ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』 | 文学どうでしょう

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ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』(全5巻、新潮文庫)を読みました。

『レ・ミゼラブル』の新訳は、現在ちくま文庫から刊行中ですが、まだ全巻出ていないので、今回は新潮文庫の新装版で読み直してみました。イラストがなかなかユニークでいいですね。

さて、『レ・ミゼラブル』と言えば、トム・フーパー監督、ヒュー・ジャックマン主演の映画版が絶賛公開中です。ぼくも観に行きました。

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『レ・ミゼラブル』は1998年のリーアム・ニーソン主演版など、何度か映画化されているのですが、今回は原作からというよりも、ミュージカルの映画化というのが大きな特徴です。

何年もかけて愛を育むはずのコゼットとマリユスが、一目惚れのように描かれているなど、多少駆け足な展開であることは否めませんが、なかなかに面白い映画だったと思います。

全然違う所にいる人々が同じ歌を歌って、それがやがて合唱になっていくなど、ミュージカルにはミュージカルならではの面白さがありますね。

やはり大画面、大音量で観ると、より一層楽しめる映画だと思うので、少しでも気になっている方は、ぜひ観に行ってください。

さてさて、ここからは原作についてだけ書いていきますが、みなさん『レ・ミゼラブル』をどのくらいご存知なのでしょうか。

おなかを空かせた姉の子供たちのために、パンを一本盗んだのが元で、19年間服役していたジャン・ヴァルジャンという男の物語だということぐらいは、ご存知かも知れませんね。

何故パンを盗んだくらいで19年間もの長い間服役させられていたかというと、何度も脱獄を試みたからです。

長い刑期を終えて出所したジャン・ヴァルジャンですが、学がなく、生活するあてもなく、自分に対してとことんまで冷たい世間に対して、恨みすら抱いています。

しかし、ある司教(カトリック教会の偉い聖職者)から思いがけない親切を受け、雷で撃たれたような衝撃を受けました。

改心したジャン・ヴァルジャンは、それからは自分を犠牲にしてでも、よい行いをしようと思うようになるのです。

やがて、事業で成功して大金持ちになり、市長にまで登りつめたジャン・ヴァルジャン。貧しい人にお金を分け与え、困っている人に手を差し伸べることを、決して忘れず、人々から愛されています。

しかしある時、ジャン・ヴァルジャンの人生の崩壊を予感させる、ある恐ろしい出来事が起こって・・・。

『レ・ミゼラブル』の面白さというのは、悔い改め、正しいことのために、自分をとことんまで犠牲にするジャン・ヴァルジャンの姿に心打たれることにあるのは間違いありません。

ただ実はですね、ジャン・ヴァルジャンというのは、物語の主人公と言えるかというと、それは結構微妙なんです。

物語の主人公たるジャン・ヴァルジャンがいて、脇役がいるという物語構造ではなくて、章ごとに主人公と呼ぶべき人物が変わっていく物語なんです。

愛する男に捨てられて、娘の養育費を稼ぐために売春婦に身を落としてしまったファンチーヌ。

監獄で生まれ、法と正義だけを信じ、ジャン・ヴァルジャンを追い続けるジャヴェール警部。

詐欺師紛いのテナルディエ家に預けられ、幼くして女中のように働かされているファンチーヌの娘コゼット。

ワーテルローの戦いで活躍した父を尊敬し、王党派である祖父に逆らい、革命運動に身を投じて行くマリユス。

そのどの人物も、ジャン・ヴァルジャンと同じくらい重要で、ある意味では物語の主人公と言えます。

『レ・ミゼラブル』は、一人の主人公ではなく、立場や考え方の違う何人かの物語として描くことによって、激動の時代の流れそのものを描いたような作品なんですね。

登場人物たちが動くストーリーだけではなく、戦争や革命についても結構長く書かれますから、そうした点に読みづらさはあるかも知れません。

ただ、他の作品にはない、深いテーマをいくつも孕んだ大感動作なので、機会があればぜひ読んでみてください。

ちなみに、色んな出来事が劇的に重なりあって響き、何人かの登場人物の独白がとにかく胸を打つので、映画よりも原作の小説の方が、ラストの感動の度合いは間違いなく強いだろうと思います。

滅多に泣かないぼくが、最終巻では涙をぽろぽろとこぼしながら読んだとも噂される傑作です。

作品のあらすじ


ジャン・ヴァルジャンが登場するのは、112ページの第二章からです。

第一章の100ページほどは、ミリエル司教の人柄について書かれた話で、いきなりここで挫折する人もいるかも知れませんが、きついようだったら、この辺りはある程度流しながら読んでも大丈夫ですよ。

ともかく、ミリエル司教という素晴らしい聖職者がいましたよと、そういうことです。

1815年の10月。19年もの徒刑場暮らしを終えたジャン・ヴァルジャンは町をさまよっていました。

町の人々はジャン・ヴァルジャンが前科者だと気付くと、どんなにお金を払うと言っても、ご飯を食べさせてくれませんし、泊まらせてくれないのです。

疲れはて、困り果て、怒りさえ感じるようになったジャン・ヴァルジャンがたどり着いたのがミリエル司教の家でした。

ミリエル司教は、ジャン・ヴァルジャンを温かく迎え入れ、大切にしている銀の食器でご飯を食べさせてくれました。

しかし、ジャン・ヴァルジャンはミリエル司教の恩を仇で返すようなことをしてしまいます。なんと、その銀の食器を盗んで逃げ出したのです。

ジャン・ヴァルジャンはすぐに憲兵に捕まって、ミリエル司教の元へと連れて来られました。これで徒刑場に逆戻りは間違いありません。

しかし、ミリエル司教が口にしたのは、思いがけない言葉でした。

「やあ! あなたでしたね!」と彼はジャン・ヴァルジャンを見つめながら叫んだ。「お会いできて、嬉しいですよ。ところでね、燭台もあげたんだが、あれもほかのと同じ銀製でね、二百フランにはなりますよ。どうして食器と一緒に持って行かなかったんです?」
 ジャン・ヴァルジャンは目を見ひらき、人間のどんな言葉でも言い表せないような表情で、この尊敬すべき司教を見つめた。(1巻、199ページ)


ミリエル司教は、ジャン・ヴァルジャンを許したばかりでなく、銀の燭台もくれると言うのです。そんなことがありえるでしょうか?

憲兵から解放されたジャン・ヴァルジャンは混乱し、思い悩み、やがて自分の魂の醜さに気付いて泣き始めたのでした。

それから何年かの年月が流れて――。モントルイユ・シュル・メールという町は、一人の人物によって大きく生まれ変わっていました。

「黒ガラス装身具」の生産に画期的な改良を加えたマドレーヌさんの産業が大成功し、町は大いに潤っていたのです。

困った人へ救いの手を差し伸べることを決して忘れないマドレーヌさんは、誰からも愛され、やがては市長に選出されました。

誰もマドレーヌさんがどこから来て、どんな人生を送って来たのか知りませんが、とても質素な暮らしをしていて、金目の物と言えば、暖炉の上に飾られている銀製の燭台ぐらいのもの。

そんなマドレーヌさんに、疑いの目を向ける人物がいました。それは、ジャヴェールという警部。

若い頃は徒刑場に勤めていたジャヴェール警部は、マドレーヌさんによく似た男を、徒刑場で見たことがあったのです。

マドレーヌさんはある時、病気で死にそうになっている売春婦のファンチーヌと出会いました。

コゼットという幼い娘を、親切そうなテナルディエという宿屋に預けたファンチーヌは、次々と要求される養育費を払うため、売春婦にならざるをえなかったのです。

可哀想に思ったマドレーヌさんは、ファンチーヌの借金を肩代わりし、コゼットを迎えに行くという約束をしますが、折しも折、ジャヴェール警部から、恐るべき知らせを聞くことになります。

ジャヴェール警部は、「市長殿、わたしはわたしの免官を当局に申出るようお願いにまいりました」(386ページ)と言うのです。

マドレーヌさんが自分の知っているジャン・ヴァルジャンという元徒刑囚ではないかと疑ったジャヴェール警部は、パリの警視庁へその旨を知らせたんですね。

しかし、それは人違いであることが分かったと言うのです。何故なら、ジャン・ヴァルジャンという男は、リンゴを盗んで捕まり、これから裁判にかけられる所だったのですから。

間違った密告をしてしまったことを後悔しているジャヴェール警部をなだめたマドレーヌさんでしたが、内心はそれどころではありません。

そう、ジャヴェール警部の目は間違っていませんでした。マドレーヌさんこそが、何を隠そうジャン・ヴァルジャンだったのです。

自分がただこのまま黙ってさえいれば、自分の代わりに、どこかの誰かが自分の罪を背負ってくれます。ジャン・ヴァルジャンには、神様がそう仕向けてくれたとしか思えません。

しかし、その誰かを、間違った裁きから救おうと思えば、自分が今までやって来たことをすべて捨て、再び徒刑場に行かなければなりません。

自分の工場で働くすべての人、自分の産業で潤っている町のすべての人のためにも、自分こそがジャン・ヴァルジャンであると、名乗り出ない方がいいに決まっています。

ジャン・ヴァルジャンは迷い続けます。このまま何もしないだけでいいのです。見たこともないたった一人の人間を犠牲にするだけで、自分を含めて、多くの人々の幸せが約束されるのですから。

はたして、ジャン・ヴァルジャンが下した決断とは!?

とまあそんなお話です。正しいことをしようとするジャン・ヴァルジャンの前に、次々と思わぬ障害が降りかかり、ジャヴェール警部や恐るべき運命に翻弄されるという物語。

この物語には何度かこうしたジレンマが出て来ます。間違ったこととは言え、ただ何もせず、黙っているだけで自分に幸せが転がり込んで来るという状況。

その時に、ジャン・ヴァルジャンが一体どんな行動を取るのか、ぜひ注目してみてください。

折角なので、物語の後半について、2点だけ触れておきます。コゼットとマリユスについて。

この後、ジャン・ヴァルジャンは天涯孤独な身の上となったコゼットを引き取って養育することになります。ジャン・ヴァルジャン55歳、コゼット8歳。

 何か新しいものが、彼の心の中に入って来た。
 ジャン・ヴァルジャンはこれまで何も愛したことはなかった。二十五年間というもの、彼は世界でただ一人だった。父親にも、恋人にも、夫にも、友人にもなったことがなかった。牢獄では、ひがんだ、陰気な、一本気で、無知な、凶暴な男だった。
(中略)
 コゼットに会って、彼女を引取り、連れ去り、救い出したとき、胸の中が動くのを感じた。内部にあった情熱と愛情のすべてが、目ざめ、この子の方に駆け寄っていった。彼は彼女の眠っているベッドのそばに行って、そこで喜びにふるえていた。(2巻、252ページ)


ジャン・ヴァルジャンの胸は、今まで知らなかった愛で満ちあふれたのです。

しかし、コゼットが成長して子供から娘になり、青年と恋に落ちると、コゼットの幸せとジャン・ヴァルジャンの幸せは重ならないようになっていって・・・。

物語の後半で出て来るのが、マリユスという青年。元々はいい所のお坊ちゃんなのですが、少し複雑な家庭環境で育っています。

フランスには、みなさんご存じのナポレオンがいました。ナポレオンは皇帝にまで登りつめた人物ですが、後に失脚します。

マリユスの父親はナポレオンについて戦っていた軍人で、それに対して、祖父は王党派と言って、王様を認め、革命を起こしたナポレオンを認めない立場の人物。

マリユスがどういう風に育ったかと言うと、祖父によって軍人の父親から引き離され、父親のことをほとんど全く知らずに育ったんですね。

父親が死んでから、初めてナポレオンの時代は男爵だった父親のことを尊敬するようになり、王制に反対し、自由と民主主義を求める革命運動に身を投じて行きます。

そんなマリユスは、リュクサンヴール公園をよく散歩していたんですが、そこで老人と娘をよく見かけ、その娘に次第に恋心を抱くようになっていって・・・。

ジャン・ヴァルジャンとジャヴェール警部、そしてコゼットとエポニーヌ(簡単に言えば、コゼットの恋敵)は、見た目や境遇、考え方などが対照的に配置されているキャラクターです。

太陽と月のように、どちらかが輝くと、どちらかは影になってしまうのです。

ぼくら読者はジャン・ヴァルジャンの正しくあろうとする心を知っていますから、ジャヴェール警部が随分悪いやつに思えますが、ジャヴェール警部はジャヴェール警部なりの正義を追求しているんですよね。

単純な善悪のぶつかり合いになっていないのが、この物語の面白い所だろうと思います。

ジャヴェール警部やエポニーヌも、ある意味ではジャン・ヴァルジャンやコゼット以上に心に残る登場人物でした。

全5巻と長い作品ですが、映画を観るなどして興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

浮浪児ガヴローシュが誰の子供かや、ワールテローの戦いの恩返しにまつわる話など、映画では語られていなかったことも結構あるので、ストーリーを知っていても楽しめるだろうと思います。

おすすめの関連作品


『レ・ミゼラブル』を読んでみたいけど、流石に5巻は長すぎるから読み通す自信がないなあという方に、おすすめのダイジェスト版を一つ紹介します。

新しいもので言えば、角川文庫などからも上下巻で出ていますし、子供向けのものでもストーリーの把握にはよいと思いますが、ぼくが読んで非常に面白かったのが、黒岩涙香の翻案版。

みなさんご存知『噫無情(ああむじょう)』です。

黒岩涙香が「ああ無情」と訳したことで、『レ・ミゼラブル』は日本ではこのタイトルでも定着していますね。現在は、はる書房から、前篇・後篇の2冊で復刻されています。

噫無情(ああむじょう)〈前篇〉 (世界名作名訳シリーズ)/はる書房

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噫無情(ああむじょう)〈後篇〉 (世界名作名訳シリーズ)/はる書房

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黒岩涙香は「萬朝報」という新聞を作って、そこに世界文学の翻案を連載していたのですが、明治時代は現在のように、著作権や翻訳の概念がまだしっかりしていない時代。

原文を一々確かめるのではなく、ざっと読んでなんとなくの流れをつかんだら、「えいやっ!」と自分の文章で書いてしまうという、やや乱暴なやり方がとられていたようです。

ですが、そうして書かれた黒岩涙香の文章は、翻訳ならではのぎこちなさは消え、リズミカルな文体になっていますし、原作の長い戦争の描写などは省かれ、ドラマティックなストーリーだけを楽しめる作品になっています。

使われている漢字や言い回しは古めかしく、そうした点でやや読みづらさはあるだろうと思いますが、ルビがあるので、慣れるとそれもまた味として楽しめるはずです。

ちなみに、黒岩涙香の翻案のテイストとして一番近いのは、間違いなく江戸川乱歩なんです。というのも、江戸川乱歩は、黒岩涙香の翻案を随分愛読していて、影響を受けたらしいんですね。

なので、江戸川乱歩好きの方には特におすすめですよ。物語世界にすっと入っていけます。

独特の雰囲気漂う世界観、思わず続きが気になってしまうように、過剰なあおりを入れながら書かれる文章など、現在の小説とは全く違う、江戸川乱歩のような濃厚さが堪能できる『噫無情』をぜひぜひ。

同じように、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』も、黒岩涙香がつけた『岩窟王』というタイトルで日本では有名ですが、その『岩窟王』もはる書房から復刻されています。そちらも抜群に面白いですよ。

明日は、J・M・クッツェー『鉄の時代』を紹介する予定です。