貨幣数量説再び | 秋山のブログ

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新規リンクから高橋洋一氏の書いている一連の記事を読んだ。驚いたのは消費税の問題に関する記事が、私の先日書いたものと全く同じ構成だったこと。通貨危機説や経済白書のインチキをしっかり指摘している。私は、経済白書を見つけて読んで、ついでに以前から知っていた通貨危機説に若干の検討を加えて書いたものだが、両方を読んだ人は私がパクったと思うだろう。

ところで、今日書くのは別の記事についてだ。マネーサプライとインフレに関してたいへん分り易く書いてあって再考のきっかけとなった。

まず最初に白状する。私は池田信夫氏に騙されていた。その記事はこちら
その記事に引用した池田氏の記事では、マネーストック(マネーサプライ)と物価の関係をグラフであらわし、高橋氏をアルツハイマー病扱いさえしている。このグラフを見て、マネーストックと物価には短期では全く相関がないのだと私は思い込んでいた。清水啓典氏も2年のずれを指摘しているが、2年ずらしたマネーストックと物価の関係は短期でもかなり相関があるようだ。(つまり池田氏は、定説である2年後の物価との相関ではなくて、その時点での相関をグラフにしている。一致しなくて当然だ)

さてここで重要なことはどのような機序でこれがおこっているかである。相関が高いから、すなわちマネーストックに変化をおこせるならば物価に変化をおこせる、という訳ではない。(長期に関しては以前書いた通りであまり変更は無い。設備投資も家庭の借金も物価に依存するから、その裏返しであるマネーストックは物価に相関するに決まっている)

検討の道具として、ちょっと高橋氏のグラフを真似してグラフを書いてみた。

これを見ると分るが、短期でもかなり一致している。(ただし近年の相関はかなり低い。2年ずらさずに批判している池田氏は論外としても、マネーストックでインフレをおこせると断言することは難しいだろう。つまりそこには貨幣数量説を通用させない何かがあるということだ)


まず狂乱物価を検討してみよう。
インフレがピークだったのが1973年から1974年。マネーストックの上昇は、その2年前に既におこっていたことになる。第4次中東戦争は1973年10月勃発なので、このマネーストックの上昇とは関係が無い。また、原油の値上がりや輸入量から考えられるコストプッシュインフレであるとしたら、上がりすぎという指摘もある(リンク先の記事の筆者は石油危機を利用した買占めが理由と考えている)。
狂乱物価でのインフレがおこる2年前のマネーストックの上昇は、超高度成長促進のインフレ策で説明がつく。その後の総需要抑制政策は73年12月に始められている。


次にバブルの頃を見てみよう。
同じようにマネーストックの増減と物価は連動している。ただし、狂乱インフレ付近の同じ程度にマネーストックの上昇した地点に比べて物価の上昇は小さい。つまりはマネーストックが物価を規定するわけではなく、影響の大きい要素(直接的であるという証拠は無い)であると言えるだけであろう。


マネーストックが増えるということは、世の中の借入れの総額が増えるということだ。企業が設備投資等で借りるお金が大きい。
このお金は、使われる性質のお金であり、人々を回った後、借りた人や企業の返済という形でなくなる。その量が増えるということは、需要を増やし、景気を上げて、資源や労働力の取り合いになることを通じて物価を上げる作用がある。とはいえここまでその作用が綺麗に働くかどうかに関しては、疑問がある。不景気であっても物価はあがることは普通であるし、景気がよかったバブル期(特筆の失業率の低さは、低すぎる失業率が高いインフレ率に繋がらない証拠になりそうだ)の物価の上昇はそれ程でもない。


ということで、何故こんな結果が出るのか考えてみた。(というか、ここ1週間ずっと考えている)


設備投資は、前年に比べて物価が上昇している分、高くなっているのが普通だろう。つまりマネーストック自体がインフレの影響を受けているということだ(期待という意味も含めて、インフレには慣性があるだろう)。インフレで増えた借金を返すために、商品の価格はそれと同じ率で上げざるを得ない一方、借金返済のために回収されるお金も同率で増えている。生産数や消費数の増減がないのであれば、一致して当然だろう。(以下返済を基準に考える)。しかし問題は、観察されるマネーストックの増減のかなり大きな部分が、設備投資の件数の増加によるものであるということである。もし設備投資件数が2倍になって、マネーストックも2倍になり、同時に2倍生産し消費されれば、物価は同じはずだ。逆に同じ場合でも、需要を取り合って生産の総量を増やせないのであれば、そのまま物価は2倍になるだろう(両方とも破産しないのならば)。つまりはマネーストックと物価の短期での相関の高さは、需要が急激には増えないという機序によるものかもしれない(バブルの頃は需要も一緒に伸びたので物価の上昇にあまり繋がらなかったと思われる)。
これを現在にちょっと当てはめてみる。企業は設備投資で借金をする代わりに、内部留保を使って設備投資をしている。マネーストックの若干の増加は、国の借金の増加によるものが大きい。企業は返済する必要がないので、商品の価格を上げる必要はない。需要が落ち込んでいるので、上げること自体あまりできない。本来借金して、それを返済するという企業の経済全体から見た役割は国に移行した形だ。融資で活動する企業と、内部留保で活動する企業では、その安定性や価格競争において雲泥の差があるため、企業はさらに内部留保をためようとするし、国にもそれができるようになる政策を求める。そしてそのためには、国がさらに赤字を膨らませるか、労働者の収入を減らすしかない。労働者の収入(収入-税等の支出)を減らすべきという考えに基いた政策もしばしばおこなわれ、需要不足に拍車をかけているわけである。


最後に高橋洋一氏の「マネタリーベースをコントロールすることによってマネーストックをコントロールすべき」という主張に関して考察する。
マネタリーベースをコントロールするということは、流通しているお金の量のコントロールと日銀当座預金のコントロールのどちらかである。後者は、現在いくらでも信用創造できるように緩くなっていることから、これによって信用創造を増やし、マネーストックを増やすことはできない(逆に抑制が必要な時は効果的に機能するだろう)。ということは流通しているお金を増やすことによりコントロールするということになるだろう。インフレに向かわせるためには、金融緩和で銀行等が持っている証券をお金に換えさせるということになるが、運用先がないところでわざわざ換えてくれる銀行もないから、国の支出をマネタイゼーションすることにより実行されるだろう。前述のお金が増えたことによる作用は、消費に渇望しておらずお金を溜め込む現代では有効に働き辛いところで、消費に繋がる層への供給の方が需要増には有効だろう。つまり図らずもそうすることが経済を活性化する策とはなる。
結論は、金融緩和をすることは正しいが、それが有効になるためには需要促進になる条件が整う必要があるということで、何が何でも金融政策だけでインフレも好景気も達成できるわけではないということだ。つまり日銀だけで物価や景気をコントロールすることはできないが、日銀と政府が協力してならできないことはない。逆に日銀だけで景気を悪くすることは可能で、日銀の数々の失敗は当然日銀に責任がある。


高橋氏がやっている相関係数をもとめるやり方は、医学の研究においても時におこなわれ、私も自分の研究でしたことがある。その時に何故そうなるのか機序をうまく説明できなかったので、私も偉そうなことは言えないのであるが、何故そうなるのかという視点が重要である。