目黒小川軒 「レイズン・ウィッチ」 | 辛口Kazzy Sugaの不動産投資とこだわりの世界

辛口Kazzy Sugaの不動産投資とこだわりの世界

2ちゃんねるの「バリューブロガー不動産投資」でクソ大家から誹謗中傷され最高裁まで争った結果を公表しています。過去ログに名前と住所も載ってますので、特に福岡在住のMは、賃貸フェアで見かけたら指さして笑ってやって下さい♪

私が20代の始め頃に、虎ノ門で珈琲焙煎の会社でサラリーマンをしていた。
珈琲を焙煎して喫茶店やレストランに配達して、卸していたのだった。
その配達先に新橋の駅ビルの1階に、洋菓子を販売してる「小川軒」があった。
ある日配達を終え帰る頃に、店長から「社長にこれ渡して置いて」と言われ箱を会社に持ち帰った。



不動産投資 ブログランキングへ

社長に手渡すと箱を開けて、昼の休憩時間に出されたのが「レイズン・ウィッチ」だった。
私は余り甘いお菓子が好んで食べる方では無かったが、サクッと程良い歯応えとバターと天然バニラの豊かな香りと、サクサクとした食感が特徴のクッキーだった。
特に洋酒漬けされた肉厚のレーズンと、生クリームに近い特製クリームが素晴らしく美味しかった。

辛口Kazzy Sugaの不動産投資とこだわりの世界

地方都市の洋菓子店でも「レイズン・ウィッチ」に似た物が多く存在するでしょう。
それは、小川軒で修業した方達が、独自で作りだしたモノであり元祖「レイズン・ウィッチ」は、ここ創業100年以上の歴史のある小川軒だけなのである!
しかし、この小川軒の「レイズン・ウィッチ」は代官山、目黒(新橋)、御茶ノ水、鎌倉の4種類もあるのをご存知の人は少ないようだ。

なぜ、四種類もの小川軒のレーズンウィッチがあるのかを知るには小川軒の歴史を知る必要がある。

辛口Kazzy Sugaの不動産投資とこだわりの世界

初代、小川鉄五郎が洋風レストラン「小川軒」を汐留に明治38年(1905)鉄五郎28オのときに開店する。
開業2年後明治40年(1907)汐留から新橋に移転する。
昭和に入り、2女7男の次男の順(明治41年生・1908)が、大正12年海城中学5年生だった長男晴治の突然の死により、早稲田中学在学で建築家志望を断念して家業を継ぐ事になる。

戦争に入ると約10年間戦地との行来になり、その間留守の店を守ったのは妻の美枝子と鉄五郎、順の姉であった。
戦後、戦地から戻った順は店の再建を始める、それを、妻の美枝子、末弟の斌が助けた。
東京オリンピックの時、新橋から渋谷代官山に移った。

辛口Kazzy Sugaの不動産投資とこだわりの世界

将来のレストラン業を見据えて早くから物販業である"洋菓子"に力をいれ、フランスの郷土菓子からヒントをえた"レーズンウイッチ"はサンドウィッチから名前の転用であり、順の機知にとんだ才能を物語る名品となった。(しかしこれも、発案してから製品となるまで15年以上時がかかった。)

代官山に移って8年後昭和48年、順(65オ)は持病の心臓がもとで急死した。
小川順亡きあと息子3人が、長男・忠貞は代官山小川軒(レストラン)、次男・摩樹夫は目黒小川軒(洋菓子)、三男・洋は御茶ノ水 小川軒(レストラン)で各人の個性を活かし、順の遺志を継いで現在に至っている。
(御茶ノ水小川軒HP「小川軒の101年の歴史」より抜粋)

辛口Kazzy Sugaの不動産投資とこだわりの世界

要約すると、長男が「代官山小川軒」(レストラン)、次男は「目黒・新橋小川軒」(洋菓子)、三男「御茶ノ水小川軒」(レストラン)、親戚は「鎌倉小川軒」(洋菓子)という事になる。
系図的な直系でいうと代官山が本家ということになります。
面白いのは新橋と目黒店は同じで、鎌倉は親戚だったんですね。

この小川軒の「レイズン・ウィッチ」を食して30年以上経過した訳だが、今でもたまに購入する。
現在の洋菓子と比べると、シンプルで素朴な味になってしまった。
珈琲とよく合う「レイズン・ウィッチ」は、私の唯一食べてみたい甘い物リストの1番である。

☆目黒小川軒
住所:東京都目黒区目黒本町2-6-14
電話:03-3716-7161
営業:月~金:AM9:30~PM6:00(土曜日はPM5:00まで)
定休:日曜日・祝日
http://www.ogawaken.co.jp/raisin/raisin.html
総合評価★★★★★(★5つが最高です)



不動産投資 ブログランキングへ