伊藤恵ベートーヴェンを語る その2 | クラシック♪インド部のブログ

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西洋クラシック音楽とインドというどうにも関係のなさそうな二つの事柄を中心に語るフリーライター&編集者、高坂はる香のブログ。
ピアノや西洋クラシック音楽とインドというすばらしい文化が刺激しあって何かが生まれる瞬間を妄想しています。

11月25日(日)一橋大学兼松講堂に伊藤恵さんを迎えて行われるコンサート、
『ピアニスト・ベートーヴェン、ウィーンデビュー!』
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.2


(前回から続く)


─ソナタ第2番が完成したときにはベートーヴェンはすでに25歳でした。難聴の兆しが出始めるのは28歳ごろのことですから、これら初期のソナタは数少ない「聴力に問題のない」時期の特別なものということになるかと思いますが。


 確かにそうかもしれませんが、天才には耳が聞こえていようがいまいが、苦悩は常にあったはずだと思います。そもそも、私たちは演奏するにあたって、全ての作品が特別だと思うべきです。
 難聴だけが彼の不幸ではありません。生きるという概念を越えたところで、彼は幸せと言うものを追究し、苦しみを乗り越え、純粋な喜びを模索しました。だからこそ、どの作品を聴いても励まされる。それがベートーヴェンのすごいところだと思います。芸術とは何かという哲学的な追究を、音楽で行っているのです。

 第九などは一つの例です。20歳ごろに「人類みな兄弟」ということを語るシラーの詩を読んで、それがずっと彼の心の奥深くに存在した。それを何十年も経ってからついに音楽で表現したのが第九です。自分に例えどんなに不幸なことがあっても、喜びをもって、人類はみな兄弟だと語りかける。これはもう、誰もかなわないですよねぇ。


 ソナタ第1番もとても挑戦的だし、第2番も弾いていると背筋が伸びるようです。こうして見ていくと、32曲のソナタには全て意味があって、さらに、どれも前作に満足せず、もっと素晴らしい世界があるはずだとさらなる高みを目指してゆく。一つ一つが世界遺産ですね。


─すると、初期のソナタと後期のソナタでは演奏にあたっても難しさが徐々にあがっていくということなのでしょうか?

 それが、そういうわけでもありません。後期のソナタは作品自体の世界が確立されていますから、どのように弾いてもある程度は音楽として円熟したものになるのです。それに対して、2番のソナタをとても素敵に弾くことは難しい。
 これら作品1のソナタというのは、ベートーヴェンが、自分はハイドンやモーツァルトよりも天才だ、今までだれも作ったことのない新しい世界を創造してみせる! と、意気揚々ウィーンに殴り込みをかけた作品なわけです。実験的で難しい。今回の演奏では、運命に打ちのめされる以前の若々しい青年ベートーヴェンの姿に焦点を当てることができたらと思います。


(つづく)



『ピアニスト・ベートーヴェン、ウィーンデビュー!』
ベートーヴェン生誕250年(2020)プロジェクト Vol.2
ピアニスト、伊藤恵が、ピアノの名手としてウィーンの聴衆を魅了した若き作曲家ベートーヴェンの傑作を弾く!
2012年11月25日(日) 13:30開場 14:00開演

ピアノソナタ第2番 イ長調 Op.2-2
ピアノソナタ第8番 ハ短調「悲愴」 Op.13
悲劇『エグモント』序曲 Op.84*
ピアノ協奏曲第1番 ハ長調Op.15*

*【管弦楽】高井優希指揮 兼松講堂ベートーヴェン・プロジェクト管弦楽団

電話でのお申込み:コンセール・プルミエ 042-662-6203 (月?金10:00?18:00)
主催:ボランティアチーム如水コンサート企画