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エラリー・クイーン(越前敏弥訳)『レーン最後の事件』(角川文庫)を読みました。
歴史上の謎を絡めたミステリは、それだけで面白いものですが、特に、その歴史上の謎が文学と関わりがあったなら、個人的にはもうたまりません。
『レーン最後の事件』には、殺人事件も出てきますが、それよりもむしろ、ウィリアム・シェイクスピアの稀覯本(きこうぼん。非常に価値の高い古書)をめぐる物語なんです。
本好きであればあるほど楽しめるミステリなのではないかと思います。
さてさて、今回紹介する『レーン最後の事件』は、エラリー・クイーンがバーナビー・ロス名義で発表した、「ドルリー・レーン四部作」の完結編にあたります。
シリーズで探偵役をつとめるのは、引退したシェイクスピア劇俳優のドルリー・レーン。
突然耳が聞こえなくなったため、俳優としては引退を余儀なくされたのですが、現在では見事な読唇術を身につけています。
素晴らしい推理力を持つドルリー・レーンは、『Xの悲劇』では、電車の中で殺されたロングストリートの死の謎を、そして『Yの悲劇』では、大富豪ハッター家で起こった悲劇の謎に挑みました。
また、無実の罪を着せられた男を救おうとする物語『Zの悲劇』では、元警視の私立探偵サムの娘、ペイシェンスと共に事件の謎を追いましたね。
今回紹介する作品は、タイトルの通り、その卓越した推理力で数々の難事件を解決に導いて来たドルリー・レーンの「最後の事件」を描いたミステリ。
「ドルリー・レーン四部作」は、事件としてはそれぞれ独立しているのですが、キャラクターのバックグラウンドや、物語の流れがあるので、これから読もうと思っている方は、必ず順番に読んでください。
今思うと、「ドルリー・レーン四部作」はそれぞれに少しずつ作品の雰囲気が違っていて、やはりとても印象に残るシリーズですね。
個人的には、ペイシェンスというはねっかえり娘の語りがユーモラスな『Zの悲劇』が一番面白かったですが、受けたインパクトで言えば、『Yの悲劇』がやはり一番大きかったです。
また、『Xの悲劇』は、ダイイングメッセージなど、ミステリ的にスタンダードな面白さがありました。
まだ、「ドルリー・レーン四部作」を読んだことのない方も、タイトルは耳にしたことがあると思うので、機会があればぜひ読んでみてください。やはりすごいシリーズでしたよ。
今回の物語は、警察を引退し、私立探偵をしているサムの所に、奇妙な依頼がもたらされたことから始まります。
やがて、博物館に勤めていた警備員が行方不明になり、貸切の大型観光バスからは、2人の乗客が消えます。そして、博物館からは稀覯本が盗まれて――。
この不思議な出来事は、相互に関係しているのか? サムとその娘ペイシェンスが、ドルリー・レーンとともに、事件の謎に挑みます。
作品のあらすじ
40年間のニューヨーク市警勤めを終えた元警視のサムは、現在では探偵事務所を開いています。
5月のある月曜日、そのサムの元に、不思議な依頼者がやって来ました。
「黒や青や緑に気まぐれにきらめいて」(10ページ)いる虹色の大きなあごヒゲをした男。その奇妙な姿をした依頼者は、サムに小さな封筒を預けます。
その封筒の中にはどうやら秘密が隠されているらしく、しかも「その秘密には何百万ドルもの価値があるのです!」(16ページ)と男は言うのです。
合言葉を決めて、毎月20日にサムの元に連絡するという約束を交わしました。
そして万が一、自分からの連絡が途絶えたら、ドルリー・レーン氏の立ち会いの元で、封筒を開けてほしいと言い、サムにお金を渡して男は帰って行ったのです。
サムは優秀な助手で、娘のペイシェンスとこの奇妙な依頼について話し合います。あの不思議な変装は一体どういうつもりなのか、自分たちはからかわれているのではないだろうかと。
しかし、約束の20日になると、男から合言葉を告げる電話がかかって来ました。「どこからともなく現れた男だ。何百万もの財宝よ!」(28ページ)と。
それから間もなくして、ジョージ・フィッシャーという新たな依頼人がやって来ました。
フィッシャーは、大型観光バスの運転手なのですが、知り合いのドノヒューが、姿を消してしまったというんですね。
ドノヒューは、ブリタニック博物館の警備員です。フィッシャーは自分の経験した不思議な出来事が、ドノヒューの失踪と何か関係があるのではないかと思っています。
フィッシャーはその時、インディアナポリスの学校教師の合同研修で貸切のバスを運転していました。ところが、行きには19人いたはずの乗客が、帰りには18人に減っていたというんですね。
灰色のもじゃもじゃした口ヒゲをして、青い帽子をかぶった男が消えていたのです。
そして、その男が消えたとほぼ同時に、どうやらドノヒューも姿を消したらしいのです。
捜査に乗り出したサムとペイシェンスが、教師の団体に会いに行くと、団体のメンバーは17人だったことが分かりました。つまり、バスには2人多く乗っていたわけです。
謎はますます深まるばかり。続いて2人は、ドノヒューの仕事場であるブリタニック博物館に向かいます。
ブリタニック博物館は今ちょうど改装中で、休館しているのですが、ドルリー・レーンに連絡を取って、そのコネクションで中に入れてもらうことが出来ました。
チョート館長や、そこで働く研究員ゴードン・ロウからドノヒュー失踪当時の話を聞いていたサムは、思いがけないものを発見します。
部屋の中央にある展示ケースのガラス蓋が粉々に砕けていたのです。しかしロウは、工事中の単なる事故で割れただけのようだと言います。
何故なら、展示ケースに入っていた印刷業者ウィリアム・ジャガード発行の稀覯本3冊は、そのまま残されていたのですから。
若き男女、ロウとペイシェンスは一緒に昼食を取ることにします。どうやらロウはペイシェンスのことを一目見て気に入ってしまったようなんですね。
そして、知的でユーモアがあり、まっすぐに気持ちをぶつけて来るロウのことを、ペイシェンスも憎からず思っているようです。
レストランでの2人のユーモラスな会話を、少し紹介しましょう。
「では、ぼくの経歴をお聞かせしよう。名前はゴードン・ロウ。こんどの九月二十九日、つまり聖ミカエル祭の日に二十八歳になる。両親はなく、収入は情けないほど乏しく、今年のヤンキースは腐ったチームだと嘆き、ハーヴァード大がどえらいクォーターバックを獲得したと喜び、そして、これ以上きみを見つめていたらキスしたくなるだろうと思ってる男だ」
「おかしな人」ペイシェンスは真っ赤になって言った。「ねえ、ねえ、まだいいと言ったわけじゃないんだから、手を放して。隣のテーブルのふたり連れのおばさんたちが、こわい顔であなたを見てる……。ああ、恥ずかしい! キスと聞いただけでうぶな女学生みたいに赤くなるなんて。あなたっていつもこんなに軽々しいの? わたし、ジョン・ミルトンが多用した分離不定詞についてとか、鱗翅目の飼育にまつわる問題についての議論を、ものすごく楽しみにしてたのに」
ロウはにやにや笑いをやめてペイシェンスを見つめた。「ほんとうにすばらしい人だ」(87~88ページ)
奇妙な事件の謎はますます深まっていくばかり。サムから連絡を受けて、自らも調査に乗り出したドルリー・レーンは、ブリタニック博物館の壊れた展示ケースを見て、驚くべきことを口にします。
なんと、1冊の本が別の物と入れ替えられているというんですね。
ウィリアム・シェイクスピアの『情熱の巡礼 ヴィーナスとアドニスが交わした愛のソネット』の1599年に出版された初版本が、1606年に出版された第二版と入れ替えられているというんです。
ペイシェンスは、第二版なら価値は下がると思ったのですが、チョート館長はそれは誤解だと言います。
初版と第三版は何冊か現存していますが、なんと第二版は、失われたと思われていた幻の一冊だったんですね。
教師の団体に紛れ込んだ青い帽子の男は、捕まる危険を犯してまでガラスケースを叩き割り、「ある稀少で高価な古書を盗み出し、それよりはるかに稀少ではるかに高価な古書を置き残して」(109ページ)いったのです。
そんな不思議なことがありえるでしょうか?
バスから消えた2人の乗客、入れ替えられた稀覯本、ドノヒューの失踪。これらの奇妙な出来事には何らかの関係があるに違いありません。
やがて、二十日になっても虹色のヒゲの男から連絡が来ず、サムは預かっていた封筒を開けることとなり――。
はたして、奇妙な出来事の真相はいかに? そして、やがて起きる殺人事件の犯人は一体!?
とまあそんなお話です。ロウはそれほど魅力的な男だとも思えないんですが、草食系男子が話題になることの多い昨今、このぐいぐい押す感じは、むしろ好感が持てますね。
自己紹介の最後に、「これ以上きみを見つめていたらキスしたくなるだろうと思ってる男だ」と言うのは、合コンなどでも使えるかもしれませんよ。
まあ、「※ ただしイケメンに限る」の典型例かもしれませんが・・・。
本がただ盗まれるだけでなく、それよりも価値のある本と入れ替えられているという謎は、本好きであれば本好きであるほど、その理由が気になってしまいますよね。
興味を持った方はぜひ読んでもらいたい作品ですが、ミステリ史上に燦然と輝くシリーズなので、ぜひ『Xの悲劇』から四作品、順番に読んでみてください。
角川文庫からは、同じく越前敏弥の新訳で、エラリー・クイーンの「国名シリーズ」も出始めたので、近い内に『ローマ帽子の秘密』を紹介したいと思っています。
明日は、レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』を紹介する予定です。