『21世紀の貨幣論』・その4 | くらえもんの気ままに独り言

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 さぁ、いよいよフェリックス・マーティン氏の『21世紀の貨幣論』のまとめも今回で最終回となります。この本は訳がよいのかもしれませんが、すごく読みやすかったです。当ブログではエッセンスだけをまとめていますが、お時間のあられる方は是非本書をお読みになられることをお勧めいたします。


前回までの話はコチラ

『21世紀の貨幣論』

その1http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11967558085.html

その2http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11967558291.html
その3http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11967558477.html


 前回までの話のまとめ

・マネーとは「モノ」ではなく「信用」

・マネーに必要な要素は「抽象的価値単位(共通の価値観)」「会計システム」「譲渡性」

・主権者によるマネーの支配は統治の手段

・銀行の誕生がマネー権力者に力を与えた

・しかし、民間マネーには債務不履行リスクあり、低信用

・そこで、主権者と銀行が互いに手を結ぶことに

・そこにロックが現れマネーとは「貴金属」であることになった

・そしてマネーは神となった

・でも金融危機は起こるわ伝統的社会は破壊されるわで、ふんだりけったり

・マネーの暴走を止めるための戦略もあるにはある

・が、主流派経済学はガン無視


第13章 正統と異端の貨幣観

 まさにロックの呪い!!


 古典派(主流派)の連中にとっては貨幣とは「モノ」以外の何物でもありませんからね。


 まともなバジョット(前回参照)と呪われた古典派の違いは「危機時にいくらでも貨幣供給可」ということと「貴金属がないなら供給不可」というところがあります。


 そして、セイの法則で有名なジャン=バティスト・セイ「貨幣はモノだから他の商品と同じように(政府が介入さえしなければ)需要と供給が均衡する。市場に任せれば生産された財はすべて消費される。つまり、供給が需要を生み出すのだ。」というような妄言を吐き、これが古典派経済学の根幹となったわけです。ちなみに現在の日本の安倍政権の経済政策もこの考えを前提にしてなされております。


 つまり、需要不足で景気後退が起こるということはあり得ないというわけです。価格が下がって必ず全部売れるからってことらしいです。


 そんな、馬鹿な・・・(  ゚ ▽ ゚ ;)


 売り手は原価割れするような値段設定で生産することはないですし、買い手にとってもタダでも欲しくないものはあるわけですが・・・そんな常識の通じないのが主流派経済学!!


 そんな主流派経済学の景気後退時の対策がこれ


 政府は何もするな


 不況時に増税とか構造改革とかする政府が現にいる以上はある意味正しいかも(苦笑)(;^_^A


 そして、古典派の大家であるジョン・スチュアート・ミル「貨幣は「モノ」であり、「交換の手段」に過ぎないから重要でない。」的なことを言ってのけます。というわけで、古典派はマネーについて考えなくなります。


 かくも狂った発言を連発する古典派に対して批判を続けたバジョット。そして、20世紀に入ってジョン・メイナード・ケインズがさらに古典派批判を進めます。ケインズは金融政策だけでなく財政政策の重要性も唱えます。つまり「民間セクターが支出しないなら、政府が支出しなければならない。」というわけです。


 危機にまったく対応できない主流派ですが、(アホみたいな前提条件のもとでは)〇〇が成り立つ!みたいな論文を連発し、その地位をガンガン固めていきます。


 まともな批判がなされてもチョロチョロっと数式をいじって「ほら、おれたちが正しい」ってのを現代まで延々とやってきているわけですね。そして、ついには「新ケインズ派(ニューケインジアン)」と名乗り始めるという暴挙に出ます。


(参考) ニューケインジアンという似非ケインジアン

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11868858487.html


 新古典派経済学者がマネーを考慮しない一方、金融論者たちは金融のみを考慮してすべてを数式化できると主張。もちろんこちらも現実から乖離しているわけですが・・・。


 しまいには「俺たちの理論が間違っているのではない。現実が間違っているんだ。そうだ、規制が問題なんだ。規制緩和だ。」と言い始める始末。


 さて、ニューケインジアンと名乗り始めて金融政策も考慮可とした主流派経済学ですが、そこに許されていた金融政策はインフレ率をマイルドな状態に安定させることでした。しかし、マネーを安定させようとした結果、投資家がリスクを取りやすくなり資産市場の膨張を引き起こし、危機を招いてしまったのです。


 なぜ、こんなことになったのか・・・ロックの呪いにかかった主流派経済学者は分かりません。


 まったくもってアホらし過ぎる話なんですが、実際に世界に大迷惑をかけているわけで・・・笑えない(-"-;A


第14章 バッタを蜂に変える―クレジット市場の肥大化

 21世紀に入り、金融イノベーションとやらが危機を巻き起こしまくり、リーマンショックもあり、銀行業・金融業に対する批判が噴出しているようです。さて、そんな中でマネーシステムを見直す動きがあるようです。


 中央銀行が一般の銀行へ現金を供給することによって流動性不足によるマネーシステムの崩壊は防ぐことができるのですが、イギリスのノーザン・ロックのように融資が焦げ付いてしまい自己資本を失ってしまうような銀行は国有化せざるを得なくなってきました。


 それで、銀行が取り付け騒ぎを起こしても最終的には国が助けてくれると思った投資家たち。しかし、アメリカ政府はリーマン・ブラザーズを救済しなかったというわけで、金融市場は大パニックになったというわけです。


 銀行と投資家たちは国が銀行を支えるはずと思って、どんどん高リスク融資に走り、大きすぎて潰せなくなるほどその規模を拡大させていってたのですが、結果として大クラッシュを起こしてしまったわけですね。ショック後の1年で各国政府が銀行に対して行った支援は世界のGDPの4割を超える額だったとのこと。


 それでも、銀行と投資家は損せずに、一般の国民が尻拭いをしなければならないというのは仕方ないとはいえおかしな話です。


 つまり、危機が生じたときには一般の国民から集めた税金で1%とも呼ばれる富裕層(投資家)に補填するというわけです。格差がさらに格差を生むシステムになっちゃってますねぇ。あるいは金融の国際化のせいで、国民から集められた税金が海外の投資家に支払われるということにもなっています。


 こりゃ、不公平だ\(*`∧´)/


 国と銀行が手を結んだはずだったのに、銀行が国から一方的に搾取するシステムにいつの間にかなっていたようです。


 さらに、金融ビジネスは銀行界よりもクレジット市場で発達・肥大化していました(規模はアメリカだけで25兆ドル)。証券会社はどうやってマネーを発行していたのでしょうか?どうやって安定と自由を担保したのでしょうか?


 答えは仕組みのすべてを複雑きわまりなくすることで、誰も理解できない・理解しようとしないようにすることでした。


 これが肥大化して危なくなったと気付いた時にはもう手遅れ。リーマンショックを経て、国と中央銀行がこれを支援せざるを得なくなったというわけです。


 本来はこうなる前に手を打っておかなければならなかったのですが・・・。


第15章 大胆な安全策

 国際的な金融規制を協議するバーゼル委員会はこのマネーの暴走をどうにか新たな規制を設けてコントロールしようと試みます。


 しかし、リスクの高い活動に課税しようとしても、規模が大きすぎて抑制しきれない、システムがネットワーク化されているためシステミック・リスクに対する課税も必要だが、そんな権限は誰も持たないという問題があります。


 しかも、金融屋はたとえ新たな規制を設けても網の目を簡単にくぐり抜けてしまいます


 そのうえ、金融機関の貸し渋りはデフレを悪化させます


 こうも問題を肥大化させた原因は銀行のシステムそのものにあるのですが、それをもたらしたのは金融の規制緩和だったわけです。


 さて、各国当局は金融を安定化させたいと考えるのですが、主流派経済学にはそのためのノウハウが皆無です。


 そこで、ようやく異端の意見が表舞台に顔を出しつつあるわけです。倫理観の構築、あるいはソビエト式のマネー封じ込めやスパルタ式のマネー廃止論など色んな方法が提唱されていますが、その根底にあるのは「マネーはモノではなく社会的技術である」という認識です。


 マネーに重要なのは安定と自由ですが、バンクマネーを始めとした民間発行のマネーはやはり信用の問題があります。


 となるとどうするか。銀行や投資家が一方的に儲けて国民が尻拭いをするのは不公平という話でした。


 というわけで、ここで挙げられた3つの原則はこれです。


1.リスクは適切に公平に分配されるべし

2.金融政策をとる余地は最大限確保すべし

3.規制は適度にすべし


 これらの原則を満たすシステムとして「ナローバンキング構想」が提唱されています。つまり、預金業務を行う銀行資本市場業務を行う銀行を分けて、国は預金業務を行う銀行のみを支援するということにするというわけです。これで投資家たちは自分でリスクを負うことになりますし、資本市場業務を行う方の銀行がクラッシュしたときに国が支援しなくてもマネーの信用は落ちずに済みます。


 現実的な落としどころはこういうところなんでしょうかね。ただ、クラッシュは防げませんが・・・。


第16章 マネーと正面から向き合う

 さて、なぜ経済学者たちは間違え続けてきたのでしょうか?なぜ、ジョン・ロックがデタラメな貨幣観をぶち上げたときに誰も否定できなかったのでしょうか?


 理由の一つはロックの絶大なる権威。そして、もう一つの最大の理由が集団妄想だという。特に自然主義的な推論は誰も否定できずに信じ込んでしまうという習性が人間にはあるようです。


 おかげで間違った貨幣観は失敗し続けの歴史を歩み続けたってわけですね。


 そして、従来の貨幣観ではなく、正しい貨幣観に基くマーティン氏の提唱する3つの基本政策は以下の通りになります。


1.貨幣の標準を適切に管理する(中央銀行のやるべきことはインフレターゲットではない。公平で豊かな社会を築くことだ。)

2.中央銀行は政府(民主政治)による統治が必要(その権限により柔軟な政策がとれるようになる。)

3.規制対象にする領域は最小限に絞り込む(ナローバンキング制でマネーの暴走をコントロールする。)


 もちろん小手先の政策変更ではなく、根本の思想から間違いを正す必要があるわけですが・・・。


 そして、マネーとは社会的技術であるがゆえに、それを管理する主体というのは国や中央銀行に限らず、あなた自身であるというところで本書は締めくくられました。


 誤解のないように言うと、ここで書かれているインフレターゲット論はインフレ抑制策のことです。マーティン氏はお金をもっと刷ってインフレ率を高めろという主張をしたいわけですね。


 ただし、残念ながら中央銀行がいくらお金を刷っても現在の日本ではインフレ率って上がらないんですよねぇ・・・。そう、マーティン氏自身が指摘している通り国(中央銀行)の金融政策だけではマネーを管理することはできないわけです。


 さらに、政府自身は自国通貨建ての債務であれば積み増し続ける事が可能なことにも触れておくべきだったでしょうね。


 マネーがテーマだったため金融の話の比重が大きかったというのもあり、個人的には若干不満は残りましたが、マネーの歴史を知ることができて大変面白かったです(^-^)/。


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