首藤瓜於『脳男』 | 文学どうでしょう

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首藤瓜於『脳男』(講談社文庫)を読みました。江戸川乱歩賞受賞作です。

レ・ミゼラブル』ファンなら見逃せない! と思って少し前に、映画を観に行ったんですが、その時に予告編がかかっていたのが、この『脳男』。

生田斗真主演で、2月9日から公開になるようです。いやあかなり面白そうですよね。楽しみです。

普段ぼくは映画を先に観るか、原作を先に読むか迷うタイプなんですけど、この『脳男』は単行本が出た2000年当時に読んで印象に残っていたこともあるので、思わず先に読んでしまいました。

ちなみに、ユゴーの『レ・ミゼラブル』の映画については、そちらの記事で少し触れています。

『脳男』に話を戻しましょう。連続爆弾犯を追っていた警察は、犯人が爆弾を作っている倉庫を突き止め、犯人こそ取り逃がしたものの、共犯者らしき男を捕まえました。

犯人以外誰も知らない倉庫にいたこと、まだ起こっていない事件の爆弾の設置場所を知っていたことから、連続爆弾犯の共犯者と見て間違いなさそうです。

しかし、警察が突入した時、犯人と揉め合っていたらしいこと、そして、刑事を助けようとした行動が腑に落ちません。

何も語ろうとしないその謎の男、鈴木一郎の精神鑑定を担当することになった鷲谷真梨子は、検査を進める内に、鈴木一郎の精神が、普通の人間とは大きく異なることに気が付いて・・・。

連続爆破事件を背景に、謎に満ちた鈴木一郎の正体に徐々に迫っていくという物語。

名探偵が事件の真犯人を見つけ出すというような、いわゆるミステリとは違っていて、スタイルとしては、トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』に近い感じがあります。

羊たちの沈黙(上) (新潮文庫)/新潮社

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猟奇殺人犯バッファロー・ビルを追うFBIの訓練生の奮闘を描いた『羊たちの沈黙』は、むしろ捜査に関わることになった犯罪者の方が、印象に残る物語なんです。

そう、元々は精神科医で、天才的な頭脳を持ちながら、人肉を食べる猟奇殺人犯になってしまったハンニバル・レクター博士ですよね。

警察と犯人、追う者と追われる者、正義と悪という構図の中に、そのどちらともつかない人物が介入するという物語ですから、その人物が謎めいていればいるほど、物語は魅力的になります。

はたして、『脳男』の中に登場する鈴木一郎は、一体どんな男なのでしょう?

詳しくは書けませんけれど、ぼくはこの設定を相当面白く感じました。

マンガ的というか、なかなかに突飛な発想で書かれてはいるんですが、現実にありえなくもない感じもあって、非常に引き込まれます。

ストーリーとしてどうこうではなく、鈴木一郎の正体に納得させられるかどうかでこの作品の感想は変わってくるだろうと思うのですが、ぼくはかなり好きでした。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 廃墟のあいだをぬって走る小道の突き当りで茶屋は車をおりた。
 茶屋は身長百九十センチ、体重百二十キロの巨漢だった。壁のように広い背中に、海からの風に乗ってきた細かいこぬか雨がふきつけた。(7ページ)


ここの所世間を騒がしているのは、連続爆破事件。女性タレントや政治家が狙われ、何人もの人間が命を落としましたが、愉快犯的犯行なので、手がかりは全くありません。

しかし警察は、爆弾に使われていた針金の組織面を分析して、針金を切るのに使った弓ノコを特定し、その弓ノコを購入した人物を絞り込んでいったのでした。

そこで浮かび上がってきた犯人は、緑川紀尚という33歳独身の会社員。警察はついに緑川が爆弾を製造するのに使っていた倉庫を突き止めます。

茶屋警部率いる警察が倉庫に突入すると、緑川は謎の男と揉め合っていました。状況がよくつかめませんが、茶屋は謎の男に銃を向けます。

「止まれ。警察だ」
 銃口を男に向け、相手の胸の位置に固定した。男がゆっくりとこちらにふり向いた。とつぜん警官の一群が出現したにもかかわらず、格別驚いたような顔はしていない。それどころか茶屋たちを見つめ返すその目はまるで茶屋たちを値踏みするかのようだった。
 茶屋が口を開こうとしたとき、男が先に口をきいた。
「入ってはいけません」
 落ち着きはらった声音だった。(40ページ)


茶屋の制止は間に合わず、警官たちがそのまま突入すると、「建物全体を揺るがすような轟音と閃光」(41ページ)がほとばしります。緑川は倉庫に爆弾を仕掛けていたのです。

緑川は取り逃がしてしまいましたが、茶屋は緑川と争っていた謎の男を捕まえることに成功しました。何故か謎の男は抵抗らしい抵抗を見せなかったのです。

半年後。愛和会愛宕医療センター。

東京大学を卒業後、ハーバード大学で学び、脳神経内科と心理学に精通している32歳の鷲谷真梨子は、連続爆弾犯の共犯と見られる鈴木一郎の精神鑑定を依頼されました。

緑川の倉庫で捕まった謎の男は、鈴木一郎と名乗りましたが、鈴木一郎が使っていた戸籍は他人の者で、戸籍の人物はすでに死亡していたことが分かります。

年齢も経歴も分からない鈴木一郎。緑川が次に仕掛ける爆弾の場所を知っていたことから、共犯の疑いは強いのですが、どんな人間で、何を考えているのかまったくつかめないまま。

早速、真梨子は鈴木一郎のカウンセリングを始めます。家族や子供時代のことになると紋切型のことしか言わず、常に冷静な態度を崩しませんが、取り立てて変わった所はないようです。

感情の起伏がなく、常に一定の態度を取り続ける鈴木一郎との、不毛な質問と応答の繰り返しに、次第に真梨子自身がうんざりしてきました。

そこでこんな皮肉を口にします。「蝶番」は「ちょうつがい」です。

鈴木には人並みの知能も社会常識もそなわっている。会話の相手がうんざりしていることがわかれば応対の仕方を多少なりとも変えるはずだった。
「そう。それじゃああなたはなにが恐いのかしら。消防車、それともドアの蝶番かしら」
 真梨子は故意に皮肉な口調で尋ねた。
「いいえ、消防車もドアの蝶番も恐いと思ったことはありません」
 鈴木が答えた。
 真梨子は思わず彼の顔を見た。皮肉のつもりで口にしたことに、彼は真面目な顔で答えを返してきたのだ。真梨子はかすかな違和感を感じた。しかしその違和感がなにに由来するのかとっさにはわからなかった。(99ページ)


真梨子は鈴木一郎をポリグラフテストにかけることにします。

簡単に言えば、嘘発見器にかけるということです。質問に対してどのような反応をするか、脈拍などを調べるのです。

その結果は、驚くべきものでした。真梨子は何気ない質問の中に、マスターベーションやセックスなど、性的な単語を入れておいたのですが、それに対する鈴木一郎の反応がおかしかったのです。

性的な意味合いの時は特にそうですが、「たいていは相手が口を開いたとたんか、言葉の半分くらいのところで相手のいわんとする内容を察してしまう」(125ページ)のが普通なのにもかかわらず、鈴木一郎は質問が終わってから1・5秒後に反応しているという結果が出たんですね。

検査結果を真梨子に告げた空身はこう言います。「われらが鈴木一郎は、彼自身の自律神経を意識的に操作しているみたいに見える」(125ページ)と。

鈴木一郎は、生まれつき感情が欠落した人間で、子供時代にどこかの医療機関で診察を受けた可能性があると考えた真梨子は、鈴木一郎の過去を調べ始めます。

やがて、鈴木一郎の過去と、その驚くべき正体が明らかになっていくのですが、愛宕医療センターに爆弾が仕掛けられるという事件が起こってしまいます。

実際に小さな爆発が起き、おそらく緑川と見られる犯人は、医療センターの外に一人でも逃げ出したら、また爆発を起こすという脅迫メールを送って来ました。

医療センターを訪れていた茶屋警部は、緑川の狙いが一体何かを考えます。やはり、共犯者である鈴木一郎を救出しようというのでしょうか。

茶屋と真梨子は、医療センターに仕掛けられている爆弾を探し出すと同時に、おそらく近くにいるであろう緑川を捕まえるために動き出しますが、鈴木一郎が「ぼくも連れていってください」(262ページ)と思いがけないことを言い出して・・・。

はたして、医療センターの中に閉じ込められた人々を、爆破から救うことはできるのか!?

とまあそんなお話です。連続爆弾犯との戦いも読みごたえたっぷりで、特に子供を救おうとする場面は、思わず手に汗握る面白さです。

物語のクライマックスではなく、中盤から後半にかけて、鈴木一郎の過去に迫ろうとする部分が、この小説で一番盛り上がる所かも知れません。

普通の人とはどこか違う鈴木一郎。一体その正体はなんなのか、気になった方はぜひ読んでみてください。間もなく映画も公開になります。

続編に『指し手の顔 脳男Ⅱ』があるようなので、そちらも近々読みたいと思っています。

明日は、ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』を紹介する予定です。