松田さんのお話 後編です。
2:「たまたま」論 の続き
と、3:「宇宙なんてない」論
ヒモ理論→超ヒモ理論の流れから派生した
「М理論」というのが、今現在の所、美しくこの宇宙の事を数式化している(らしい)。
M理論とは、どういう宇宙論なのかというと
(メンブレム理論とかフランスパンの理論とも言うらしい)
「検証できないけど、10の500乗くらいの数、宇宙はあるのだ」という理論です。
「検証できない」のを嫌がる物理学者も多いので、否定的な学者さんも多いとの事。
今、私たちがいるこの宇宙があり、
検証はできないんだけど、この宇宙の「外側」に、10の500乗の数ぐらい宇宙がある(ハズである)。
その超大量にある宇宙の中には、
生まれてすぐに消滅する宇宙もあるだろうし
知的生命体が全く存在しない宇宙もあるだろう。
でも、10の500乗個ぐらい、こんなにたーーーーーっくさんの宇宙があるなら、
そのうちの3~4個は、確率的に考えて、
こういう(知的生命体が存続する事が可能な)宇宙があるでしょうねぇ…
という理論デス。
で、
「知的生命体がいる宇宙」の中で
「知的生命体が生きてるのはこんなに少ない確率なのに!奇跡だ!」とか言っても、ねぇ?
そもそも、「その宇宙」の中で我々は観測やら検証をしているんだからさ。
「その宇宙の中」では、100%の確率で知的生命体が存在してるわけですよ。
1/1の確率なんです。
5センチの隙間のある網で湖の中をすくって
「なんだ、この湖には、5センチ以下の魚はいないのか」とか言ってるようなもの。
(観測者選択効果と呼びます…。)
んでっ。
3:「宇宙なんてない」論
仏教とかはこれですね。
無、とか、混沌、とか。
量子論も…
全ては宇宙のインフレーションの海の中に浮いた泡のひとつである…という考え。
「それ」について「意識」を始めた時から「存在」し始める。
例えば
紫のライオン…
…紫のライオンって、この世界にいると思いますか?
参加者:「……居ないと思います」
そうだよね。きっとこの世界には存在してないよね。
だけど、今「居ないと思います」って答えた時の「居ない」という状態は……
僕が一分前に「紫のライオン」って呟く前、
「紫のライオン」という概念そのものが、そもそも頭の中にさえ存在しなかった時の
「居ない」という状態と、同じ「居ない」ですか?
多分、ちょっと違うよね。
もうイマジネーションの世界では存在しちゃってる。
「観測者問題」
ニュートン力学は、目で見て観察できる。
モノを投げたら、何秒後にそれがどこにあるか正確に計算する事が出来る世界。
量子論は、ミクロな世界のモノの振る舞い方を理論立てている。
「波動関数」というのがあって、次の瞬間ここにあるかどうかは「確率」でしか表せない、としている。
「シュレディンガーの猫」も…
次にAにいる確率(猫が生きている確率)が50%
Bにいる確率(猫が死んでいる確率)が50%だとしたら
それを「観測」するまでは、AもBも両方が100%の確率で存在している。
でも、「見た瞬間」に、AかBか、どちらかに事態が収束する
(私注:全く実感出来ませんが…)
というのが、「シュレディンガーの猫」に対するコペンハーゲンの解釈。
(エバレットによる「多世界解釈:世界はパラレルワールドだよ的解説」もあります。)
アインシュタインは、この量子論(のシュレディンガーの猫の部分?)に最後まで反対していて、
「神はサイコロを振らない」というコメントを残しています。
(「この世界の法則はもっとシンプルなハズ。
確率でしか物事を言い表せないなんておかしい。
神は、そんなサイコロを振るような事をしないハズだ」とか)
余談
僕の知り合いにちょっと頭が薄くてね、
「僕はハゲない」「僕はハゲない」
って毎朝アファメーションしている男性が居るんだけど
残念ながら、このアファメーションは、典型的に効かないヤツです。
参加者:「むしろハゲそう…笑」
ミクロな世界の法則とマクロな世界の法則に話を戻します。
「観測」の条件って なんですか?
ミクロな世界は、「そのまんま見る」事が出来ない。
だから、マクロな世界に「変換」しないと観測出来ない。
その、ミクロなものが、マクロな世界のアクションに結び付いた時、
結果がもう後戻りできなくなった時を
観測、と呼びます。
(by和葉さんの注釈)