岡山城①~内下馬門・中の段~『第3回 城人オフ会 in岡山』 | kai遊録

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日本国内の城郭を回遊してます


もう、いい・・・・不機嫌



もうねー、メンドくさいの領域超えてますわ、ピグライフ庭に行く


城目指して造ってたピグアイランドも、もう早々と作業ゲームになってきたし。


2.5時間ごとにPCチェックするのが億劫です。


(最盛期は4アカウントも駆使させてた人←)




年末ごろから「やめる!今度こそやめる」と言いながら、


なんか続けてきちゃったんですが、今度こそやめる~(たぶん)




いままでお水くださった皆さんありがとうございましたaya


ライフのお庭、絶賛“蜂の巣ガーデン”ハチになってるんで、立入禁止ですよ~(笑)





今回からはH24.4.21(土)~22(日)の『城人(しろうと)』オフ会レポ行きまーす!kai遊録




『第三回 城人オフ会 in岡山』




ってことでやってきました、岡山県桃桃太郎



私、初の中国(地方)上陸であります!


ちゃんと集合場所の目印の桃太郎の銅像撮ったのに、写真が行方不明・・・。




幸村!さんと、さらさんとは、高速バスで一緒だったんだけど、


鉄駕籠で酔ってしまった私たちを尻目に、さらさん「じゃ、城行ってきまーす!パー」と


軽い足取りで、庭瀬城撫川城へ行かれました。



行動力もすごいけど、車酔いしない体質がうれやましい・・・ちーん{気持ちわるいー


乗り物酔いって空きっ腹だとなりやすいから、何か食べれば良かったんだと思います。


いつも目が覚めてから到着までの数十分で襲ってくるので・・・。



でも、さらさんは車内で本読んでても全く酔わないそうで、


移動中の車内で城本うぃ開いてメモしたり、攻城計画を立てていらっしゃいました。





城郭体系の縄張図コピーしたのに忘れる大失態やらかしたけど、


am(あむ)さんが“しおり”を用意してくださっていました喜ぶ{ありがとうございまーす!




最初にやってきたのは岡山城





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内下馬門の石垣




岡山城は最初、宇喜多直家さんが“石山城”築き、


その後、息子の秀家さんが隣に新しい曲輪作って、主郭の場所を変えたそうです。



後北条氏の小田原城と同じですね!そうだ!





隣接の“後楽園”は日本有数の庭園ですけど、時間の関係で今回はスルー顔



(後楽園と聞くと遊園地を思い出すのは私だけ?)



kai遊録 内下馬門跡の石垣



内枡形虎口になってるんだけど、全体を撮れませんでした泣く


下馬ってことは往時は水堀の外に馬屋があったのかな?



【説明版 要約】


・このあたりは本丸の正門で、城の威厳や大名の権力を誇示するために巨石が使用されている


・最大の石は高さ4.1m×幅3.4mの板石で厚みはない


関が原の合戦後の池田氏時代のものの可能性が高い




池田氏って、姫路城の池田輝政さんの一族です。


もともとは5歳の次男君に与えられますが、病死しちゃって結局は長男の家系が継承していってます。


(長男は側室の子のようです)




せっかくなのでもういっちょ!ホイ



最初に築城した宇喜多氏と今の池田氏の間に、小早川秀秋さんが入城してます。


(関ヶ原の戦いで家康さんに鉄砲ぶっ放されて、西軍を裏切った人



ところが、わずか2年で急死。子供がいなかったので断絶しちゃいました。


(兄弟親戚はいなかったんかいな?aya




死因は関ヶ原で戦死した大谷吉継さんとか石田三成さんの呪いだとか言われてますね。



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kai遊録 中の段の石垣



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算木積み&打込接                 野面積



【中の段南西の石垣 説明板要約】


・関ヶ原合戦後に小早川秀秋が築き、続く池田忠継が改修した石垣


・左隅は1620年代に池田忠雄が築いた割石積みの石垣が被さっている


・あまり加工を施さない石材をゆるい角度で積み、高さは11m


・H11~H13年にかけて解体修理を行った。





“割石積み”っていうのは打込接のことみたいですねなるほど




岡山城の石は瀬戸内海の“犬島”産の花崗岩(みかげ石)で、



大坂城の巨石No.1“蛸石”も“犬島”産なんですよ。




お墓も花崗岩なんだって~。


あー、だから転用石でお墓が使われてるんかひらめき{ぽん!





全然進んでいませんが、今回はここまでバイバイ




次回 岡山城②はコチラ