備中松山城レポいきまーす!
(前回はコチラ
)
ウィキペディア先生によると備中松山城は
池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主が転々と変わってるようです。
(ほとんどの城がそうですが)
翻ってる九曜巴の家紋は最後の城主 板倉氏のものですが、
天守をあげたのは池田氏(1600年代)で、
現在みられる姿に改築したのは水谷氏(1680年代)とのことです。
nikkoさんのブログ(funny 一時 serious のち interesting )によると、
備中松山城の下見板の張り方が特殊だそうで、
しかもバッチリ天守内で解説してあったようです。
困ったことに天守内の説明版ひとつも撮ってきてないの
容易に攻められない城なのに、なにやってたんだろーね、私・・・。
でもね、ちゃんと変わったとこも押さえてきましたよ。
じゃーん!
破風は白だけど、懸魚が黒にしてあります{オシャレですな!
幟の家紋は九曜巴だったけど、鬼瓦の家紋は三つ巴でした。
これは天守をあげた水谷氏の家紋です。
【囲炉裡(いろり)の説明 要約】
・篭城時の城主の食事、暖房用に用いられた
・天守閣の中に切り込みの囲炉裡があるのは全国でも珍しい。
・これは戦国時代、この城の激しい争奪戦が幾度も繰り返された経験から生まれたもの
“城の争奪戦”と“天守内に囲炉裏がある”ことの関係性が見えてきませんが、
ともかくそーゆーことらしいです。
その他の天守内の写真はボケボケなので割愛します(ぅω`。)
天守の裏には二重櫓がありますが、残念ながら入ることはできません。
それより残念なことは、落書き(正しくは落彫)があったことです
思い出は心に刻んでください・・・。
搦手のほうには行きませんでしたが、そちらに行けば別角度から見ることができるかもしれません。
備中松山城の狭間でみんなで座談会したお話はコチラ
で、みんなで狭間を見学してたら、こうなりました(笑) 詳細はコチラ→ 城人 off会のblog
もっと回数掛かるかと思ったけど、あっさり終わってしまいました