(TV放送前は20名くらい)
城ガール隊に入隊するためにツイッターを始めた方も何人かいらっしゃるようです。
かくいう私もそういう理由ではじめたんですけどね
では、小谷攻めレポ行きまーす!
(前回 大堀切はコチラ
)
まだここです
“大嶽城”や“福寿丸”まで行こうと思ったら、朝一で登らなきゃ時間足りませんねー。
ちなみにこの日は10時20分ころから上り始め、
中丸を見学し終えてお昼休憩をしたのが13時45分ごろです
さて、その“中丸”
【中丸の説明版要約】
木の説明版
「大堀切跡の北にある曲輪で三段からなる」
「石垣は見られるが土塁は設けられていない」
「虎口を左右に振り分けて攻めにくくしている」
想像図付の説明版
「南北3段から成り、最上段に刀洗池がある」
「この曲輪も基本的には石垣で固められていたと見られる」
「虎口を中央に設置しているのは、中丸より上部の郭だけで、
ここより下の郭はまっすぐ突き抜けられないよう側面から入る構造」
「3段構造」と「石垣で固められていた」はいいとして、
虎口の文の「ここより」の「より」は「中丸は入らないのね?」
でも想像図を見る分にはさほどジグザグしてないんですけどね・・・。
中丸の案内板(想像図)
現地はどうなのかというと
現地でしっかり説明文読まないと、こういうことになります・・・。
次回、要チェックです
ところで、中丸のすぐ南にはあの大堀切があるわけですが、
にもかかわらず、この曲輪には土塁を設けられていないというのは変わってますね![]()
あれだけの堀切を造ったということは、それだけの土が出るわけで、
その土をで曲輪の淵に土塁を造れば一石二鳥なのに。
(そういう土塁を“掻き揚げ土塁”というそうです)
この先にある京極丸や他の曲輪に持っていったのだとしたら、メンドーなことしますねぇ。
「中丸は土塁造りにして他の曲輪を石垣造りにしたほうが、楽なのにー
」
と浅井家の領民は思ったんじゃないかな?(笑)
あれ?でも石垣を作るにしても、基盤は土なわけだから、
まず土塁を作ってから、さらに強固にするために石垣にしたんかな?![]()
ちょいと短いですが、今回はここまで![]()



