「松山千春 『虹のかなた』に思うこと~松山千春 全作品解説140~」S2699

 

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更新履歴

V1.0:2014.11.04 初稿

V1.1:2017.05.13 フォーマットの修正

V1.2:2022.08.01 歌詞の掲載、記事の追記など

 
■ 「虹のかなた」編曲者:瀬尾一三
1985年7月10日発売のアルバム『明日のために』のLP B面4曲目(CD 9曲目/全10曲)

 

◆レコーディングミュージシャン:後日追記
01. ドラム:
02. ギター(AG):
03. ギター(EG):
04. ベース:
05. キーボード:
06. パーカッション:
07. サックス:

08. ストリングス:
09. プログラミング(打ち込み):

 

◆所有収録アナログ・アルバム

 

◆所有収録ミュージックテープ



◆2022.8.1 夢野旅人

歌い手も、聴き手も年を取ることによって、歌詞の意味合いが変化する歌がある。

 

10代のころに聴いたこの曲に、初めて松山千春の歌から挫折感を感じた。

ニューズレコードの解散に伴う儚い夢の欠片と寂寥感が色濃く、哀しげに響いた。

 

そして、それ以外考えられないし、感じられなかった。

 

歌詞にある「友よ」の友は千春とともに歩んできたスタッフに向けられていたものだとずっと思っていた。

 

しかし、とうに青春から遠く離れてしまった今。この年になって聴く「友よ」は、千春と併走してきた我々、自分たちに向けられ、千春は歌っている。

 

過ぎ去りし過去を歌っているが、残された明日を見据えているようにも聴こえます。

 

今年、2022年春のツアーで本編ラスト前に「虹のかなた」がレギュラーで歌われました。

 

ツアーの後半、この曲を歌った後のMCは、以下のように語り、本編ラストは千春と共に歩いてきた人たちへの感謝の思いを込めた「旅路」が歌われました。


イレギュラーで数公演歌われた「歩き続ける時」や、「帰り道」

などに通じるファンへの感謝と願いを込めたメッセージなんだと自分は感じとりました。

 

---2022.6.24名古屋でのMC(要約)---

M.虹のかなた

 

こうやって歌ってて。お客さんというよりも友。一緒に歩いてきた友だ。そういう思いで歌わさせていただきました。

 

友よ、できるならば数多くの幸せをその手で掴んでもらいたい。厳しい時、苦しい時もたくさんあるだろう。乗り越えて欲しい。

 

俺は5人家族。父、母、姉、俺、弟。父さんは俺が40の時、80で。姉ちゃん、後を追うように48、舌癌。昨年、母さんが99。弟が癌で。5人家族が一人になりました。悲しいのは、おい、あの時よ…聞く相手がいない。俺がガキの時…答えてくれる親がいない。当然みんなの中にも親兄弟は亡くなって一人だという人もいるだろう。

 

道はまだまだこれから長いと思いますが、あなたには松山千春という友がいる。

 

その友は糖尿、心臓の薬は飲むが変な薬はやらない。婦女暴行、そんな元気はない。これまでの俺でいたいし。これからもみんなの良き友として生きていたい。

 

どんなことがあってもお互い頑張って明日明後日来週来年も生きよう。センチュリーホールでまたお会いしましょう。

 

M. 旅路

 

◆2014.11.4 夢野旅人

1970年後半から1980年前半。
ガキだった自分にとって、松山千春は無敵のヒーローだった。


云いたいことをいい、故郷主義を貫いて、理想とするラジオとライブ中心の活動。
たまにテレビに登場すれば、高視聴率で話題となる。
シングルをリリースすれは、ウイークリーチャートのトップ10に、
アルバムは、首位獲得が当たり前で、そんな状況が未来永劫続くのだと思い込んでいた。


そんないくつもの金字塔を打ち立ててきた千春に、
レコードセールスの翳りが見え始めたのが、婚約報道のあった1982年前後。

それまでのオリジナルアルバムの売り上げ枚数(レコードのみの集計)は平均35~40万枚。
首位は獲得できるものの、20万枚を切り始めた。

1984年の『愛を贈る』は、初めて10万枚に到達しなかった。

「なんなんだよ、チクショウ、内容は充実しているのに・・・
結局、女子たちは、みんな千春をアイドルとして見ていただけかい。
歌を、松山千春の一人の男の生き方を支持していたのではないのかよ」と、当時、思ったものです。


週刊誌は、婚約中である千春のスキャンダル記事が載り、
鳴り物入りで始まった松山千春初のテレビレギュラー番組「ハロー!ミッドナイト(HELLO! MIDNIGHT)」。

しかし、深夜帯とはいえ視聴率1%を割り込む状況。

作品や、ライブは充実しているのに、世間的には向かい風の状況だった。

そんななか、僕が初めて「挫折感」というものが、どういうもなのかを知った出来事が起きる。

ニューズレコードの解散、アルファレコードへの移籍である。

他人の人生、
それもたかだか歌手のレコード会社移籍で、「挫折感」を知るというのもおかしな話だが、ショックな出来事だった。


アルファレコードの移籍を知ったのは、1985年5月12日。
埼玉・大宮市民会館で行われる尾崎豊のコンサートの開場前に立ち寄った、レコードショップの広告

そこには、松山千春 NEW ALBUM 『明日のために(仮題)』7月10日発売、NEW SINGLE「虹のかなた(仮題)」、6月28日発売と印刷されていた。

「虹のかなた」。
最終的にシングルは「ナイト・エンジェル」となったが、シングル候補だったということが窺える。


アルバム『明日のために』のA面の収録曲は、ニューズレコードが駄目になることを報せられる前に作っていた歌。
B面が、レコード会社の解散、移籍を意識してから作られた歌だという。

「虹のかなた」は、B面の4曲目である。

レコードに針を落として、この曲が流れたとき思った。

哀愁を帯びたメロディーに、無理なくシンクロしていくイントロを含めたアレンジ。

一聴しただけで琴線にふれた。

そして歌詞である。


~あの頃は 若さと 自信に満ちていた~  
~空高く とどくなら 声かぎり 歌った~ 
~恋も夢も すべてを 思い出にする朝~
~それぞれの 望み持ち それぞれの道へと~
 
~ごらん友よ もどらない 日々は虹のかなたか 
 つかのまの 青春と 笑う~

フレーズのひとつひとつが、せつなく儚い。
それまで感動した、千春の情熱的なライブシーンなどがいくつも蘇ったものです。


今でも、この曲を聴くと、35年以上の数々の思い出が蘇るのです。

そして、いつのまにか

~つかのまの 青春と 笑う~

が、

~つかのまの 人生と 笑う~
と、思うようになった自分に気が付くのです。

 

◆歌詞

友よ今 聴こえてる 腕を組み歌った
あの頃は 若さと 自信に満ちていた
空高く 届くなら 声限り歌った
哀しみも悩みも吹き飛ばすくらいに

ごらん友よ 戻らない
日々は虹のかなたか
つかの間の 青春と 笑う

友よまだ 忘れない 涙ぐみ歌った
恋も夢も すべてを 思い出にする朝
それぞれの 望み持ち
それぞれの 道へと
肩たたき 別れた
ちぎれるほど手を振った

ごらん友よ 戻らない
日々は虹のかなたか
つかの間の 青春と 笑う

友よ今 聴こえてる 腕を組み歌った
あの頃は 若さと 自信に満ちていた

ごらん友よ 戻らない
日々は虹のかなたか
つかの間の 青春と 笑う

 

◆D. 1985-1987 松山千春全作品(解説)に思うこと~松山千春 全作品解説4~ インデックス4 (1985~1987)
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