『古い医術について』・その1 | くらえもんの気ままに独り言

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 今年の目標は古典に触れるということでしたが、そろそろ古典のまとめエントリーを書いてみようと思います。今回は医学の父として知られるヒポクラテス『古い医術について 他八篇』(岩波文庫/小川政恭訳)を紹介してみたいと思います。


 ヒポクラテスは紀元前5世紀の古代ギリシャで活躍した医者で、『ヒポクラテスの誓い』で有名ですが、彼は観察と経験と合理的推論に基いて、初めて医学を経験科学の座に据えた人であるとされております。彼の残した著作のうち、9作が本書には収録されているわけですが、今回と次回の2回に分けて内容を簡単にまとめてみたいと思います。


『空気、水、場所について』


 本作では空気や水や場所というものが、人にどのような影響を与えるのかということがまとめられておりました。これらの特質を理解していれば、見知らぬ土地で医療を行おうとしたときに役に立つとのことです。


 まず、町の位置する地形との関連についてです。


南向きの町(南が海で北が山)―水分が多い体。下痢がち。食べるのも飲酒も苦手で体がひきしまっていない。女性は病気がち。不妊・流産が多い。小児はけいれんや喘息が多い。男性は赤痢、下痢、湿疹、痔出血になりやすい。ただし、この地域の人は肺炎などの急性疾患にはかかりにくい。

北向きの町(北が海で南が山)―体が引き締まり、乾燥がち。便秘が多い。肋膜炎や膿腫も多い。多飲ではないが多食。女性は流産しないが難産がち。この町では思春期が遅い。

東向きの町(東が海で西が山)―健康的。女性も妊娠・分娩は楽。

西向きの町(西が海で東が山)―もっとも病気を起こしやすい。あらゆる病気にかかる。


 これらのことはそれぞれの土地の風の性質や水の性質(特に風の性質)によるもののようです。PM2.5とかは西向きの町の方が被害大きそうですしね(;^_^A


 続いて水の性質と病気の関連についてです。


沼の水―腐ってる。めちゃくちゃ体に悪い。命に関わる。

岩場から出てくる水―硬質。尿として出にくい。排便困難。

高地および土質の丘陵地から出てくる水―健康に良い。


 そりゃ、そうだ(;^_^A

 でも、昔の人は沼の水なんかも生活用水として使用していたんですかね?


 ちなみにヒポクラテスおすすめの水源地ベスト3は


1位 東の水源地

2位 北の水源地

3位 西の水源地


 です。(南の水源地の水は不良とのこと。)


 まぁ、健康な人は手近にある水を飲めばよいとのことですが、便秘がちの人は甘く、軽く、明澄な水がよく、下痢がちの人は硬く、粗く、塩辛い水が合っているようです。塩辛い水は下痢を促すというのは間違いで、実は下痢を防ぐものだというのです。


 下痢をすると水分とともにミネラルも失われるので、塩分などのミネラルも同時に補給するのは体によさそうですが、下痢を防ぐものなのかは知りません(誰か検証してないかな?)。少なくともマグネシウムなんかは下痢を促しそうなんですけどねぇ。


 そしてお次は雨水と雪・氷からできる水についてです。


雨水―甘いし、よい水。ただし、煮沸する必要あり。

雪(氷)どけ水―有害。よい成分はとける際に蒸発。残った水は人体には適さない。


 そのほか色んな水が混ざり合った水(水源地が遠かったり、川が合流したり)は結石や腎臓病やヘルニアになりやすいようです。


 この後、季節の変化と天候によって、病気が多いか少ないかを予知することができるということが書かれていました。そして、ヨーロッパ人とアジア人(エジプト人・リビア人のこと?)との違い(住む土地や体格、習慣などの違い)についても詳細に述べられておりました。実際に欧米人の医学データとアジア人の医学データには違いがありますし、薬の効き方も違ったりします。それらの違いを考慮にいれる必要があるのだと言いたいわけですね。


『神聖病について』


 神聖病というのは神の仕業であると思われていた病気のことですね。ヒポクラテスはそんなものは科学的でないとぶった切っていたわけですが(;^_^A


 ヒポクラテスが言うには

「この病気を神聖化した最初の人々は、今と同様に妖術師、祈祷師、托鉢僧、野師等であるが、この者たちはいかにも神を崇め知恵もすぐれているかのように見せかける。けれども実のところは神をかくれみのに使って、処置に窮したのをごまかそうとしているのである。そうして無知の曝露をおそれ、この徴候を神聖と見なしたのである。(第二節)」

 とのこと。


 患者が治れば、彼らの名声は上がり、患者が死んでも神の仕業だから仕方がないという逃げ道を作っておいたわけですね。まぁ、実際は彼らは神の仕業としつつも食事療法を指示したりするわけで、神聖病なんて信じていないんだろということなんですね。しかも、病気を神様のせいにするなんて不届き千万です。


 そこで、ヒポクラテスが神聖病という存在に対し反論していくのです。

 神の仕業なら万人に等しく起こるはず。しかし、実際には遺伝的素因などもあり、家系ごとに起こりやすい病気が違うと。

 

 そして、病気がどのようなメカニズムで起こるのかを詳細に説明しております。(専門的な話なのでここでは割愛します。)


 気候や太陽、風の影響で病気が起こると考えれば神の仕業と言っても過言ではないが、これらは論理的に考えれば対処法は分かるわけであって、祓い清めや妖術では病気は治らないというわけですね。


 デフレ不況の原因を神(=金)の仕業と思い込み(いや、本当は思っていない?)、「リフレ」というまじないで不況を克服しようとしている祈祷師みたいなのが現代にもおりますが、論理的に考えれば対処法は分かるはずなのに、思考停止に陥っている彼らは無知の曝露をおそれて、今日もごまかし続けるのでしょうね。おっと、余談でした。


『古い医術について』


 「これまで医術について論じたり書いたりを試みてきた人々は、その所論のために自分勝手な仮定を立てている。(第一節)」


 冒頭から過激なヒポクラテスさんですね。ヒポクラテス曰く医術には空虚な仮定は必要ないということ。(現代医学でも空虚な仮定のうえで書かれる論文の方が多いですがね。) 


 病気やその対処法なんてものは歴史の経験の積み重ねで得られるものであり、実際に素人の人たちに関わる事柄なので、素人にも分かるように説明されなければなりません。というわけで、最初から仮定など必要ないというのがヒポクラテスの持論ですね。経済についても同様のことが言えそうです。(経済学を振りかざしておいて素人の理解が得られないのであれば、経済学の方が間違っているというわけですね。)


 医術は生活の知恵とも言えるのではないでしょうか。どのような食生活が健康に良いのかということが探求され、医学が発展していったのでしょう。食事の量を減らしてみたり、粥にしてみたり、また病状によっては食べてはいけない食物があったりなどなど。

 病人には病人食が必要であり、健康な人が食べるような食事はきつかったりするものです。何事も適切な選択が必要というわけですね。(何が何でも金刷ればオッケー、規制緩和すればオッケー、TPPでオッケーなんてやると痛い目を見るというわけですね。)


 どれくらいの量のきつくない食事がよいのかは体感によりますが、この体感を得るための努力は必要です。また、食習慣も人それぞれで一日一回食があっている人はそれでもいいし、二回食があっている人はそれでもいいと。しかし、一回食が合っているのに無理に二回とったり、二回食が合っているのに無理に一回にするのは体に悪いと。現代では三回食+間食が主流ですが、三回食が合わない人は無理に三食取ることはないのかもしれませんね。逆に三食取る習慣の人が一日一食ダイエットに挑戦するのにも無理があるかもですね。


 ヒポクラテスは経験と事実に基づいた実際的な手段で人々の治療にあたるのですが、仮説にもとづいて学説を立てる人々は、患者に(寒という病態に対し)熱を添加せよと指示しても、患者から「熱とは何ですか?」と聞かれて、答えに困窮するハメになってしまいます。(つくづくリフレ派みたいな連中ですね(;^_^A そう言えば彼らになぜ金融緩和に効果があるのか聞いても誰も教えてくれませんでしたね。)


 ちなみに熱と寒については容易に反転しやすいとのこと。寒い季節に冷たい水につかれば後に体の内側から温まってきたり、悪寒を感じたら高熱が出たりと。熱が出たときに安易に熱さましを使うとかえって悪くなったりするような感じですかね。


 ヒポクラテスは熱が出たら寒を、寒が出たら熱をという考えではなく熱と寒の混和が安定した状態を産むという考えでした。(乾と湿というものについても同様。)

 そして、ヒポクラテスはこう言います。

「医術とは、人間とは何であるか、どんな原因によって生じるのか、その他のことをくわしく知ることである。(第二十節)」

 重要なのは人間と食べ物の関係、人間と習慣の関係、人間と自然との関係というわけですね。たとえば、ある人にぶどう酒が害であるとして、それはぶどう酒自身の問題ではなく、その人とぶどう酒の関係の問題であるというわけです。


 何がどのように作用してどのようになるのか、それを詳しく観察し、知っていくと言うのが医術の本質と言えそうです。すくなくとも空虚な仮定を設定し、これをこうすれば万人に通用するなんてのは間違っていそうですね。


『技術について』


 よい技術の発見は人類にとって役に立ちますが、なかには他人を誹謗するための技術を磨く連中もいるとのこと。というわけで、本作では医学技術に対し卑劣な攻撃をしかけてくる連中への反論が書かれておりました。


 技術には名称がありすべて実体があります。医術に関して言えばヒポクラテスはこう述べています。

「医術とはおよそ病人から病患を除去し、病患からその苦痛を減じることである、そして病患に征服されてしまった人に治療を施すことは、医術のおよばぬことを知って、これを企てることを断ることである。(第三節)」


 医術によって治癒することができた人がいくらかいるのは皆が同意することだが、全部を治癒するわけではないという点で医術は批判にさらされます。治ったのも医術のおかげではないんではないか?と。

 しかし、治った人にとっては運命に身をゆだねることはできなかったが、医術には身をゆだねることができたという点だけでも医術には意味がありそうです。


 続いて、論敵は「医術を受けなくても治った人はいる。」と反論してきます。しかし、それは医者にかからなかっただけで医術を施さなかったことの証明にはなりません。たとえば、病気になった人が病気に合った食生活をしたりして快方に向かったとしたら、これは医術を使ってるのと同義ですからね。適切な養生法も医術のうちなんですね。風邪ひいても布団で寝てたら勝手に治ったと言っても、布団で寝るというのも医術の範疇ですからね。


 「健康とは運命によって決まる。医術など関係ない。」と言ってきた人もいるようです。あとは「死」を理由に医術を否定する人もいたとか。ムチャクチャだなオイ。そりゃ不幸にして死亡してしまうケースもあるでしょうが、だからといって医術そのものを否定するってのは言い過ぎではないでしょうか。患者は自分のことしか分からないし、この後どうなるかも予測が不可能ですが、医者はたくさんの人たちを見てきた経験がある分、指示を誤るケースはいくらか少なくなります。反面、患者が医者の指示に従わないケースはそれにくらべはるかに高いわけで、人の死の理由をすべて医術に押し付けるのはどうなのかと。


 しまいには治せない病気があるという理由で医術を否定するものも・・・。治せないものを無理やり治そうとする行為こそ医の道を踏み外す行為だとヒポクラテスは主張。それに医術はその能力のある者たちの手によって発見され、体の仕組みなども解明されていきました。そして、医術の発見は実際に人々の健康の役に立っているのです。


 患者の状態を詳しく観察し、その徴候から情報を知ることによって、適切な治療を行っていくというのが医術であるというわけですね。



 以上、前半の4本を簡単に紹介しました。これらが約2500年前に書かれていたわけですが、現代でも通用するような考え方が結構ありそうです。

 というわけで、残りの5本は次回に。


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