エミール・ガボリオ『ルルージュ事件』 | 文学どうでしょう

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エミール・ガボリオ(太田浩一訳)『ルルージュ事件』(国書刊行会)を読みました。

今回紹介する『ルルージュ事件』という小説を、ご存知ない方が多いだろうと思いますけども、このあおり文句を聞いたら、もう絶対気になってしまうはずです。

「クラシックでありながらモダン、コナン・ドイルにも多大な影響を与えた世界最初の長篇ミステリ」(帯より抜粋)


「世界最初の長篇ミステリ」ですよ! これはもう気にしないでね、という方が無理でしょう。

ちなみに、ミステリの創始者は1840年代に活躍したアメリカの作家、エドガー・アラン・ポーだと言われています。その代表作「モルグ街の殺人」が発表されたのは、1841年。

名探偵オーギュスト・デュパンを生み出し、数々のミステリの名作を残したポーですが、その作品はどれも短編ばかりなんですね。

そこで「世界最初の長篇ミステリ」は何か? ということが重要になってくるわけです。

日本でよく名前があがるのは、イギリスの作家、ウィルキー・コリンズの『月長石』だろうと思います。ぼくもずっとそう思ってました。

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T・S・エリオットという『荒地』などで有名なイギリスの詩人が、『月長石』のことを、「最初の最大にして最良の推理小説」と、評したらしいんですね。

その言葉が有名になって、『月長石』は長編ミステリの元祖として取り上げられることが多いようです。

しかし、発表されたのは1868年のことであり、その2年前の1866年にフランスで発表された長編ミステリがあったんですね。

そう、それが何を隠そうエミール・ガボリオの『ルルージュ事件』なのです。

日本ではずっと全訳がなかったのですが、2008年に国書刊行会から翻訳が出ました。いやあよかったですね。まさに「あの幻の書がついに!」という感じですよね。

ただ、ちょっと残念なのは、コナン・ドイルと名探偵シャーロック・ホームズがセットで語られるように、エミール・ガボリオは名探偵ルコックとセットで語られることが多いということがあります。

ところが、その肝心のルコックは『ルルージュ事件』ではちょい役もいいところで、この後の作品で主役になって活躍していくらしいんですね。

しかし、その後の作品のいい翻訳はまだないわけでして。今後に期待ですね。翻訳されるかどうかはよく分かりませんけども、翻訳されるのを楽しみに待つこととしましょう。

さてさて、いよいよ『ルルージュ事件』の内容に入って行きますね。

未亡人のルルージュ夫人が、自室で何者かに背中を刺されて殺されてしまいました。誰が、一体何のためにルルージュ夫人を殺したのか?

遺留品を捜査し、事件の証人を探すなど、いわゆる足で稼ぐ捜査をしていくのが警視庁の治安局長ジェヴロール。やがてはルルージュ夫人の過去に迫っていくこととなります。

一方、推理力に優れ、独自の観察眼で事件を解き明かそうとするのが、素人探偵タバレの親父。警察には出来ない飛躍した捜査方法を使い、事件の裏の驚くべき真相を解き明かしていきます。

そして、やがて捕まった容疑者が、有罪なのか無罪なのかで揺れるのが、予審判事のダビュロン氏。有罪であってほしいと思ってしまうダビュロン氏の複雑な事情があって・・・。

この物語にはいわゆる主人公というべき人物はおらず、ある章ではタバレが主人公になり、別の章ではダビュロン氏が主人公になるという感じで、次々とスポットのあたる人物が変わって行くというスタイルの小説です。

さて、かなり古い小説ではあるので、現代の読者にとって面白いかどうかが、何より重要ですよね。

これがなかなかどうしてかなり面白いです。「世界最初の長篇ミステリ」というあおり文句に食いついてしまった方は、ぜひ読んでみてください。

ミステリというのは時に、謎としては面白くても、物語性に欠ける無味乾燥なものになってしまいがちなものですが、『ルルージュ事件』はフランスの作品らしい重厚な雰囲気と、豊かな物語性を持った作品です。

読んでいて一番近い感じがしたのは、『三銃士』などで有名な、アレクサンドル・デュマの小説です。

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個性的な登場人物によって、少しずつ解き明かされていく陰謀。展開が気になって、思わずページをめくってしまう、そんな所がデュマと共通しています。

『ルルージュ事件』は、現代のミステリと比較すると、ミステリとしての物足りなさはあるかも知れませんが、物語としてかなり惹きこまれる作品です。ぼくはかなり夢中になって読みましたよ。

作品のあらすじ


1862年3月6日、木曜日。ルルージュ夫人の姿が2日前から見えないということで、近所の人々が警察に届け出ました。

警察がルルージュ夫人の家の扉を開けると、中には背中を刺されたルルージュ夫人の死体があったのでした。どうやら死後36時間は経過しているようです。

部屋が荒らされていることから、物取りの犯行かと思われましたが、引き出しには金貨が残されていたりと、物取りにしては不自然な点もあります。

近所に住んでいる少年が、日曜日にルルージュ夫人と会っていた男を目撃していました。

警視庁の治安局長ジェヴロールは、大きなイヤリングをしていたというその男が、この事件と何らかの関係があると見て、その男の行方を追い始めて・・・。

この難事件を解決するために、切れ者と評判のタバレの親父が呼ばれました。タバレは、こんな容姿をしています。

 年のころは六十前後といったところか。小柄で瘦せており、いくらか背が曲がっている。丸い象牙の柄に彫刻のほどこされた、太い籐製のステッキをついていた。(中略)鼻はひどく反りかえっていて、まるでサクソフォンのようだ。くすんだ灰色をした小さな目は、その縁が赤く染まっており、無表情ではあるが、いっときも動きをやめることがない。(31ページ)


ルルージュ夫人の殺害現場を観察したタバレは断言します。「これは盗みを目的とした犯行ではありませんな」(33ページ)と。

そして巧みな推理力で、ルルージュ夫人と犯人はおそらく顔見知りだったこと、犯人がどのように犯行を行ったか、犯人の身長や事件当日の犯人の服装などを導き出します。

タバレは、犯人の目的はルルージュ夫人が所有していた何らかの書類であり、犯人はそれを見つけ出して二階の小さなストーブで燃やした後、物取りに見せかけるために部屋を荒らしたのだと推理しました。

やがてタバレの推理通り、セーヌ川の岸辺で、金目の物が入った包みが発見されました。こうして物取りの犯行ではなかったことが実証されたのです。

独自の捜査を続けていたタバレはついに犯人を突き止め、アルベール・ド・コマラン子爵がこの事件の犯人であると、予審判事のダビュロン氏に告げました。

 ダビュロン氏は呆然として身じろぎもせず、驚きのあまり目を見開いている。そして、無意味なことばを憶えこもうとするかのように、「アルベール・ド・コマラン! アルベール・ド・コマラン!」と機械的にくり返していた。
「ええ、御曹司の、子爵です」とタバレの親父は強調した。「信じられんでしょうな。わかりますとも」
 だが、予審判事の表情に変化があらわれたことに気づき、タバレは不安を感じてベッドに歩みよった。「どうかしましたか判事、気分でもお悪いので?」(116ページ)


まず、どうやってタバレが犯人を突き止めたのかから説明しましょう。タバレはルルージュ夫人が何らかのゆすりによって生計を立てていると見抜きました。

そして、レトー・ド・コマラン伯爵という貴族が、かつて恐るべき犯罪を犯したことを知ったのです。

コマラン伯爵の妻とその愛人が同時に身ごもったんですね。コマラン伯爵は身分が高い相手とやむをえず結婚しましたが、愛人だけを、心から愛していたのです。

そこで、愛人の子供を自分の嫡子として育てるために、妻との間に生まれた赤ん坊と、愛人との間に生まれた赤ん坊をすり変えてしまったのです。

かつて乳母だったことから、その実行犯をつとめ、生涯にわたって年金が支払われることになったのが、ルルージュ夫人だったというわけです。

コマラン伯爵の息子のアルベール子爵は、自分が本当はコマラン伯爵の嫡子ではなく、愛人の子供であると何らかの事情で知ってしまったようです。

自分が今のまま貴族でいるためには、赤ん坊のすり変えがあった証拠を消すより他に方法はありません。

そこで、アルベールは証人であるルルージュ夫人を殺害し、証拠の手紙を燃やすという、恐るべき犯罪に手を染めたのだと、タバレは推理したわけですね。

一方、ダビュロン氏がアルベールの名前を聞いて、何故それほど驚いたかというと、それが心の傷に塩をすり込むような名前だったからです。

ダビュロン氏には心から愛しているクレールという女性がいました。ところが、そのクレールが愛している男こそが、アルベールだったのです。

アルベールとクレールは愛し合っていながらも、コマラン伯爵の反対で結ばれることが出来なかったのです。

ダビュロン氏はクレールから、父のようにも兄のようにも慕われていながら、アルベールに夢中なクレールの心にその愛が届くことはなかったのでした。

逮捕されたアルベールは、自分の潔白を主張しますが、ダビュロン氏はアルベールが恋敵なこともあって、激しく追及し続けます。

犯行があった火曜日、どこにいたのかについては、「さきほど申しあげたとおりで、お答えのしようがないのです」(258ページ)とアルベールはくり返すだけ。

ダビュロン氏は、アルベールはその内自白するだろうと思っていますが、アルベールにアリバイがないことが、タバレを驚愕させます。

今回の事件にかんして言えば、わたしは既知のことがらから未知のことがらを帰納的に推論し、犯人にたどりつきました。つくられた物を分析して、つくり手を割りだしたというわけです。推理と論理的思考によって浮かびあがるのは、いかなる人物像か? 大胆かつ慎重で、めっぽう悪知恵のはたらく、腹のすわった悪党です。(中略)そんなやつが事件の晩のアリバイも用意せず、むざむざ自滅するはずがありません。ありえない話です。(263ページ)


タバレは自分が間違っていた、アルベールは決して犯人ではないと主張するようになります。しかし、ダビュロン氏は耳を貸しません。

タバレは、「ああ、気の毒に! だが、アルベールを見捨てたりもするものか。あんな目に遭わせたのは自分だ。だから、自分の手で救いだしてやる」(265ページ)と、真犯人を自分の手で捕まえることを心に誓います。

一方、大きなイヤリングをした男を追っていたジェヴロールは、思わぬ手がかりをつかんでいて・・・。

はたして、やがて明らかになった、ルルージュ夫人殺人事件の真相とは!?

とまあそんなお話です。単に名探偵が犯人を捕まえるミステリというだけではなく、物語的な要素がたくさん入っていますよね。

伯爵によって行われた、赤ん坊のすり替え。愛人の子供は伯爵の子供として、妻の子供は私生児として成長することとなったわけです。これは非常に面白いテーマですよ。

そして、ダビュロン氏の抱えるジレンマも非常に興味深いですよね。自分の愛する女性の愛する男を、生かすも殺すも自分次第という状況。

正義を遂行するためには、罪なき人間に罰を与えてはいけませんが、恋敵を亡き者にしたいという考えが、どうしても浮かんで来てしまうわけで。

それから、影響を与えたというだけあって、シャーロック・ホームズに非常に近い推理力を見せるタバレが、思い込みで推理を誤るというのも、なんだかすごい展開ですよね。

「世界最初の長篇ミステリ」が、アンチ・ホームズ的なミステリだなんて、これは面白いですよ。

2段組みで400ページほどある、少し長い小説なのですが、物語性豊かな作品なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』を紹介する予定です。