第3回城人オフ会(H24.4.22)のラストレポいきまーす
先回は太鼓櫓まで来ましたので、今回はいよいよ本丸です(先回はコチラ
)
あまり使われない“合坂”発見!(σ・∀・)σ
合坂=向かい合った階段。昇降時に中央に兵が集中してしまうため実用例は少ない。
表鉄門があった記憶がないけど(二の丸にあるのかな?)裏鉄門跡~!
枡形が美しすぐる
天守曲輪の石垣と備中櫓
誰が石垣の普請担当かわかりませんが、結構すごいよ、この反り!
石垣の上の土塀は太鼓壁(復元)です!
太鼓壁が現存しているのは金沢城の石川門だけだそうです。
太鼓壁=二重壁。二枚の土塀の間に瓦礫を入れた防弾壁。
こりゃあ、金沢城行かなければっ!
って、内部構造は見れないか(^^;
【七番門説明版 要約】
・腰曲輪を経由して二ノ丸へ通じている。
・二ノ丸と腰曲輪の石垣は約3mの落差があり、容易には降りれない構造
・二ノ丸から天守への最短ルートで往時は橋子(はしご)が取り付けられており、
非常時には階段を外して敵の侵入を防いでいたと推測される。
思いっきり整備されてるから、鉄門より萌え度は下がるけど、枡形萌え~
時間の都合で二ノ丸は完全カットしたから腰曲輪の話は状況がつかめてないけどね
天守台 同(外側から)
説明版の写真(右上 復元CG 下段 復元天守
【天守台説明版 要約】
・津山城天守は地上5階建ての層塔型で、最上階以外に破風を持たない質素な造りだった
・高さは22m(石垣を除く)で一般的な5層天守としては最大規模
・城内の建物は明治7~8年(1874~1845)にかけて取り壊され、石垣を残すのみとなった。
・昭和11年(1936年)に開催された「産業振興大博覧会」の呼び物として、
本来の2/3のトタン葺天守建てられ「張りぼて」の愛称で親しまれましたが
空襲の目標になるという理由から昭和20年8月に取り壊された。
ちょっww色々突っ込みどころがあるんですが
往時の天守は破風がなくて層塔型の5層天守ってことは、ちょうど島原城と同じだね
それはいいとして、天守が破壊されちゃったのも仕方ないとして、
なにその“張りぼて”の愛称って
愛称じゃないでしょ、それw
バカにされてる。っていうか、批判されてたんだよ、それ!
しかも本物の古写真あるのに、思いっきり無視してバリバリ破風造っちゃってるしーー!
でもわずか9年で壊されてるしぃー!
ハリボテなんだから建造期間も費用もたいしたことないかもしれないけど、どうなのそれ。
津山城天守復元計画って“張りぼて”を復元するんじゃないよね?(笑)
張りぼて天守で締めたら、森忠政さんも不本意でしょうから鶴丸のエピソードを
この写真のマーク、どこかで見たことありませんか~?
(一時使用されてなかったようですが、近年復活した)JALのマークですね。
先に言っておきますと、JALと森氏にはなんの関係もありません。
最初ロゴマークのデザインをフランス人のデザイナーに依頼したそうです。
ところが「日本には家紋という素晴らしいデザインがあるのに、
どうして外国人である私に依頼したのですか?」と言われたそうです。
そのデザイナーが最も「美しい!」と賞賛したのが鶴丸だったそうな
日本の家紋が海外のデザイナーに褒められたなんて、嬉しいですね
これにて岡山レポは終了ですが、岡山はリベンジする気満々です