空洞化 | 秋山のブログ

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規制のない競争下では公正な価格(給与にせよ商品にせよ)になるというのは絵空事である。
労働者は雇用者に対して不利な立場にあり、労働運動や最低賃金制度等の武器がなければ資本家層と比べて妥当な利益の配分を受けられないであろう。

本来お金は、労働の対価を公正に分配するための道具である。
資本は、もちろん単なる略取だけしている存在ではなくて、よりよい社会厚生のために大きな役割をになっている。したがって利益の配分を受けて当然であるが、現在の問題は配分が大きすぎ(当然階層は固定化する)、そして労働の対価の公正な分配と反対の方向へ進もうとしていることだ。

先進国に比べて途上国は通貨安である。物価が違うので、ずっと低い給与で同等の生活ができる。国の垣根がなければ先進国の労働者がずっと不利であることは、以前 書いた。

ところが最近、途上国の国民の生活は悲惨で、デモをしている労働者は贅沢者だという記事を見つけた。

途上国において、一般的な給与が、通貨安以上に低くて、悲惨な生活をしている場合もある。だから仕事がそちらに移るのは当たり前と。それが嫌なら、先進国の労働者は給与を減らすかより多く働けということらしい。

全くの誤りだ。

この変化によって一番得するのは、途上国の労働者ではない。消費者や、途上国の国民の利益は若干ならあるだろうが、その大部分の利益を得るのは資本家である。また、労働者が変わるだけであれば、生産物の量はあまりかわらないだろう。社会厚生の増減はあまりない(価格低下による需要増、生産量増も考えられるが、商品価格に比較して給与の高い先進国労働者の所得減による需要減もありえる)と思われる。

同様のよくある指摘は、世界は飢餓に満ちている。途上国の国民が力をつけてくれば当然先進国の国民が受けている待遇をそちらに配分せざるを得ないという話である。すなわち待遇悪化は当然であると。

これも間違いである。むしろ世界にはびこる飢餓は、資本主義の結果に他ならない。
このページ をみて欲しい。世の中にはびこっている誤解に気付くであろう。
特に印象的なのが神話その11である。私がここで言いたいことはまさにそういうことだ。
『先進国の労働者が雇用と賃金レベルと労働条件を守るために闘ってきた成果は、世界中の労働者が経済的な絶望から解放されて初めて保護されるものだ』

今回のデモは贅沢でもなんでもない。むしろ貧困な少女を救うための活動である。