原理講論に書かれたメシア王国建設の末路はメシア無視王国の建設だった? | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■地上天国は文教祖を始祖とする万世一系のメシア王国の建設にあったはずが・・・・・

原理講論では『キリスト王国時代において、法王を中心とした霊的な王国と、国王を中心とした実体の王国とが一つとなり、メシヤ王国のための君主社会をつくって「メシヤのための基台」をつくったならば、そのときに封建時代は終わったはずであった。』とあります。

そして『このような真理に立脚した宗教によって、全人類が神の心情に帰一することにより、一つの理念を中心とした経済の基台の上で、創造理想を実現する政治社会がつくられるはずであるが、これがすなわち、共生共栄共義主義に立脚した、メシヤ王国なのである。』とも書かれています。

つまりメシア王国の下に貴族がいるという構造。最近ではさしずめ「分封王」が各国に貴族にあたるのでしょうか?

しかしそれはあくまでも文鮮明教祖が神と一体となった絶対真理の主体ですべては文教祖の指示の元に「摂理」が進められるのが「メシア王国」だという認識でしたが、どうも現在の統一教会の内部では文鮮明王朝時代は終わっているようです。

私が信者だったときは幹部やアベルから言われることはすべて「お父様(文教祖)」が発していることだと思っていました。「お父様(文教祖)の願いは神の願い」だと思っていたものです。

しかしこの記事にはもはや『神と一体となったメシア(文教祖)』の姿は垣間見ることができません。

この記事を読んで統一教会ははじめから指示系統が文教祖一本でなかった可能性があると感じました。

『お父様は勘の良い方でありますが、92歳という年齢からくる体力の限界はいかんともしがたいものがあります。この情報化社会の中にあって、側近幹部達に情報の出入口を握られ、人事権までも剥奪され、ヨイド訴訟も、統一教への名称変更も、全て事前報告無し、事後承諾も? 四大聖人像などご存じないのではないでしょうか。
http://ameblo.jp/gildong/entry-11087059392.html

『お父様のご意志が、このように赤裸々に現われたにも拘わらず、いまの今まで誰一人このみ言を履行しようとする者がいない。このようにお父様のみ言を徹底的に無視し、空念仏を作ったり、必要に応じて恣意的、選別的にだけ採択する教権主義者らは、お父様よりもより大きい力がある勢力の前に、ひざまずいて現実に安住しながら、実を取る世俗的な満足に、みすぼらしい良心を売っている。
それでも全国を回って絶対信仰と絶対服従を促す図々しさを隠そうともしない。』

http://ameblo.jp/gildong/entry-11087059392.html

私は元信者なので四男につくとか三男につくとかは関心がありませんが、この内容を読むと統一教会の幹部は文教祖の血統で原罪が清算されるとか、メシアは神と一体となった方で「お父様(文教祖)の言葉=神の言葉」などとは考えていないことがよくわかります。



文教祖を無視することが「絶対信仰と絶対服従」だとすると、一体信者は誰に「絶対信仰と絶対服従」すればいいというのでしょうか。

この記事の中で『お父様よりもより大きい力がある勢力の前に、ひざまずいて』とあります。たぶんこの「大きい力がある勢力」は「金と力(財力と権力)」であることはわかりますが、では統一教会内部の幹部たちは一貫して文教祖に対する「忠誠心(絶対信仰と絶対服従)」より「金と力(財力と権力)」になびく人たちで構成されていたのかと思われます。

$ちゃぬの韓国日記
(文教祖が「顕進を中心にひとつになれ」と国進氏と亨進氏に語ったみ言葉の翌日2008年12月25日撮影。祝杯でしょうか? このみ言葉も無視されて結局三男の顕進氏は「サタン扱い」にまで貶められたしようですし、そのときのみ言葉は信者に伝達されずとまっているようで、信者の内部告発としては出回っていますが。韓国人である文教祖は長幼の序で三男に継がせたかったのかも知れないけど、まあ私はどっちでもいいですが、搾取した献金は信者の下にお返し願いたいだけです。 み言葉はこちらこちら

私が元信者になって三男派でもなく四男派でもないため、こういう見方ができるようになりましたが、信者の人たちはこの情報さえ「これは三男派。これは四男派」として選別と選択を強いられるのでしょうね。

統一教会は末端信者が食口(家族)としてではなく幹部たち含む上層部のために「献金させる兵隊」が必要なのであって、決して文教祖がメシアだから文教祖(真の父母)に「忠誠心(絶対信仰と絶対服従)」しなさいとしているわけではないことがこの記事から読み取れます。

これは三男も四男も同じでしょう。結局「この命令は父親(神)の言葉だということ」を利用すれば、末端信者に献金をださせるのはたやすいでしょうから。末端の信者は「絶対服従」することが信仰者としての心構えであると言われ続けて教育を受けたため、聞かなければいけないという心理状態に陥るため、「お父様がそうおっしゃっているのは神様の願いだ」という半ば条件反射になっているわけで、命令の系統の吟味すること、上を疑うことはサタンだといわれている信者は、疑うことすら許されていないのですから、幹部はやりたい放題なのでしょう。
$ちゃぬの韓国日記

末端信者の献金で購入した自家用ジェットも三男が売り払った(現金化)したと伝わってきていますから、三男についても四男についても結果は同じでしょうけどね。

そう考えると今は文教祖さえ無視できる息子や幹部によって、文教祖自身も利用されているに過ぎない対象だということです。

調べていけば、もともと統一教会も文教祖もお金のために末端信者を利用してきたのですが、今は老いたメシアは神ではなく、お金と自分の保身のために無視してもいい存在に成り下がっているようです。

しかし教祖さえも無視できるそういう韓国人幹部が育つ下地が統一教会にもともとあったために、この結果が出ているわけで「恩讐をサタン視する思想」でなく「すべて神の子の人類一家族」のような思想のみが横たわっていたならば、このような結末になっただろうかと思うのです。

末端信者を「王に貢ぐ僕としての信者」と見ていたのは文教祖であったわけですし、幹部はそれを見習ってしたまでのこととも考えられます。

文教祖のみ言葉で

(祝福)家庭はただ、来られる主の家庭と生命と財産を保護するためにあるのです。彼らの生命と財産そのすべてのものは、主の家庭と主の生命が発展するためにあるのです。発展するためにはどうしなければならないでしょうか。このような者たちを肥料として吸収しなければならないのです。発展の原則がそうです。』
(「祝福家庭と理想天国」より 第三節 祝福家庭の価値と使命)


文教祖の言うように、いわゆるこのように信者に貢がせるのは当たり前の思想の元で統一教会の運営がなされてきたわけですから、文教祖とともに搾取の運営に携わった幹部はもはや今度は文教祖にとって代わって今後搾取を続けるだけのことでしょう。

さしずめ幹部は特権階級で、末端信者は搾取される労働者といった「北朝鮮の構造」がここにもみられる言うわけです。

末端信者は王に貢ぐ僕なので文教祖は「借金してでも献金しろ」とか「所有権返還で財産自体を持つな全財産を献金しろ」と言えたのだなと、今ではわかりますが。

み言葉でもこのようなことは出てきますから。

現役の方が「王に貢ぐ僕」でいたければ個人の自由ですのでかまいませんが、誰かを引き入れたり、伝道した人に対して何も知らせず献金を強制的に強要さえしなければ、お好きなだけ貢がれたらいいと思います。