江戸川乱歩『陰獣 他三編』 | 文学どうでしょう

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陰獣 (江戸川乱歩文庫)/春陽堂書店

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江戸川乱歩『陰獣 他三編』(春陽堂)を読みました。

江戸川乱歩が好きという人は、おそらく、単に推理小説が好きというだけではないでしょう。

事件の謎が解かれることにも勿論面白さはあるのですが、人に言えないような後ろ暗い感覚を呼び覚まされることにこそ、その最大の魅力があるのではないかと思います。

そんな江戸川乱歩の作品の中でも、特に異彩を放っているのが、今回紹介する中編「陰獣」で、まさにぞくぞくさせられる面白さのある作品です。

別れた過去の恋人から、執拗に脅される美しい婦人の物語。たまたま知り合いになった明晰な頭脳を持つ探偵小説家の語り手は、何とか婦人を助けようと尽力します。

婦人の元には、「ふくしゅう鬼」と名乗るその別れた恋人から、こんな怖ろしい脅迫状が届きました。

最初の予定では、わたしはおまえをいじめにいじめ抜き、こわがらせにこわがらせ抜いたうえで、おもむろにおまえの命を奪おうと思っていたのだが、このあいだからおまえたちの夫婦仲を見せつけられるに及んで、おまえを殺すに先だって、おまえを愛している夫の命をおまえの目の前で奪い、それから、その悲嘆をじゅうぶんに味わわせたうえで、おまえの番にしたほうが、なかなか効果的ではないか、と考えるようになった。そして、わたしはそれにきめたのだ。(34~35ページ)


何かしらの方法で婦人の生活を覗き見しているらしき不気味な脅迫者の宣言通り、婦人の夫は川で変死体となって発見されて――。

この小説が面白いのは、事件自体はシンプルなものながら、かなり入り組んだ物語構造になっている所。

脅迫者は、今では有名な探偵小説家である大江春泥(おおえしゅんでい)なのですが、その代表的な作品として「屋根裏の遊戯」「B坂の殺人」などがあります。

ここで江戸川乱歩ファンの方は、「おや?」と思ったことでしょう。

そう、江戸川乱歩自身に、まさにそれと似た短編「屋根裏の散歩者」「D坂の殺人事件」(どちらも『江戸川乱歩短篇集』に所収)があるんですね。

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無気味で恐ろしい脅迫者に作者自身が重ね合わせられているというだけでも何だか面白いですが、どうやら実際に脅迫者は、「屋根裏の散歩者」と同じ方法で、婦人の家を覗き見していたようなんです。

つまりどういうことかと言うとですね、「陰獣」の中で、過去の作品がそのままなぞられるという、一種の入れ子構造になっているんです。とても興味深い手法ですよね。

そうした物語構造も非常に面白いのですが、この作品で描かれている感覚というのがこれまたもの凄いので、ぜひ実際に読んで、乱歩ワールドにどっぷり漬かってください。

収録されている他の三つの短編も、エログロ感満載な上に、思わずはっとさせられる驚きの展開が待っているものばかりで、かなり楽しめました。

作品のあらすじ


『陰獣 他三編』には、「陰獣」「盗難」「踊る一寸法師」「覆面の舞踏者」の4編が収録されています。

「陰獣」

こんな書き出しで始まります。

 わたしはときどき思うことがある。
 探偵小説家というものには二種類あって、一つのほうは犯罪者型とでもいうか、犯罪ばかりに興味をもち、たとい推理的な探偵小説を書くにしても、犯人の残虐な心理を思うさま描かないでは満足しないような作家であるし、もう一つは探偵型とでもいうか、ごく健全で、理知的な探偵の経路にのみ興味をもち、犯罪者の心理などはいっこうとんちゃくしない作家であると。
 そして、わたしがこれから書こうとする探偵作家大江春泥は前者に属し、わたし自身はおそらく後者に属するのだ。(2ページ)


理知的な探偵小説家である〈わたし〉はある時、博物館で小山田静子という婦人と出会いました。

美術鑑賞という趣味があうこと、そして静子が〈わたし〉の作品のファンだったことから、親しく話をするようになります。

上品で弱々しい美しさを持つ静子でしたが、〈わたし〉は静子のうなじからおそらく背中にかけて、赤あざのようなみみずばれがあることに気付きました。

そしてそれを見た〈わたし〉は、「今まで夢のように思われた彼女の美しさが、にわかになまなましい現実みを伴って、わたしに迫ってくる」(7ページ)思いがしたのです。

やがて、静子は大江春泥という探偵小説家から脅されて困っていると、〈わたし〉に相談しました。〈わたし〉が大江春泥の知り合いではないかと思ったんですね。

ところが、大江春泥は人間嫌いで有名なこともあり、両極端の作風であるお互いの作品を批判しあっている間柄でもあるだけに、〈わたし〉は大江春泥と全く交流がないのでした。

静子は実業家の夫、小山田六郎と結婚する前に、平田一郎という恋人がいたんですね。しかし静子の方はそれほど愛していなかったことから、平田一郎から逃げるように別れてしまったのです。

心から愛していた恋人に裏切られ、「もだえが嘆きとなり、嘆きが恨みとなり、恨みが凝って、ふくしゅうの念と変わっていった」(14ページ)平田一郎は、いつしか大江春泥という筆名で作家活動を始めていたのでした。

そして、ついに静子の行方を突き止めた平田一郎=大江春泥は、小山田夫妻の命を脅かすような内容の手紙を送りつけたのです。

〈わたし〉は何故、大江春泥が手紙に書いているように、細かく静子の家の内部の状況を知ることが出来たのか、そして大江春泥自身は今どこにいるのかを探し始めます。

しかし、大江春泥の脅迫通り、静子の夫の六郎は吾妻橋下で変死体となって発見されてしまいました。

六郎は裸にされ、元々はげ頭だったのですが、かつらをかぶせられ、どうやら背中を数回にわたって刃物で刺されてから、川へ投げ込まれたようです。

〈わたし〉は様々な状況から、ついにこの殺人事件の真相を解き明かす明晰な推理を打ち立てたのですが・・・。

「盗難」

〈わたし〉は3年前まで××教という宗教団体で雑用係をしていました。

信者だったわけではなく、その宗教団体の支部の主任の知り合いだったので、住み込みの仕事をもらったのです。

ある時、説教所を増築することになり、信者たちから寄付金を集めました。

ところが、「今夜十二時のとけいを合図に、貴殿の手もとに集まっている寄付金をちょうだいに推参する。ご用意を願う」(128ページ)という脅迫状が届いて・・・。

「踊る一寸法師」

お客がたくさん入ったというので、みんなでテントの中でお祝いをしていた時のこと。

お酒を飲めないというので、豆蔵の緑さんはみんなからからかわれていました。緑さんは、顔は大人なのに、子供の体しかない一寸法師の道化役者です。

無理矢理にお酒を飲まされてしまった挙句、本来自分が演じている芸ではない、隠し芸を見せてくれと仲間たちから責め立てられてしまった緑さん。

「困るな、困っちまうな」
 一寸法師は、ブツブツそんなことをつぶやきながら、それでもなんだかしゃべり始めた。
「エー、ここもとご覧に供しまするは、神変不思議の大魔術、美人の獄門とござりまして、これなる少女をかたえの箱の中へ入れ、十四本の日本刀をもちまして、一寸だめし五分だめし、四方八方より田楽刺しといたすのでござります。エーと、が、それのみにてはお慰みが薄いようでござります。かように切りさいなみましたる少女の首を、ザックリ切断いたし、これなるテーブルの上にさらし首とござあい。ハッ」
「あざやか、あざやか」
「そっくりだ」
 賞賛ともやゆともつかぬ叫び声が、やけくそな拍手にまじって聞こえた。(157ページ、本文では「やゆ」に傍点)


美人玉乗りのお花を箱に入れて、緑さんはこの奇術に取り掛かったのですが・・・。

「覆面の舞踏者」

友人の井上次郎に誘われて、二十日会という秘密クラブに入った〈わたし〉。

それは金持ちの道楽のクラブで、毎月二十日に集まって、何か日常とはかけ離れた刺激的なことをしようという会です。いつしか〈わたし〉もその奇妙な趣向に病みつきになっていきました。

ある時、二十日会で覆面舞踏会が行われることになります。それぞれの番号で組み合わせられた17組の男女がダンスを踊りました。

 間近く寄った彼女の覆面からは、軽くにおやかな呼吸が、わたしの顔をかすめます。なめらかな彼女の絹服が、なよなよと、不思議な感触をもって、わたしのビロードの服にふれ合います。このような彼女の態度は、にわかにわたしを大胆にさせました。そして、わたしたちは、まるで恋人同士のように、無言の舞踏を踊りつづけたことであります。(180ページ)


やがて酒に酔った〈わたし〉は、その謎の婦人と狂態を演じることとなったのですが、何やらその婦人の首から肩の線に、見覚えがあるような気がして・・・。

とまあそんな4編が収録されています。「陰獣」は、事件が解決されてからがさらに面白いので、ぜひ注目してみてください。ぞくぞくさせられること請け合いです。

「陰獣」は120ページほどの中編なのでやや長く、他の三編はそれぞれ数十ページほどの短編です。

表題作以外の短編も面白いですが、「覆面の舞踏者」が特にいいですね。男側はクラブの会員ですが、女側は誰なのか、みんな覆面をしているので分かりません。

首筋に見覚えがあるというのは気のせいなのかどうなのか、一体誰に似ているのか、思わず気になってしまいますよね。

また、オーストリアの作家、アルトゥル・シュニッツラーの「夢小説」(「夢奇譚」とも)と、内容は少し違いますが、雰囲気として、かなり似ています。

影響関係があるのかと思いましたが、どちらも1926年に発表されているので、たまたまなのでしょう。同じ年に発表されているというのもまた興味深いですね。

『陰獣 他三編』は、普通の推理小説には少し飽きたよという方、後ろ暗い感覚を呼び起こされてみたいという方におすすめの一冊です。

興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、坂口安吾『不連続殺人事件』を紹介する予定です。