こんばんは。
選択理論マニアの会 代表のnatsukoです。
+++++++++++++++++++++++++
カテゴリー変更のために、
過去記事に加筆・修正してアップしています
+++++++++++++++++++++++++
選択理論で考えると
「憂うつは(その人の)選択である」
と理解出来る、とグラッサー博士は言っています。
↑ここ大事よ
でもこの
「憂うつは選択だー!」
というフレーズだけが独り歩きしてしまうと
選択理論って冷たいよね…
とか、
リアリティセラピーって感情は無視するんだよね…
みたいな印象を与えてしまいます
グラッサー博士が言う
「憂うつは(その人の)選択である」
ということをちゃんと受け止めるためには、
選択理論の 【全行動】についての理解 が必要です。
まず、落ち込んだ気分(感情)のときには、
身体もだるいでしょう(生理反応)
そして、そういうときには
笑うこともままならず(行為)
前向きなことも考えにくい(思考)・・・
こういう状態を、一般的に
「憂うつ」と呼びます。
でも、実は
この車の前には分かれ道があって・・・
Aの道は…
(憂うつなので)
誰にも会わずに、食事もせず(行為)
自分はダメなやつだと否定的なことを考える(思考)
続行ロード。
Bの道は…
(憂うつだけど)
とりあえず誰かに連絡して、一緒にご飯でも食べて(行為)
自分にはいいところだってある、精一杯やったと考える(思考)
回復ロード。
どちらの道に進むかは
自分で選べるようになっています
私たちの行動は、上記の車の絵にあるように
前輪には【行為】と【思考】で成り立っています。
前輪はハンドルに直結していますから
(自分の行きたい)目的地に合わせて
自分の意志でコントロールすることができます。
そして後輪である【感情】と【生理反応】は
その前輪の向かう方へ付いて行きます。
つまり、
【行為】と【思考】の選び方によって、
【感情】と【生理反応】に変化が生じるわけです。
選択理論でいうところの「憂うつは選択」とは
嫌な(憂うつな)気分を感じることを自ら選ぶ、
という意味ではなく
憂うつ状態をし続けること
(続行ロードを突き進むこと!)
なのだと理解できます。