韓国「世界日報」は統一教会が最初に創刊したのではない | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■韓国統一教会所有の世界日報等について

∮・K氏のご説明
≪韓国の世界日報は、89年の2月1日に創刊です。前に潰れた世界日報を買収したのではなく、名前を同じにしただけです。米国にもありますが、これは、華僑の新聞です。統一教会とは、関係ないです。前の韓国世界日報が、潰れたのは、いつか知りませんが、日本の世界日報が、1975年にできる前ではないかと思いますが、確かではありません。≫

註:説明文5行目の「前の韓国世界日報が、潰れたのは、いつか知りませんが、」この個所で説明されてる「前の韓国世界日報」というのは統一教会系の企業ではなく、統一教会から見たら反対派の企業のことです。

(書庫閲覧室(統一協会問題関連)ご報告欄より)
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/8586/sizukushoko.html


※上記のような元幹部クラスの方のコメントに関して事実関係を調べてみました。



■ウィキペディア「世界日報」より

●統一教会(統一協会)系の新聞
「世界日報(セゲ イルボ)」
 1989年創刊 韓国の全国新聞

「世界日報(せかいにっぽう)」
 1975年創刊 日本の「世界日報社」が発行する日刊紙

●聯合報系の新聞
「世界日報(Shìjiè rìbào)」
 北米の大都市(ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴなど)で発行されている中国語の新聞。米国で発行されている中国系アメリカ人向けの新聞としては最大の講読者数をもつ。台湾の中国語日刊紙「聯合報」が母体。

「世界日報」
 1955年創刊 タイで発行されている中国語の新聞。2001年からはインドネシアでも同名の新聞が立ち上がっている。(泰国世界日報)

●現存しない新聞
「世界日報(せかいにっぽう)」
 かつて日本に存在した新聞。終戦直後に創刊した新興紙の一つで、後に題号を「世界経済新聞」、「夕刊世界経済新聞」と改め、1951年に産業経済新聞に合併した。現存する統一教会系の『世界日報』とは無関係だが、題字と地紋はほぼ同じ。

「世界日報(セゲ イルボ)」
かつて韓国に存在した新聞。1946年に創刊され、1948年に廃刊となった。現存する統一教会系の『世界日報』とは無関係。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%97%A5%E5%A0%B1



■1957年創刊の世界日報は文教祖の恩讐

上記1946年創刊の韓国の「世界日報」の詳細は不明ですが、1957年創刊の「世界日報」は1955年文教祖が投獄される原因を作った「中央日報」の改名された新聞です。


『「世界日報」は李北が発行した「中央日報」の後発新聞で、孔鎮桓が「中央日報」を買収、発行していたが1957年1月1日付第1571号から「世界日報」に改名した。李起鵬系統の与党紙として1958年10月30日から金珖燮が発行人になって1959年11月12日からは自由党所属国会議員金元全が発行権を取得した。「4・19革命」後の1960年7月9日付から新聞名を「民国日報」にまた変えて「5・16軍事政変」後廃刊となった。』
(韓国ネイバー百科事典より)


「李起鵬」という名前をご存知ですか?統一信者ならこの名前を知らない方でも梨花女子大学副総長の「朴マリア」はご存知でしょう。李起鵬は朴マリアの夫です。

元幹部K氏が『「前の韓国世界日報」というのは統一教会系の企業ではなく、統一教会から見たら反対派の企業のことです。』と言っているのはそういう理由です。

文教祖は1975年日本で世界日報を創刊しますが、恩讐である「李起鵬の世界日報」の名前で創刊しました。真意は、文教祖に聞かなければ私にも分かりませんが、多分文教祖に聞けば「恩讐を愛したという基準を立てるため」という返事を返すと容易に想像できます。

その「恩讐を愛したという基準を立てるため」という内容を、信者に見せるため(?)に1998年6月13日「李起鵬・朴瑪利亞夫妻」を霊界祝福しています。
ニューヨークにて三億六千万組第一次世界祝福式(国際合同結婚式)文教祖主礼で行われましたが、既に他界した霊人たち三十三組中のうち一組が「李起鵬・朴瑪利亞夫妻」でした。

余談ですが、私は文教祖が行う霊界祝福は疑問符が残ります。「李起鵬・朴瑪利亞夫妻」は、地上での夫婦関係をそのまま夫婦として祝福していますが、四大聖人や大母様(洪順愛)のように、夫婦交換のような形をとる例もありますので、文教祖の解釈では単純ではないようです。大母様(洪順愛)の夫婦交換霊界祝福に関しても後ほど検証したいと思います。(韓鶴子夫人の父といわれる韓承雲氏が大母様(洪順愛)と結婚していたというのも怪しいのですが・・・・。)

<霊界祝福>
1995年8月23日(漢南洞公館)
 文鮮明の父母 文慶裕-金慶継(忠母様家庭)
 文鮮明の兄  文龍壽-池治淑(大兄様家庭)
 韓鶴子の父母 韓承雲-洪順愛(大母様家庭)
 ※洪順愛は生前、1976年12月21日イーストガーデンで独身祝福を受けている

1999年2月7日(三億六千万組の祝福時に霊界祝福)
 韓鶴子の父の後妻 性徹-池姫善(池姫善は韓承雲の妻)
 ※相手の性徹氏(1912~1993)は韓国仏教界の巨星・大僧侶



■李起鵬・朴マリアの周辺人物

<家族同然の関係>
李起鵬・朴マリア(夫婦)
  ↓ (息子の李康石を養子に出す)
李承晩大統領・フランチェスカ=ドナー(夫婦)

<梨花女子大>
(総長)金活蘭
(副総長)朴マリア
⇒梨大から大量に統一教会に入教

<韓国政府>
李承晩大統領
李起鵬議員(副大統領候補)
⇔(経済的支援?提携関係?)
崔聖模(崔先吉の叔父・のちの新東亜財閥)
崔淳永(崔聖模の息子)

<言論>
中央日報(後に世界日報)が文教祖の弾圧記事
中央日報は李起鵬系の新聞

<キリスト教>
●プロテスタント・監理教会派
 李承晩大統領(20代の時に改宗)

●プロテスタント・メソジスト系
(梨花女子大学メソジスト系)
金活蘭
朴マリア

●プロテスタント・長老派
(大韓イエス教長老会再建派)
崔先吉(文教祖の前妻)
崔先吉の母
(崔聖模(崔先吉の叔父))
(崔淳永(崔聖模の息子))
韓景職(永楽教会牧師)



■李承晩大統領・朴マリアの結末

文教祖を投獄した朴マリア一家の悲劇的結末が気に入っているのか、よくみ言葉の中に登場しますが、同じく投獄した崔聖模(文教祖の前妻崔先吉の叔父)はその後、事業で成功し財閥になっています。そういう成功した話は全く出て来ません。韓景職牧師も長寿を全うし、さまざまな慈善活動に尽くした人物でした。文教祖を不信すると地獄に落ちる、不幸になるというみ言葉はすべての人には通用しないようです。

1960年4月28日 韓国で先に副大統領に当選した李起鵬一家が自殺(李承晩氏の養子である李康石少尉が実父母と実弟を射殺してから自殺)

1960年5月28日 李承晩ハワイに亡命



以下文教祖のみ言葉・・・・

『その時、朴マリヤと李起鵬を中心として、大韓民国大統領の李博士、フランチェスカ、金活蘭が国を滅ぼす元祖となったのです。李起鵬と朴マリヤは、どうなりましたか。息子によって天罰を受けたとしても、それほどの天罰が、どこにありますか。統一教会の文先生に反対した人の中で、良くなった人がいるか探してみなさいというのです。
(真の御父母様の生涯路程3より)

※いつもの決まり文句「文先生に反対した人は天罰を受けて滅びます」(これもショックドクトリンの一種でしょうか?)


『先日もこんな話を聞きました。ある喫茶店に入っていた時、ある軍人が文総裁の悪口を言った既成教会の人の胸ぐらをつかんで、殴ったのです。「この野郎! お前は文総裁に対してどのくらい知っているというのか!」と。これから先生に反対する者はこのように殴られることでしょう。そして、死ぬ者も現れるでしょう。なぜこのような話をするかといえば、一九五五年、李承晩博士の時代に、文教部、広報部、内務部、法務部、外務部の五人の長官が一つになって、文総裁を打ってきたのです。その時、李承晩大統領の妻のフランチェスカと、金活蘭と、李起鵬の妻の朴マリヤたちが一つになって打ってきたのです。そして一瞬にして、梨花女子大学、延世大学において迫害が始まったのです。このまま統一教会を認れば、賢い青年男女が、神学校の学生が数週間のうちに完全に伝道されていって、そのまま放置しておいたら、数年以内に既成教会が滅びてしまうと思い、「どんなことをしても統一教会を打ち砕かなければならない」と言って、騒ぎ立てたのです。しかし、何の罪状もないので先生を殺すことができなかったのです。』
(神のみ旨を中心とする宗教圏の統一1988年10月14日)


『それで、この失敗を再び収拾するために、先生は二世を立てて、延世大と梨花女子大を中心として出発したのです。李承晩行政府とアメリカ宣教師に対処しようとしたのですが、李政権と宣教師とアメリカ行政府が組んで、統一教会の文先生を除去しようと運動を起こしてこの国を滅ぼしたのです。当時、このような事情は誰も知ることができなかったのです。今日、先生の話を聞いて初めて分かったのであって、その時は誰にも分からなかったのです。ですから当時、梨花女子大生と延世大生が先生のもとに集まってきたのです。先生と完全に一つになったのです。こうして朴マリヤ(当時、梨花女子大の副総長であり、李起鵬副大統領の夫人)を中心として、李博士のフランチェスカ夫人を通じての交流を始めたのですが、宣教師たちが裏でひそひそ話をして問題を起こしたのです。今日そのためにキリスト教が全部、統一教会の怨讐の立場に立っているのです。しかしこれを捨てることはできません。なぜ捨てることができないかというと、キリスト教が怨讐になればドイツをアベルの位置に立てなければならないのですが、ユダヤ教を継承した第二イスラエル圏としてアメリカを立てたので、アメリカを捨てることができないのです。どんなことがあっても捨てることができないので、統一教会はキリスト教を収拾しなければならないのです。ですから、今まで悪口を言われても収拾してきたのです。』
(韓国統一1989年1月1日)


『きょうのみ言の題目は何でしたか? (「復帰と解放」です)。今日まで数多くの人間が、様々な形をもちながらもこの地上で生きることを願ったのは、解放を迎えて幸せになりたかったからです。しかし、それが、いまだに解放されていないのです。それでは、この統一教会はどうでしょうか。統一教会も解放を求めて生きてきたのです。皆さん、七・四事件の当時を思い出してください。先生を監獄に入れて、五つの長官たちが文総裁を亡き者にしようとしたのです。李起鵬と朴マリヤ、李承晩博士とフランチェスカを中心として、行政力を動かして文総裁を完全に抹殺しようとしたのです。罪に陥れようとして、ありとあらゆる工作をしたのですが、先生は何一つとして引っかかるところがないのです。』
(復帰と解放1989年2月12日)


『それでは四十年間、レバレンド・ムーンは何をしてきたのでしょうか。アメリカのキリスト教を凌駕して、統一教会とアメリカの国を一つにして、前の大統領も今の大統領も私が立てたのです。私がアメリカに行ったのはニクソン大統領の時代です。彼は私の話を聞かなかったゆえ、あのようになったのです。狡猾な白人たちの風土を歴史的に引き継いだその精神をもって、アジアの人を相手にすることができるというのでしょうか。レーガン大統領もそうです。私はどこに行ってもその国の主権者と戦いました。李承晩博士の時も彼と戦ったのです。延世大学と梨花女子大学を中心として朴マリヤと金活蘭、そしてキリスト教文化圏を中心とした李博士を、完全にみ旨の前に立てなければならなかったのです。』
(ネナラ統一(一九九〇年)1990年1月1日)


『キリスト教文化圏とは何でしょうか。来られる再臨主を迎える集団なのです。先生の言うことを聞いていたならば、七年の間にカトリックとプロテスタントが統一されたことでしょう。しかし、全部失ってしまいました。歴史的に縦横に蕩減基準を立てておいたのに、大韓民国のキリスト教と政府が先生を受け入れることができなかったがゆえに失われてしまったのです。神側のエバ国家、カイン、アベル、サタン側のみなが力を合わせて、文先生を殺そうとしたのです。先生はアメリカへ行くまで、政府の指導者たちを説得したのです。しかし、主権者たちは受け入れませんでした。キリスト教が一緒になって先生を殺そうとしたのです。李承晩博士をはじめとして、政府の要人や、朴マリヤ(注¨李承晩大統領時代に副大統領を務めた李起鵬の夫人。政界、大学界に影響があったが、息子によって銃殺された)が一緒になって様々なことを犯したのです。牢獄まで入りました。しかし、無罪となって釈放されたのです。その時、すべての幹部たちが一体となって先生のために闘ったのです。』
(「祝福家庭子女二十一日修練会」でのみ言葉1990年2月16日)


※朴マリアの内容は1980年代後半に集中的に語られていますね。昔のことでも思い出したのでしょうか?