スタムにまつわる裁判。 | Woke Up In the Beautiful World

Woke Up In the Beautiful World

女優・モデル・音楽…美しいものは世界を救う!!
主に海外モデルを中心に紹介します。

Woke Up In the Beautiful World
Looking Great


誰にも頼まれなかったけど、ネタがなかったので今日は以前ちょこっと触れた“スタムをめぐるゴタゴタ”について取り上げます。2004年にスタムが<New York Model Management>から訴えられて、その後示談が成立したって話は当初から出ていたんですが何故か“契約違反”としか詳細が語られていなくてずっと不思議に思っていました。というわけで管理人が真相を追求してみました結果、Find A Caseという法律家や法律を勉強する人向けに過去の判例を所蔵している法律サイトからスタムの裁判記録を見つけました。以下の文章はそこからの抜粋です。全てに触れると膨大で管理人がパンクしそうなので、ここでは法定意見と事実を中心に書いておきますね。
軽く言いますと、第2事務所だった<New York Model Management>とスタムとスタムをスカウトしたエージェントが新人時代に交わした契約についてと、その際に結んだ合意についてが裁判の焦点となっています。

NYC MANAGEMENT GROUP INC.v.BROWN-MILLER』 May 13, 2004
Source:ny.findacase.com
Translate:Mia

【法定意見】
(株)NYC Management Groupと<L.A.Model Management>、両企業(以下<NY Models>)代表のハインス・ホルバら原告は被告のミシェル・ブラウン・ミラーと<International Model Management>(以下<IMM>)を契約妨害、契約に対する不法行為的干渉、将来の経済関係に対する不法干渉、契約違反、誠実且つ公正な取扱を為すべき黙示違反、名誉毀損、不当競争、虚偽違反を理由に告訴した。以下に定める理由により、被告の申し立てを全面的に認め、原告の訴えを却下することとする。

【事実】
この訴えが生じたイベントは2002年3月に始まったと思われ、その際カナダのモデル事務所<IMM>の社長であるミラー被告は<IMM>とミラー氏によって選出された数人のモデル達をニューヨークに連れていった。この旅の目的はそれらのモデル達のためにニューヨーク市場における事務所の代表を確保することだった。特定のマーケットや地域でのマネジメントのためにモデルが第2事務所と“マザーエージェンシー契約”を結び、1つの事務所と一時的な関係を築くことは珍しいことではなく、このような契約は“マザーエージェンシー契約”と呼ばれている。

その旅行でミラー氏は原告の<NY Models>にミラー氏推薦の比較的名の知れていない新人モデルとジェシカ・スタム(以下スタム)を紹介した。<NY Models>はスタムに興味を持ち、優勝者に2年契約とモデル収入10万ドルの保証が与えられるモデルコンテストに彼女を出場させた。その際、2002年7月15日前後にミラー氏と<NY Models>は“ニューヨークでは<NY Models>限定で”スタムはモデル契約するという協定(マザーエージェンシー契約)を結んだ。そのマザーエージェンシー契約の条件下では<Exclusive Model Management>は<NY Models>が取ってきた仕事に対するスタムの収益(手数料差し引き前に<NY Models>によって計算された収益)の10%を受け取るようにし、“<NY Models>を離れる日まで”その契約は有効であるとした。そして2002年9月5日、スタムはコンテストで優勝。
2002年9月、スタムと<NY Models>の社員マリオン・スミス、母親のデビー・スタムの間で“L.A.Models/New York Model Management契約”と名付けられた契約(以下スタム協定)が実行された。スタム協定に署名した当時、彼女は16歳だったために母デビーのサインが必要だったためであり、以下にその必要性が記されている。

・出場者が18歳以下である場合には親又は保護者があなたに代わってこの契約に署名する必要があります。


日付の記載されていない署名文書の中ではデビー・スタムはスタム協定にスタムが関与することに同意している。

スタム協定は以下の旨の条項を含むコンテストの受賞者を管理する規定を定める。
・モデル契約期間中、あなたは<L.A.Models><New York Model Management>のモデルとして活動することに同意し、印刷物、テレビ番組、ランウェイにおいて<L.A.Models><New York Model Management>があなたの独占的代表になることに同意するものとする。


しかしそのわずか数ヶ月後、スタムと<NY Models>の関係は悪化した。大部分の原因はスタム、彼女の両親、彼女の事務所の間での議論の余地もない衝突だった。争いの最初の種はスタムが2002年秋パリファッションウィークの“既製服”に参加すべきかどうかが中心になった。スタムとミラー氏は貴重な公の場への露出は彼女のキャリアの後押しになるだろうと考え、参加を心待ちにしていたが、<NY Models>でのスタムのブッキングエージェントであるジョージ・スペロス(以下スペロス)はパリでのショーはスタムにとって“良い動き”になるとは思わず、この考えに反対した。最終的にスペロスが折れることになったが、結果的にスタムが2つの小さな仕事しか取れずショーには失望したと主張し続けた。一方ミラーはパリでのスタムは非常に上手くやったと感じており、スタム自身もパリでのショーは“私にとって大きな成功になった”と感じた。

ニューヨークに戻った後もスタムと<NY Models>の関係は悪化し続けた。故郷で個人的な問題を抱えていたスタムは、<NY Models>が彼女の許可なしに両親と連絡を取ることを望まなかった。しかしスペロスはスタムの父親から連絡を受け、彼らは2003年にニューヨークで行われるショーに参加すべきかということを含めたスタムのキャリアについて話し合っていた。父親はキャリアについて彼女に叱咤するなど、これによって家族間でのいざこざに繋がったようだった。スタムはスペロスと父親の話し合いに激怒し、このまま<NY Models>にとどまることに疑問を持ち始め、この頃<IMG>で働く同郷のカナダ人モデルと親しくなったのをきっかけに<IMG>に移籍することを考え始めた。

2002年末に向けてスタムはミラーに<NY Models>を離れることを話し出し、その際ミラーは評判も良く彼女が成功したキャリアを歩けるとして<NY Models>にとどまることを勧めた。さらにミラーは彼女達の摩擦を緩和するためにスペロスと会うことを提案したがスタムはこのアドバイスを断り、2003年1月頃にミラー宛に<NY Models>に不満を持っており、事務所との関係を終わりにしたいという旨の手書きの手紙を送った。以下のメモは記録のためにコピーしたものである。



Woke Up In the Beautiful World Woke Up In the Beautiful World
裁判はこの頃の。この頃のスタムはめちゃくちゃ可愛かった!


Woke Up In the Beautiful World
テリーおいたんと。



日々、私は満足していません。
<New York Models>は私の他の事務所の数々の決断と意見が合わず、私のキャリアのこの時点ですでに騒動を引き起こしすぎています。
彼らはあまりにも速く私を急かし、私にとっての最善の利益を考えてくれているようには見えません。例えば、学校へ戻ることが16歳の私にとって最優先すべきことだとは気にしていないように感じます。
この不必要な圧力は私にストレスを与え、全てを複雑にしています。
このような理由から私はこれ以上<New York Model Management>と関わりを持ちたくないと望みます。


ジェシカ・スタムより。


2003年1月29日、彼女の決断を無視すれば自身の事務所まで離れてしまうかもしれないと心配したミラーはスタムの要求を受け入れ、スタムを手放すようにと<NY Models>宛に手紙を書いた。その後スタムは2003年1月21日付の意見書に署名し、“私が参加したと考えられる、又は私に代わって参加した<NY Models>とのあらゆる契約”を破棄するとした。


と、ここまでが【事実】とされているものです。
<NY Models>が訴えているのは、将来スタムが同事務所に稼ぎ出してくれるかもしれなかったモデル料とスタムに絡むクライアントのブッキング料の損失が【将来の経済関係に対する不法干渉】と【不法行為的干渉】にあたります。それからミラーが<NY Models>に関する“誤った情報”をスタムに伝えて、スタムの契約破棄を促したと主張していたんだとか。<NY Models>は“トップ事務所ではない”とか、“良いのは新人の頃だけ”とか、<IMG>はもっと稼げるだとか言ったんだとかで、スタムのボーイフレンドとボーイフレンドの母親にも吹き込んだとか。その辺りが【名誉毀損】と【契約に対する不法行為的干渉】と【誠実且つ公正な取扱を為すべき黙示違反】【虚偽表示】にあたると主張していたそう。
でもスタムからミラーへの手紙には明らかに<NY Models>との関係性に対する不満を口にしてて、当初からミラーも<NY Models>にとどまらせようとしていたことから、原告の訴えは全面的に却下されました。
それからスタム協定の破棄については契約を結んだのはスタム母だから破棄するのにもスタム母の署名がいるじゃないの、って主張も未成年にも契約を取り消すための権利があるということで却下されました。
なのでスタム本人が<NY Models>から訴えられた件は、この案件で記述されてるような“契約違反”ということだったみたい。

おまけに再びWUITBW調べによるスタムの出来レースに関わる2007年の裁判沙汰をご覧ください。

2002年のモデルコンテストで事前に“スタムが優勝するように”事務所が働きかけていたとして<NY Models>の元モデルが同事務所を訴え、150万ドルを要求。原告と他の出場者は各地のイベントに出場していたのに対してスタムは全てをすっ飛ばしてL.A.Looks Model Search Contestの決勝ステージに出場したと訴えた。加えて大会の出場資格としてアメリカ合衆国の居住者と規定していたのに、カナダのオンタリオ州出身のスタムは“合衆国市民でも合衆国での労働資格を持つ合衆国居住者でもなく”、“どの地方大会にも出場していなかったモデルのジェシカ・スタムはニューヨーク大会への出場資格が与えられ、そこで決勝のステージに選ばれて”、優勝して10万ドル相当の賞金を貰った。

スタムが優勝したコンテストでの裏工作はなんとも言えないグレーゾーンなんですが、事務所を離れる旨を伝える手紙の中での学校への未練の発言とか少し胸が痛いですね。 この記事での要点は、裏工作(たしかにスタムはコンテスト受けするようなタマじゃ…)はともかく、事務所とモデルの関係は一筋縄ではいかないということですね。ただでは辞めさせてくれないところが怖いネ。