文教祖的血統転換についての雑感(6) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

私の血分けについての雑感(独り言)です。


文教祖的純種血統に血統転換させる法則は以下のような思想がベースになっているように思います。(心で思うことが子供に遺伝するということ)

1.『名馬が駄馬と一度でも交尾をすると、その後いくら名馬と交尾させても駄馬しか生まれない』

2.『白人女性が黒人と交際して別れた後、白人と結婚して子供を出産したが黒い子が生まれた』


文教祖の理論では女性はすべて「神の妻(心)」であり、同時に「神の実体である再臨主(文教祖)の妻(体)」でもあります。文教祖以外の男性は「神の種」を持ちえていない天使長です。

アダムとエバの霊的堕落は、天使長と一度でも交わればその後は「名馬でなく駄馬が生まれる」という理論と似ています。つまり、その後エバはアダムと関係し子供を生みますが、いくらアダム(神の血統保持者)と関係を持っても、「駄馬」ならぬ「堕落人間」しか生まれないという図式です。

世間でも噂として広がっている上記2つの内容(この名馬が駄馬を生む話は、賛否両論で最近では科学も発展し遺伝子学的にはありえず「迷信」であると結論付ける学者もいますが)は文教祖は知ってか知らずか、統一教会では信者に「純潔」の教育するときには必ずといっていいほど、この2つの例を出して「純潔」を強調します。

しかしこの「純潔」は誰に対しての純潔なのでしょうか?

原理ではルーシェルとの淫行関係は「霊的堕落」、アダムとの関係は時の時ではなかったので「肉的堕落」でした。

文教祖が祝福前の女性は「文先生の夢を見なければいけない」とか「女性は夫以上に文教祖を慕わなければいけない」とか、というみ言葉の内容も「名馬と駄馬」の理論の思想が根底にある事を考えれば、女性が「身」も「心」も文教祖と一体となった条件がなければ「祝福」ではなく「血統転換」ではないのです。それは、1960年までは完全に実体的に文教祖と女性が肉体関係を持ち、血分けで「聖なる血」を連結し、1960年の聖婚式後からは「絶対的秘密を守る者」にのみ「実体的」に血分けを施しましたが、777双の祝福以降は一部を除き象徴的に行うようになりました。

この世のすべての男性は堕落した天使長です。たとえ祝福の婚約者であっても祝福を受け、三日行事を終えるまでは女性が文教祖を一心に慕えなければ統一教会でいう霊的な『真の種』を受け継ぎ、ルーシェルよりも実体の復帰されたアダムを「慕った」という歴史的な蕩減(神の血統を受け継ぐ)することができないはずです。(あくまでも文教祖の見解で真理としても見方ではなく)

『神は、アダムに伴侶としてエバを与え、人間に性的愛の祝福を与えられた(同二・20~24)。夫婦の愛は肉体的結合と同時に霊的結合を伴い、体と体が一体化するのと同時に魂と魂も一体化する。なぜならその目的は物理的であると同時に、霊的な種を繁殖することにあるからである。そのため神は人間が互いに向かい合って、季節の区別なく性関係を楽しむように創造されたのである。ほとんどの動物は後ろから馬乗りになってすばやく交尾し、それも物理的な繁殖のために交尾期の短い間だけ行うのである。人間の愛だけが親密で継続的であり、夫と妻の間の永続的な霊的関係を維持している。そしてそれは、子供たちの中に霊的本質として繁殖されていくのである。』
(理想家庭の指標 ジュンヒョン・パク著 光言社刊)


上記内容のごとく霊的(魂)は天使長である男性信者と結合する前に、統一教会の「祝福(合同結婚式)」は文教祖と女性がまず結婚しなければならず、文教祖と関係(お手つき)した女性を男性に払い下げる式でなければならないというのです。
統一教会で言うところの「純潔」とは、真の種(文教祖)に対しての純潔が元になっています。独身のみならず、もちろん祝福家庭も「純潔」を守らなければいけないと説いていますが、あくまでも文教祖からありがたい「種」を受けたので、その「文教祖の種」を汚されるなということです。祝福を受けた夫婦間はいいのです。「文教祖の種」が介在している間柄ですのでOKですが、祝福を受けていない人と交われば、血統転換の理屈に合わないのです。



(祝福前は女性信者は夫以上に文教祖を好きにならなければならない理由)
1.文教祖は世界でただ一人の復帰されたアダム
2.女性は全て文教祖の妻の立場
3.文教祖以外の男性は「天使長」であるので本来結婚の資格がない

文教祖は次のように語っています。

女性として文総裁に夢中になっていない人、手を挙げてみてください。日本の女性であれ、米国の女性であれ、韓国の女性であれ、夢中にならない人は統一教会の教会員になることはできません。女性たちは皆先生に夢中になったでしょう? 夢中になったという人……。男性たちは目を閉じなさいというのです。(笑い)女性たちは手を挙げるとき、このように手を挙げずに、このように挙げてください。(笑い)後ろに挙げるのです。それは事実です。花咲く美しい女性の美を、十二歳、十三歳になれば、花の指輪、花のネックレス、花のイヤリング、すべて霊界から教えてくれるのです。それで先生の顔を自分の未来の夫像として……。女性たちがそのような体験をするのです。四大心情圏、女王の心、おばあさんの心、嫁の心、孫嫁の心、そして五代前の先祖の婚約者の心まで分かるのです。婚約して一週間もたたないうちにみ言を聞いても、皆文総裁の後ろについてくるというのです。それで、女王も自分が女王一家のおばあさんを紹介し、おばあさんは自分の嫁を紹介し、嫁はまたその次の嫁……。三代、四代の先祖たちが、「文総裁についていきなさい」と教育します。ですから、放っておけば男性がすべて怨讐になります。神様には娘が一人しかいないのに、どろぼうされて、娘が永遠にいません。どうやって再び取り戻してくるのですか? 自分の国の女王を売り、おじいさんを売り、お父さんを売り、夫を売り、カインとアベルで争う姉妹を一つにし、六人が一度に死んでも変わらないというのが文総裁に対する信仰です。そうでない人は統一教会にいることができません。長くなった人は、そのような体験をすべてしているでしょう。文秀子さん。あなたも先生を自分の父親よりも愛し、自分の夫より……。夫がどこに行きましたか? すっきりしていて顔立ちが良いのですが、その夫の言葉よりも先生の言葉をより重要視するでしょう? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。この女性は。そのようにするなと言ってもそうします。(笑い)これは運命的であり、宿命的であり、召命的です。三時代の条件を懸けているので、不可避です。「そうではない」と言うのは、真っ赤なうそです。姜賢實さん。姜賢實さんもそうですか? そうかそうでないか、わたしには分からないので尋ねているのです。そうですか、そうではないですか? 今でも「荷物をまとめて先生についてきなさい」と言えば、すべてを片付けてついてくることができなければならないではないですか? それは間違いない公式です。(夫の中で)「それは違う」と言う人は狂った人です。何も分からず、自分の妻が何か分からずに生きている人です。それはどろぼうです。王家の出身がどんな価値か分からずに、その人と暮らしている人はどろぼうではないですか? 山賊になって物を奪い、妻を強制的に連れて行って暮らしている群れとちょうど同じです。ですから、自分の死に場所を知って統一教会に来るのです。「殺すなら殺せ。自分の死に場所を決めてわたしは行く」、そのように決意しない人は統一教会の子女の日を行うことができません。それがどれほど重要か分かりますか? (「はい」)』
(第四十九回「真の子女の日」の御言2008年10月29日天正宮博物館)

『統一教会では、女性達が「文先生に惚れました」と言います。しかし、女性が私に惚れたのかどうか、どうなっているのか、私はよく分かりません。それは、女性達に尋ねて聞いてみなければなりません。私は今まで、誰かに付いて歩きながら、愛したことがないからです。男性がでたらめで、「あなた故に、私は死にたい」と言ったらいいのでしょうか。そのような男性がいれば、何ができますか。逆さになって死んでしまわなければなりません。私には今まで女性達が先に立つ役事が沢山ありました。ベルトをつかまえて泣き出す女性がいたり、とにかく、あらゆる女性を皆見ました。私は女性がどれ程怖いかということを、よく知っています。「大人しい犬が先に台所の上に上がって行く」という話がありますね。あらゆる姿を見ながら、今まで来ましたよ。そのような女性が、死ぬ程付いて来たことはありますが、私がそのようにしたことはありません。皆さんの中に、私がそのようなことをするのを見た人がいますか。女性達、先生が好きですか、嫌いですか。(「好きです。」)何故好きですか。世の人達のように悪い意味で好きであってはなりません。真心で先生を愛するということは、即ち神を愛するというのと、相通ずるのです。先生を愛さなければならない立場に立てたのは、神を愛することのできる方法を教えるための一つの方法なのです。先生は、皆さんに世界の人間を愛せる方法を教えてあげるための一つの教材であります。このような教材として使うために、「先生を愛せよ」と言うのです。』
(御旨の行くべき道 1971年1月9日江原道江陵教会)


この世で自称「唯一の神の血統保有者」の文教祖は、またこのように言っています。

『メシヤは、女に村して、真の兄さんとして現れるための道をたどって来る。そのことをありがたく感謝しなければならない。そればかりか、蕩減復帰するためでなく、真の旦那さんになるために、親になるために、歴史を通してたどって来る。真の創造主である神様と結びつけてあげるために来られるそのかたがメシヤだと言うのです。分かりました?今男は知らなくてもいい。女は分かりましたか。』
(6500双聖酒式前の御言1988年10月29日韓国一和龍仁研修所)

文教祖以外の男性は何の権利も無い立場であることもはっきり言っています。

『結婚する君たち、そういう立場に立っていますか? 女性は皆、神に属する。男性は何の権利もない。君たちは天使長だろう。天使長には女がいたか? エバを盗んでいったから、女をつくったのであって、元返ししてエバを返した場合には、男は皆、無精卵みたいな生命のない卵のように、何もない天使長のように、中間の立場に立つべきであって、相対的立場ではありません。男たるものは、エデンの園では天使長です。だから三年間女性(相対者)の話を尊重しなければならない。分かりました? 
 だれが君たちを生むか、神のアダムの子供を生むかというと、堕落した女性は生むことができません。真の父母の立場で、お母さんが君たちを再び生んであげたという条件を立てなければ、相対者、妻を得ることができません。その公式を今晩行うのです。』

しかし文教祖(自称メシア)でさえ『メシヤは神によってではなく、エバによって祝福され、生み直されなければなりません。(創立以前の内的教会史1977年5月1日NYベルベディア)』と他の男性と同じ様に産みかえられる儀式を通過する必要があるようですが・・・・。


ここで再び、草創期メンバーの血分けについての告発内容ですが、

『《統一教会の何が悪い!!!!! 【Part9】より》
41 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:18
・・・なお、この発表については、同僚で、ともに学んだ中村惣一郎君、そして数々のご指導を賜った、周藤先生ならびに李ヨハネ先生にこの場を借りて謝意をもうしあげます。

42 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:19
(体恤)まず、救いのはじめは女性にあります。これを体恤と言う。救いは肉体から堕落した人類始祖の失われた立場をメシヤと言う一人の男子から受けられるのは女性にあると言うわけです。この性行為は実体を持って行われ、文先生とその女性とでメシヤである文先生の思うがままになされるが、基本的には蘇生、長成、完成の3回は最低行わなければならない。かの有名なK婦人などはさる山荘に一週間こもって文先生と裸の生活をされたそうです。そこで、神の六千年の心情と神からの具体的な愛と性を自らの肉体に体恤しなければならないのです。

43 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:19
(重生)文先生との性行為において十分に体恤された女性はその胎内にメシヤの子を宿すはずであります。しかも、それは男子であるべきです。次に行う重生が男子の救いだからです。その女性が産む子供が新生された男子であると仮定して女性が救われるべき男性と性行為を持ちます。そこでは男性は生まれ出るべき男子と同格です。そこで、性行為は出産の行為になります。男性はその体全体に見立てた生殖器を、女性の胎内に一度、うづめて生み変えてもらうわけです。男性は受動的でなければならず、女性のみ積極的に性行為をしなければいけません、なぜなら胎児だからです。ここで、男性は女性によって産みかえられるから「重生」といいます。

44 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:20
(母子協助)これが一番むずかしい理論です、これは起源を人類始祖に求めます。ある、男子をさして神が一方的にアダムと言ったわけです。当然彼の子供は彼のなるべく純粋なDNAを受け継ぐべきです。そこで、神は彼を眠らせてそのアバラぼねからエヴァを作ったと書いてあります。クローン人間で女性を作ったわけです。じつはこれは事実を隠した書き方で、実際はある環境で父のいなくなった、母子家庭がかれの環境、その母はある程度成長したアダムに男性を求め産んだのがエヴァというのが事実。そのため性的に母親の手助けが無ければアダムの立場はありえなかった。これを母子協助と言う。

45 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:21
文先生も第3アダムとしての路程はここにありました。摂理をはじめるに北に行ったのも、実は母を求めての路程でした。本来ならば、母としての立場を韓鶴子(真のお母様)に求めるべきでしょうが実際は重生を受けた男性はその体恤済みの女性を母として性行為をしなければいけません。しかも、男性が寝てる間に女性がその男性の性器を勃起させて行わなければいけません。これも女性が主体で行い、男性は受身でなければなりません。その後、本当に生まれた文先生のお子(男子)は、またその産んだ女性が母子協助して性行為を行い、その子供の子供として女の子を出産しなければいけない。この子供たちが結婚して初めて本然の姿に復帰できる。実際には兄妹婚は法的にもこの世的にも実現不可能なので三位基台をつくってその中でやりくりせざろう得ない。

46 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:25
これらを省略したかたちでおこなうのが三日行事と言います。祝福、合同結婚式、に出られた方はこの儀式を持って結婚生活に入ります。本来は上記の通り、文先生との集団結婚が本来の形であるということは肝に銘じて祝福を受けていただきたい。』



では上記のように、この古参信者の言っている血分けの内容を文教祖は話していないのかといえば・・・


『子供の立場というのは、生まれて君たちのように、その自分は誰それという立場で生まれたような基準に立たせるんじゃないよ。アダムの中に、アダムの骨の中に入った、もともと生まれなかったようなアダムのその、何だ、骨の中に骨髄の中に、まだこの生まれていない、将来生まれようとして、もし奥さんを迎えた時に生まれようとしておる骨の中に、脊髄の中にうずもれておる子供・女(息子・娘)の種のような立場に入らなければならない。わかる? そして父母の、母の腹を通過したという条件を立たせなければ完全復帰がなされない。わかる何か? それは誰がやってやるか、自分たちではできない。親がやってやる。再臨の主がやってやらなければならない。
 それをやるには、その生命の木が、いわゆる生命が生まれる、誰それが生まれたというその根本の動機はどこから生まれたか。愛情から生まれた。愛情から生まれたね。父母を中心とした愛情から生まれたその基準になっている。それをその基準に生まれた、その愛情基準を凌駕しえる、愛情的心情を自分ながら体験しないというと、その元のお父さんなる再臨の主の骨の中に篭もる、立ち篭もるようなその子供の立場には、どうにも入ることはできないというんだね。愛情基点でもってその基準に立ちえたという条件を立たせよう。 それで再臨の主が来られた場合には、女も男も慕い慕う。自分の骨よりももっと、自分の体よりももっと尊い感情、感をもって愛さなければならない。だから自分はこれから彼から彼氏から始まる。自分の存在は彼より始まる。自分のすべては彼を基として存在が始まるという、そういう立場に立たないというと、心情を中心としてそういう立場に立たないというと、サタン圏内におきまして父母の心情より堕落したその条件基準を越えることができない。』
(原理大修練会、キリスト論講義後におけるみ言葉1967年6月20日)


1960年の聖婚後は、「血分け(血統転換)」の方法が事なっているようです。
 1960年以前---父の骨髄に入る立場
 1960年以降---母の胎内に入る立場

『単純に父母に会おうとして、父母の愛を受けようとして、再び生まれるのではありません。皆さんは堕落した世界から求めてきた人々ですから、皆さんの父母が堕落したと同じ峠を越えねばなりません。そうしなければ本郷の地に、永遠に入ることは出来ません。ここで一度ひっくり返って、再び母の胎内に入って出るという重生の過程が起こらねばなりません。それで天真爛漫な赤子のような立場から育つのです。皆さんが再び生まれるには母の胎内に入る立場に立つ前に、父の骨髄に入る立場に立たねばなりません。それで統一教会は1960年前まで、このようなことをして来ました。それで我々統一教会の食口をちょっと見れば、心情的に違うのです。』
(本郷を求めて1967年5月28日前本部教会)

『本来、アダムの骨髄の中に宿っていた種は、真の母なるエバの体を通して成育し、神様が望む生命として誕生するはずであった。』(1970年10月19日のみ言葉)

上記のみ言葉から、骨髄は「アダム(文教祖)の種=精子」と捕らえることができ、「父の骨髄に入る立場」とは女性に対しても「性関係(骨髄で作られた精子の注入)」によって、エバを再創造することのようです。

祝福とは簡単に言うと文教祖の種の伝播・・・

復帰されたアダム(文教祖)⇒エバ(女性信者)の再創造
復帰されたエバ⇒天使長(男性信者)を人間(文教祖の息子)として再創造

『メシヤの思想とは何でしょうか。アダム思想なのですが、再創造されたアダムが出てこなければなりません。アダムさえ出てくれば、エバは造られるようになっているのです。エバは、アダムをまねて造ったのです。ですから、アダムが問題です。』
(真の御父母様の生涯路程10)

『そういう個人完成した場合は、次に何をするか。エバを再創造しなければならない。エバはアダムを型どって造ったんだからね。神はアダムを造って、アダムを標本としてエバを造った。それは何を意味するかというと、再創造原理において、アダムはアダムの責任を果たせないで、エバを堕落させたんだから、アダムは再び、エバを創造しなければならない。もう体は造っているんだね。サタンがもっている。それをサタンから取ってこなければならない。そういうような地上基盤を天は準備するんだね。』
(全体蕩減1983年4月3日韓国・ニューソラクホテル)

『こうして、神の公認を受けて出るとき、初めて神の祝福という門を開けて入って行くことができるのです。もう一度言うならば、エバを再創造することのできる、堕落した、理想の男性としての心情をもって、その人格、心情を中心として、み言葉を中心として、その理想の立場に再創造することのできる具体的な見本となるのです。それでは、相対であるエバは、絶対服従して、そこに一つになりうる基準まで従って来なければなりません。』
(第九回子女の日のみ言葉1968年11月20日韓国青坡洞 旧本部教会)

『本来、エデンの園で真の先祖である真の父母が生まれていなければなりませんでしたが、人間の堕落によって、六千年が過ぎた今日になって初めて、再臨時代を中心として、神様は真の先祖を取り戻したのです。言い換えれば、サタン世界に勝利した一人の男性が生まれ、一人のエバを再創造した基準で、神様の祝福を受けて聖婚式をすることにより、初めて六千年前の真の人類の先祖の位置に立てられる基準を復帰したのです。大勢の堕落の子女たちが繁殖した六千年目になって、初めて真の父母が生まれたというのです。』
(1968年1月1日のみ言葉)