとツッコミではなく、”対話”でコントを成立させています。

むしろお笑いとして観るよりも、テーマの深さや、心動かされる感じは、演劇に近いかもしれませんね。

しかし2人だけのあの独特な空間は、演劇ともまた違うものなので、ラーメンズはもはや、ラーメンズというジャンルだと言ってもいいくらいのオリジナリティがあります。

『ATOM』は、冷凍睡眠から目覚めた、自分と同じ年の父親と会うというちょっとSFのような話や、片桐仁がギリギリなことに関しての歌を歌う話など、バラエティに富んだラインナップになっています。

興味を持った方は、こちらもぜひ観てみてください。探せば、レンタルなどでもあるだろうと思います。

明日は、筒井康隆『パプリカ』を紹介する予定です。