のっけからカメさんペースの攻城レポです
そういえば、彦根城であったカメさんは無事に川へ帰れたかな?
また井戸にハマってなきゃいいけど(^^;
助けてあげたメンバーの一人だけど、オイラは竜宮城に招待しなくていーよー。
まだまだ行きたい城たくさんあるから、おばあちゃんにされたら困るもん
(前回はコチラ )
【大納戸櫓台の石垣 説明版要約】
・関ヶ原合戦後に小早川秀秋が築き、池田利隆が改修したと見られる
・加工をあまり施さない自然石を用いているが、上部ほど傾斜が強くなっている
・大納戸櫓は南北長20mの三階建ての櫓だった
見て目に付くのは、赤い(オレンジ)になっていることなんですが、説明ないですね
焼けた跡かと思いましたが、それにしては局所的だし、剥離跡もないように思います。
・・・もしかして積み直し?傷んだ部分を違うとこの石垣で補ったとか。
でも、赤み加減がまた違うんですよねー。
では廊下門を潜って、いよいよ本丸に攻め入ります。
あら?五七の桐の紋ですよ?
このあたりの瓦は復元だと思いますが、なぜ桐の紋なのでしょう?
池田氏は蝶紋ですし、主君の家紋にしても徳川氏だから葵紋でしょうに。
「ここのもおかしいですね(・ω´・ ){むぅ」とぼやいたら
「え?」と皆さん、釘付け。
私がぼやくまで気付かなかったようです。
いろんな城のレポで書いてますが、狭間が逆のとこが結構多いのです。
(中には寸胴というヒドイのもありましたがね)
本来は、鉄砲の角度を変えるために、城内側が広くなっていなるものですが、
ご覧のとおり、城外側が広くなってます(ちょっと写真が悪いですが)
「え?あってんじゃないの、あれで」との声もありましたが、
ゆうりさんのメモリーに『姫路城の土塀』が
「姫路城がそうなら、あれが間違っている」ということで落ち着きました(笑)
(ところが、この問題は翌日の備中松山城の現存の土塀で困惑することになります)
月見櫓(現存) 同(腰曲輪?から見上げる)
この月見櫓「見た目は望楼型、中身は層塔型」の櫓だそうです。
名前のとおりお月見もしたそうですよ。
もちろん櫓なので地階は貯蔵施設です。
石碑に「國寳(国宝) 岡山城月見櫓」と書いてありました。
高知城のように新制度で国宝から重要文化財扱いになってしまったのでしょうか?
・・・それにしては、石碑が真新しくない?
表書院の下には宇喜多氏時代の石垣が埋まっていて、一部が展示されてます。
地中に埋もれていた石垣
【地中に埋もれていた石垣 説明版 要約】
・今から400年余年前、宇喜多秀家が岡山城を築いたときの石垣
・江戸時代の初めに城を城を改造するときに埋め込まれた
・本来の裾は床下に埋もれている
・石垣の辺と辺が成す角度は70度と尖っていて全国的に珍しいもの
なんで尖ってるかについては説明版をクリックしたってください
(語彙力がなくて要約しきれなかった・・・)
表書院の門に“平重門”っていうのがあって、
「“たいらの しげかど”?大河で出てきそうだね(笑)」なんて話してたんだけど、
ググってみましたが、そんな人いませんでしたー{つまらんのぅ~
ではでは今回はこの辺で~
次回 岡山城③はコチラ