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歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』(角川文庫)を読みました。
衝撃のどんでん返しで話題になった『葉桜の季節に君を想うということ』で、ぼくも気持ちいいくらい見事に騙されたんですよ。
そこで、他の作品も読んでみたいなあと思って手に取ったのがこの作品です。何だか妙に気になるタイトルですよね。
幼い子供ばかりを狙った誘拐事件が起こります。身代金の要求は、その子供の持っていたPHSからメールで送られて来たもの。
誘拐された子供は、身代金の受け渡しの前に拳銃で殺されてしまっていました。発見された銃弾から、同じ拳銃から発射されたものだということが分かります。
そんな残虐な誘拐事件を行っている犯人は一体誰なのか?
誘拐というのは、小説や映画でよく描かれますよね。小説をあげていくときりがないので、映画で少し考えてみたいと思います。
一番オーソドックスなのは、黒澤明監督の『天国と地獄』ではないでしょうか。
天国と地獄 [DVD]/三船敏郎,香川京子,江木俊夫
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エド・マクベインの「87分署シリーズ」の中の一作『キングの身代金』を映画化した作品。
三船敏郎演じる会社の重役の息子と間違われて、運転手の息子が誘拐されます。しかし、犯人はなんと、それでもお金を要求し続けるのです。
誘拐された子供を見殺しには出来ませんから、身代金の受け渡しに応じることにした重役。一方仲代達矢演じる警部が率いる警察は、犯人をつかまえるために必死で動いていて・・・。
1963年と少し古い映画ですし、カラーではなく白黒なのですが、白黒の画面でしか出せない迫力が滲み出ている映画です。とにかく俳優がいいんですよねえ。しびれます。
誘拐で最も重要な、手に汗握る身代金の受け渡しの場面がとても印象的な作品です。まだ観たことのない方はぜひ。
誘拐した犯人側、犯人を追う側、そのどちらでもなく、誘拐された側から描いた映画があります。キム・ベイジンガー主演の『セルラー』です。
セルラー [DVD]/キム・ベイシンガー,クリス・エバンス,ジェイソン・ステイサム
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ある日、理由も分からず誘拐され、どこかの家の屋根裏部屋に監禁されてしまったキム・ベイジンガー演じる女性が、壊された電話を必死で直し、外部と連絡を取ろうとするんですね。
たまたま繋がったのが、クリス・エヴァンス演じるお気楽な青年の携帯電話。いきなり誘拐されているから助けてくれと言われても、初めは当然いたずら電話だと思われてしまい・・・。
助かるための、ほんのわずかな可能性にかける、スリリングさのある映画です。
場面や登場人物は、限定されていれば限定されているほど脚本としては練られているわけですから、かなり面白いです。機会があればこちらもぜひ。
さてさて、上の2作品からも分かりますが、誘拐ものの描かれ方と言えば、基本的には3パターンしかありません。
(1)誘拐した犯人側から描かれるもの、(2)犯人を追う警察側から描かれるもの、(3)誘拐された側から描かれるもの。
ここでようやく『世界の終わり、あるいは始まり』に話を戻しますが、この小説は誘拐を描いていながら、その3パターンの内、どれでもないんです。
平凡なサラリーマンをしている〈私〉はある時、小学6年生の息子の雄介の部屋で、名刺を見つけるんですね。
子供が名刺を持っているというのは、珍しいことです。しかし、それが、誘拐事件で子供をさらわれた親たちの名刺であることが分かって〈私〉は驚愕します。
もしかしたら、自分の息子は誘拐事件と関与しているのではないだろうか。いや、むしろ息子が誘拐事件を起こし、幼い子供たちの命を奪っているのではないだろうか――。
〈私〉は自分の息子の部屋をひそかに探り、事件当日の息子の行動を調べ始めます。恐るべき疑惑に満ちた物語。
作品のあらすじ
埼玉県入間市ひいらぎ台四丁目で、〈私〉は妻の秀美、小学6年生の息子の雄介、小学1年生の娘の菜穂と暮らしています。
同じ町内に住む8歳の江幡真吾が殺されて3ヶ月が経ちましたが、マスコミはひっきりなしにやって来て、辺りはいまだ騒然としています。
息子の誘拐の知らせを受け、禁じられていた警察への通報をした江幡真吾の両親ですが、警察は犯人確保に失敗します。
そして、死体で発見された江幡真吾は、身代金の受け渡し前にすでに殺されていたことが分かりました。
それからも幼い子供を狙った誘拐事件が何件か起き、小学校の父兄は自警団を作って巡回に当たっています。
恐ろしい事件が身近で起こりましたが、秀美はインタビューされてテレビに出演したことではしゃぎ、さほど裕福ではない自分の家の子供は誘拐されるわけがないと、〈私〉自身も高をくくっています。
「よしよし、ドルがまた上昇傾向だぞ。終値は?」
私は頬を緩めてテレビをつけた。
正直に言おう。現在の私にとっては誘拐事件よりも円相場だ。昨年の夏、これが底値と判断して一〇八円の時に五百万円をドル預金したところ、はたして急速にドル高が進行し、現時点では五十万円超の為替差益が出ている。
誘拐事件は、ごく近所で発生したとはいえ、しょせん他人の不幸でしかない。(73ページ)
ある日の夕方、雄介の部屋から目覚まし時計の音がしました。朝の時間にセットしたものが、夕方の同時刻に鳴り始めたようです。
目覚まし時計を止めに行った〈私〉は、机の上の物を落としてしまったのですが、その中に尾嵜毅彦という人物の名刺がありました。
その時は特に気にも留めなかったのですが、それから一週間ほど経ち、尾嵜という名前は全国で知れ渡ります。尾嵜豪太という少年が誘拐され、殺されてしまったから。
尾嵜という名前はありふれたものではありませんから、〈私〉は妙に気になります。
雄介がお風呂に入っている間に雄介の部屋に侵入した〈私〉は、再び名刺を確認します。誘拐された子供の父親の名刺に間違いありません。
たまたま道端で拾ったなど、何かの偶然に違いないと思う〈私〉ですが、引き出しの中から、他の名刺を見つけてしまいました。
それらの名刺はすべて、過去に誘拐され、殺された子供たちの親の名刺でした。名刺にはメールアドレスが載っていますから、脅迫メールを送ることが出来ます。
わが子が一連の男児誘拐殺人事件に関与している――。
それが私の妄想だった。しかし、妄想ではあったが、事実に違いないと確信していた。事件に無関係な人間が、どうして被害者の親の名刺を持っているのだ。しかも四枚揃いで。江幡孝明を除いたら、雄介とは生活上接点がないはずなのに。(107ページ)
〈私〉は詳しい事情は分かりませんが、雄介が何者かに男児の連れ出し役をやらされていたのではないかと考えるようになります。
しかし、息子を信じたい〈私〉は、息子は犯行に関与していなかったということを確認するために、事件当日の息子の足取りを調べ始めます。
学校が終わってから、男児に接触し、塾の始まる5時までに戻って来られるか。実験の結果、それは時間的に不可能なことが分かりました。
犯行当時、雄介にはアリバイがあり、潔白が証明されたのです。ですが、〈私〉の心は休まりません。もしも当日、塾を休んでいたとしたならば?
雄介の出欠を確かめるために塾へ行った〈私〉は、思いもよらぬことを聞かされます。
「すみません、お話がまったく見えないのですけど」
「話が見えないって、ですから息子の出欠を確認したいだけ――」
「ひいらぎ台小学校六年生の富樫君は当会を退会されていますが、そちら様はその富樫君のお父さまとは違うのですか?」(142ページ)
帰宅後、妻の秀美に確認すると、毎月3万円の塾の月会費は雄介に持たせており、10万円の夏期講習も申し込んだというのです。
雄介は退会届を捏造し、塾の領収書を偽造し、お金を懐に入れているに違いありません。「私が見ていた平和は虚像にすぎなかった」(147ページ)と〈私〉は思います。
〈私〉は新聞記者をしている大学の先輩と会い、誘拐事件について、表向きには公表されていないことを色々と聞きました。
身代金の受け渡し場所を指示するために使われた塗料のこと、犯行現場に乗り入れたらしき自転車のこと、そして、犯行に使われたのは米国コルト社製のウッズマンという22口径の小さな銃であること。
それを聞いて、「犯行に使われたのは射撃時の反動が非常に小さい拳銃だった。それはつまり、十二歳の男児にも引き金を引けると物語っているのではないか?」(162ページ)と〈私〉は恐ろしい想像を巡らします。
どんどん膨らんでいく息子への疑惑。雄介は男児連続誘拐事件に関与しているのか? それとも雄介こそが、事件を起こした犯人なのか?
はたして、〈私〉は事件の真相を解き明かすことが出来るのか!?
とまあそんなお話です。恐るべき疑惑がどんどん膨らんでいく物語で、かなり引きこまれます。
500ページほどの作品ですが、ちょうど半分ぐらいで、ある程度の真相が見えてきます。しかしそこからがすごかったですね。さすがに単なるミステリでは終わりません。
どんでん返しを期待して読むと肩透かしを食いますし、このラストは賛否が分かれそうですが、あまり読んだことのない展開をする小説だったので、ぼくは結構面白く読みました。
誘拐する側でも、誘拐された側でもなく、誘拐事件に関与している疑いのある小学生の息子を、父親が調べて行くという物語。
平凡ながら幸せな日々を過ごしていると思っていた、その平和の虚像が、がらがらと崩れ落ちて行くような、不安と疑惑に満ちた作品です。
興味を持った方はぜひ読んでみてください。
明日は、ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』を紹介する予定です。