文教祖は予言書に出てくる再臨主なのか?(4) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■聖書の中の東方の国

日本人や韓国人の認識では、東方の国問えば、北東アジア、特に「中国・日本・韓国(北朝鮮)」を思い浮かべます。

しかし、「東方の国」という表現では、断定することはなかなか難しく、かといって失われた10支族のユダヤ民族が住んでいる東方の国はさらに「?」です。

再臨のメシアが誕生するのは「血統的継承」も視野に入れなければ入れないので、失われた10支族のユダヤ民族の伝統や言葉などの痕跡が残っていればわかりやすいというものなのですが。



■「東の地の果ての海の島々」ってどう見ても日本だよね?

イザヤ書の聖句で「東方の国」は日本ではないかと興味深い推測をされている内容がありました。原理講論では聖句を使って東方の国は「韓国」と断定していましたが、聖書の解釈はさまざまにあるので解釈の一つとして参考にしてください。

<イザヤ書の書かれた時代>
『サウル王の時から始まったイスラエル統一王国は、ダビデ王、そしてソロモン王の時代と続いたが、ソロモンの死後、B.C.922年、イスラエルは南北に分断された。その後、南ユダ王国と北イスラエル王国は、それぞれ神に背を向け続け、滅びに向かって歩んでいた。それが、預言者イザヤが遣わされ、活躍した時代。具体的には、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤがユダの王であった時代に、イザヤは活躍した。イザヤはB.C.740年代に召命を受け(おそらく20歳前後の若い時)、その後預言者として歩んだ。イザヤは、主から預かった神のことば(預言)を、かたくなな民に向かって60年以上語り続けた。』
(イザヤ書 - WikiForJより)
http://gospel.sakura.ne.jp/wikiforj/index.php?%A5%A4%A5%B6%A5%E4%BD%F1

※紀元前740年ごろ、つまり今から2750年くらい前に書かれた内容です。


<東方の国が日本だと思われる聖句>

[イザヤ書24章]
1 見よ。主は地を荒れすたらせ、その面をくつがえして、その住民を散らされる。
2 民は祭司と等しくなり、奴隷はその主人と、女奴隷はその女主人と、買い手は売り手と、貸す者は借りる者と、債権者は債務者と等しくなる。
3 地は荒れに荒れ、全くかすめ奪われる。主がこのことばを語られたからである。
4 地は嘆き悲しみ、衰える。世界はしおれ、衰える。天も地とともにしおれる。
5 地はその住民によって汚された。彼らが律法を犯し、定めを変え、とこしえの契約を破ったからである。
6 それゆえ、のろいは地を食い尽くし、その地の住民は罪ある者とされる。それゆえ、地の住民は減り、わずかな者が残される。
7 新しいぶどう酒約を破ったからである。
6 それゆえ、のろいは地を食い尽くし、その地の住民は罪ある者とされる。それゆえ、地の住民は減り、わずかな者が残される。
7 新しいぶどう酒は嘆き悲しみ、ぶどうの木はしおれ、心楽しむ者はみな、ため息をつく。
8 陽気なタンバリンの音は終わり、はしゃぐ者の騒ぎもやみ、陽気な立琴の音も終わる。
9 歌いながらぶどう酒を飲むこともなく、強い酒を飲んでも、それは苦い。
10 乱れた都はこわされ、すべての家は閉ざされて、はいれない。
11 ちまたには、ぶどう酒はなく、悲しみの叫び。すべての喜びは薄れ、地の楽しみは取り去られる。
12 町はただ荒れ果てたままに残され、城門は打ち砕かれて荒れ果てる。
13 それは、世界の真中で、国々の民の間で、オリーブの木を打つときのように、ぶどうの取り入れが終わって、取り残しの実を集めるときのようになるからだ。
14 彼らは、声を張り上げて喜び歌い、海の向こうから主の威光をたたえて叫ぶ。
15 それゆえ、東の国々で主をあがめ、西の島々で、イスラエルの神、主の御名をあがめよ。
<(ブレントン70人訳)それゆえ、主の栄光が海の島々にあるべし、主の名は栄光であるべし。>
16 私たちは、「正しい者に誉れあれ。」という地の果てからのほめ歌を聞く。
しかし、私は言った。「私はだめだ、私はだめだ。なんと私は不幸なことか。裏切る者は裏切り、裏切り者は、裏切り、裏切った。」
17 地上の住民よ。恐れと、落とし穴と、わなとがあなたにかけられ、
18 その恐れの叫びから逃げる者は、その落とし穴に落ち、落とし穴からはい上がる者は、そのわなに捕えられる。天の窓が開かれ、地の基が震えるからだ。
19 地は裂けに裂け、地はゆるぎにゆるぎ、地はよろめきによろめく。
20 地は酔いどれのように、ふらふら、ふらつき、仮小屋のように揺り動かされる。そのそむきの罪が地の上に重くのしかかり、地は倒れて、再び起き上がれない。
21 その日、主は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。
22 彼らは囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、それから何年かたって後、罰せられる。
23 月ははずかしめを受け、日も恥を見る。万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前に輝くからである。”


イザヤ書24章14節・15節の部分、東の地の果ての島(日本)に10支族が移住したかもしれないという聖句。

<イザヤ書24章14節>

直訳(ヘブライ語訳)
「彼等は海から叫んだ。この正しき故に、東の地で彼等は尊んだ。その海の島々にてヤハヴェを。イスラエルのエル達(天使達)や ヤハヴェの名を。」

文語訳
「これらのもの声をあげてよばわん。エホバの稜威の故をもて海より喜びよばわん。この故に汝等東にてエホバを崇め、海の島々にてイスラエルの神エホバの御名をあがむべし。我等地の果てより歌をきけり、いわく 栄光は義しきものに帰すと」


<聖書出版社別翻訳比較>

(ヘブル語聖書直訳)
1)海 2)東の地(光の地) 3)その海の島々 4)地の果て

(日本聖書協会(文語訳))
1)海 2)東        3)海の島々   4)地の果て

(日本聖書協会(口語訳))
1)西 2)東        3)海沿いの国々 4)地の果て

(日本聖書刊行会)
1)海 2)東の国々     3)西の島々   4)地の果て

(日本聖書協会(共同訳))
1)海 2)東の地      3)海の島々   4)地の果て

日本聖書刊行会はエルサレムを基準していると考えて地中海を中心にしたから西を意訳したのです。左翼出版である岩波書店は、はっきりと「海の島々」を「西の地中海の国々」と解されると書いています。素直(直訳)に読んで「東の地の果ての海の島々」と訳すのです。

「東の地の果ての海の島々」とは、日本列島において、他に無い事がお解り頂けると思います。現行に於ても、日本は極東に属するのです。この「海の島々」とは、イザヤ書には、この24章の他、41章、42章、51章にも出てまいります。皆,日本列島を指したものです。
イザヤ書は、明らかに預言者イザヤの死後、他の人によって書かれたもので、一部を除いては。従って、島々へ移住した民についても、上記24章の様に、それを讃えたものと、「あなた方は無き者だ」とする様な悪魔のものと、相反するものが内在しているという事です。
24章は、明らかに、ユダの民の島々への移住成功を喜び、讃えたものです。一部のユダの民の日本列島への脱出は、預言者イザヤの生存していた時、ヒゼキヤ王の時代と推定されるものです。ヒゼキヤ王の南ユダ王国は、アッシリア王、セナヘリブによって来襲を受け、それが失敗に帰した為、セナヘリブは、ダビデによって命を奪われた。そして、そのユダの民の移住は、セナヘリブ来襲前後の事であったろうと推定されます。
北イスラエル王国が、アッシリア王シャルマネセルによって滅ぼされ、駆逐されたのが、ヒゼキヤ王第14年(BC713年)の時、と旧約聖書には、記されておりますから、この一部のユダの民の日本列島への移住は、この時期のの可能性が最も高いという事が言えます。
準備は、それ以前から、かなり周到に行われていたでしょうし、セナヘリブの来襲が、ヒゼキヤ王に、或る決心をさせたとも言えるかも知れません。

終末には、異邦人(キリスト教)に移った神の偉業が、再びユダヤに回帰すると解釈している方もします。つまり、再臨主は、ユダヤ血統圏に現れる可能性があるといえるのです。

この内容はhttp://www.geocities.co.jp/Berkeley/6261/kako2.htmlhttp://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/m359.htmlhttp://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/m360.htmlを参考にしています。



■原理講論vs聖書

原理講論再臨論では「イエスは、アブラハムの血統的な子孫たちに再臨されるのではなく、彼らの遺業を相続して実を結ぶ国に再臨されることを我々は知り、また、実を結ぶ国は、東方の国の中の一つであることも知った」と真っ向から血統的継承の根拠を否定しています。イザヤ書24章14節の聖句の「東方の国が日本で且つ、ユダヤの子孫が日本人」であるのなら、韓国こそ日本人という選民(統一信者含む)を蹂躙していることになるのではないでしょうか?

これはあくまで推測ですが、日本にユダヤの痕跡があるとしたらどうでしょうか?特に文教祖が邪神とまで否定している「神社(神道)」とユダヤの関連性があるとしたらどうでしょう。