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村上春樹『TVピープル』(文春文庫)を読みました。
ぼくの中でずっと印象に残り続けている村上春樹の短編があって、それがこの短編集に収録されている「眠り」です。
読み返してみると、ぼくが覚えていたのとは全然違う話でした。ぼくはこの短編を「眠ってしまう」話だと思ってたんです。でも実際には、「眠れない」話でした。
非常に興味深いのは、ストーリーは間違って覚えていましたが、印象としては間違っていなかったことです。
「眠ってしまう」話だとしても、「眠れない」話だとしても、印象として変わらないだなんて、なんだか面白いとは思いませんか?
収録作品としては、一番最後なんですが、先に「眠り」だけを取り上げて考えてみたいと思います。
「眠れなくなってもう十七日めになる」(145ページ)というのが「眠り」の書き出しです。〈私〉は大学生の時にも、同じように「不眠症のようなもの」になったことがありました。
夜眠れないので、日中はうつらうつらの状態になります。こんな風に書かれています。
電車のシートや、教室の机や、あるいは夕食の席で、私は知らず知らずにまどろむ。意識がすっと私の体から離れていく。世界が音もなく揺らぐ。私はいろんなものを床に落としてしまう。鉛筆やハンドバッグやフォークが、音を立てて床に落ちる。私はいっそのこと、そのままそこにつっぷしてぐっすりと眠ってしまいたいと思う。でも駄目だ。覚醒がいつも私のそばにいる。私はその影を感じつづける。それは私自身の影だ。(147ページ)
この時の「不眠症のようなもの」は突然治ります。「二十七時間こんこんと眠った」(149ページ)〈私〉はそれ以来、普通に眠れるようになるんです。
〈私〉は30歳の女性です。歯科医をしている夫と子供と暮らしています。そしてある時、また眠れなくなってしまいました。
ところが、以前の「不眠症のようなもの」とは異なり、日中にうつらうつらするとかいうことがないんです。すごく元気で、健康的で、ただ全く眠れないんです。
〈私〉は長い小説を読み始めます。トルストイの『アンナ・カレーニナ』を。昼間は普通に暮らし、夜は本を読みます。そして・・・。
とまあそんなお話ですが、この短編が「眠ってしまう」話だとしても、「眠れない」話だとしても印象として変わらないというのは、この短編自体がどこか悪夢的なイメージを持っているからです。
ぼくが強い印象を持って覚えていたのは、この短編のラストシーンなんですが、それは「眠れない」話というよりは、「眠ってしまう」話に近いというか、もっと言うと「眠り」自体はもはや問題ではないんです。
『アンナ・カレーニナ』とこの短編を重ね合わせなくとも、〈私〉の生活は、二分化していることは分かります。日常はこんな風に書かれています。
私は義務として買い物をし、料理を作り、掃除をし、子供の相手をした。義務として夫とセックスをした。慣れてしまえば、それは決して難しいことではなかった。それはむしろ簡単なことだった。頭と肉体のコネクションを切ればいいだけなのだ。私の体が勝手に動いているあいだ、私の頭は私自身の空間を漂っていた。私は何も考えずに家事を片付けた。子供におやつを与え、夫と世間話をした。(185ページ)
つまり、自分の〈心〉や〈感情〉的なものを切り離して「義務」として空っぽの状態のまま生活できてしまっているわけですよね。そしてこれは、夜の1人だけの充実した時間とは対照的な生活です。
「眠り」に潜んでいる問題は、眠れるか眠れないかではなく、ここで「頭と肉体のコネクション」を切ってしまえることにあります。
作中に「私は眠りの延長線上にあるものとして、死を想定していたのだ」(203ページ)という一文がありますが、たしかに「眠り」と「死」のイメージは限りなく近いです。
ところが、「眠り」を失い、その夜の時間が充実してしまうと、昼夜の優位性は逆転し、むしろ昼の平凡な暮らしの方が「死」のイメージと重なります。
そうして平凡な暮らしや夫への嫌悪感が表面上に現れてくる時、もはや「眠ってしまう」話か「眠れない」話かは問題ではなく、ただただその窮屈さが不気味な印象で残るんですね。
色んな読み方のできる作品だと思います。興味を持った方はぜひ読んでみてください。
作品のあらすじ
他の作品にも簡単に触れて終わります。
『TVピープル』には、「TVピープル」「飛行機ーーあるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」「我らの時代のフォークロアーー高度資本主義前史」「加納クレタ」「ゾンビ」「眠り」の6編が収録されています。
「TVピープル」
ある日突然、TVピープルが3人、〈僕〉の部屋にやって来ます。「縮小コピーをとって作ったみたいに、何もかもが実に機械的に規則的に小さい」(13ページ)TVピープル。サイドテーブルの上にあった置時計や雑誌をどかし、TVを置いて帰っていったTVピープル。不思議なことに、帰って来た奥さんは、TVがあることに対して何も言わないんです。
TVをつけても、なにも映りません。音量をあげてもノイズが聞こえてくるだけ。やがて会社にもTVピープルが現れて・・・。
「飛行機ーーあるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」
20歳になったばかりの彼は、7つ歳上の人妻と付き合っています。ある時、彼女が尋ねます。「ねえ、あなた昔からひとりごとを言う癖があったの?」(55ページ)と。ひとりごとを言った覚えがない彼が、自分がどんなひとりごとを言っていたかを聞くと・・・。
「我らの時代のフォークロアーー高度資本主義前史」
中部イタリアのルッカで、小説家の〈僕〉は、大学時代の友人と再会します。2人は一緒に食事をし、彼は当時付き合っていた藤沢嘉子の話をします。〈僕〉から見ると2人は、ともに容姿がよく、頭もよく、スポーツもできる完璧なカップルだったんです。「ミスター・クリーンとミス・クリーン」と呼ぶくらい。
はたして、2人の間に一体どんなことがあったのか?
「加納クレタ」
加納マルタと加納クレタの姉妹は、『ねじまき鳥クロニクル』にも登場しますが、この短編ではかなり印象が違うキャラクターです。特に加納マルタは全然違いますね。なんだかざっくばらんな喋り方をします。
物語は〈私〉である加納クレタによって語られます。「男たちは私を見るとみんなきまって犯そうとする」(124ページ)んです。不思議な能力を持つ姉の加納マルタは、〈私〉に水の音の聴き方を教えてくれます。
ある時、とても大きな男が〈私〉の前に現れて・・・。
「ゾンビ」
墓場の隣の道を男女が歩いていると、男が突然、女の悪口を言い始めるんです。そして・・・。最後に収録されているのが「眠り」です。
とまあそんな6編が収録された短編集です。「TVピープル」や「加納クレタ」では、音の表現が面白いので、そんなところにも注目してみてください。