文國進・朴知鋭夫妻の第一子は聖婚前に妊娠されたのですか?(7) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■2004年9月26日清平修練苑での聖婚式の写真6枚はまだ削除されていませんでした

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天宙清平修練苑HPの「真の父母様フォト」の下段の「過去のお写真」をご覧ください。
(※ログインしないと見ることはできません)
http://jp.cheongpyeong.org/parentsphoto/list.asp


統一教会側は証拠隠滅のため2004年9月26日聖婚式の記事は削除しましたが、写真の方は削除されずに残っていました。

その2004年9月26日付の写真6枚のタイトルは「國進様・知鋭様ご聖婚式①~⑥」となっています。
その日が聖婚式なのは明確なのです。

統一教会側は、2004年9月26日の写真を差して「2004年9月26日に韓国・清平で挙げている「聖婚式」という写真は、「披露宴」のことです。」と反論しています。

ここまでする理由は、本当に聖婚式の前に文国進氏が朴知鋭さんを妊娠させてしまったことを隠し通すためにしているとしか、私には見えません。

天宙清平修練苑HPには「國進様・知鋭様ご聖婚式」のタイトルで、まだ写真が残っているというのに。




■2004年6月17日の時点では、前妻との親族との和解が成立していなかった?

<「国進氏はデキ婚」という批判に対する反論より一部抜粋>
『2004年6月17日の式典が、日本においてほとんど伝えられなかったのは、国進氏の前妻の親族の心情に配慮したためであり、親族が次の結婚を心から歓迎し、すべての人が祝賀するという状況で行われたのが、2004年9月26日の清平での「披露宴」です。』
(統一教会公式HP「抗議文」より)

http://www.ucjp.org/?page_id=9653

この文章を見てみると、2004年6月17日当時は、朴知鋭さんとの再婚を歓迎されるムードはなかったということだったようです。「前妻の親族の心情に配慮したため」とありますが、真の父母である文鮮明教組が「四男を祝福する」と言ったらたとえ幹部であっても「わかりました」と甘受するのではないかと思うのですが・・・。ですから、その時点では、文教祖も国進氏の再婚(祝福)には反対していたのではないでしょうか?

反対されたので、極端な行動(婚前交渉)に及んで、既成事実(妊娠)することを選択したのでしょうか。
(まあ、その前から「恋愛関係」だったという噂も聞きますが・・・)

だいたい祝福の相手は、特に真の子女であれば、突然文教祖が「お前は明日、この人と約婚しなければならない」と鶴の一声で決まるのに、信者に配慮とか、息子の意向を聞くとかいうこと自体が、おかしな説明なのですがね。

そして、文教祖も妊娠した事実を知り、2004年9月26日になってやっと(しかたなく)許可したので「(文教祖を含む)親族が次の結婚を心から歓迎し、すべての人が祝賀するという状況」で晴れて聖婚式が執り行われたわけですか(推測ですが)。

朴知鋭夫人の結婚前に書かれたHPをみても、その苦悩がなんとなく伝わってきます。

でも納得いかないですね。真の子女の祝福の相手は前々から決まっているのもではなくて、突然、文教祖から言い渡されるものであるはずなのですが・・・・・。(そう、絶対信仰で甘受しなきゃいけないわけで)

結婚前の朴知鋭さんも、文国進氏もなんで、約婚式前に悩まなきゃいけないのか・・・・・。